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百五十五話

 本来なら美祢の足に追い付けるはずもない主は、いともあっさりと美祢に追い付くことができた。

 美祢が新しい衣装に気遣いながら走っていたせいもある。

 ただ、美祢にもどこかで追ってきて欲しいという欲望があったのだろう。

「み、美祢ちゃん……あの、さ。……ごめん」

「先生? 何に対してごめんなんですか?」

「いや、……何に対して? あの、なんだろう? 泣いてたから?」

「ップ! あははは! 先生は本当に優しいですね」

 表面張力ギリギリの涙を拭きあげて、美祢は主に笑顔を見せる。

 気づかいの笑顔ではなく、本心からの笑顔。

「や、優しいかな?」

「ええ、泣いてたら反射的に謝っちゃうなんて、優しくないとしないですよ」

 そして、悲しい人だとも美祢は思う。

 涙は悲しいものだと、そう刷り込まれている主の人生がどんなものだったのか。

 美祢には想像もできない。

 だから、美祢の想像にも及ばない人生を送った人が、人の涙に対して優しさで反応してくれることがうれしくてたまらない。

 そう理解している美祢は、はっきりと言いきるのだ。主は優しいと。


 初めて会った時から、彼は涙に対して優しい。

 子供じぶんの涙に、寄り添うことを止めない。

 突き放すことも、見ない振りも大人はできてしまう。

 だが、それをしない。

 彼は、夢を追うことが素晴らしいと言ってくれた。

 アイドルとして、ただそこにいるだけしか、花菜の背景でしかなかった自分を凄いと言ってくれた。

 誰にも見向きもされなかった、ステージの影を見てくれた。

 アイドルとしての自分を初めて認めてくれた。

 そして、教えてくれた。

 アイドルの笑顔は特別だと。

 実感とともに、教えてくれたのだ。

 あのイベントの光景を忘れはしないだろう。

 客席から返ってくる、あの笑顔を。

 あの光景を見せてくれた。

 彼は、アイドルとしての自分を産みなおしてくれた。


 そして、今も彼の言葉を信じて歩いている自分がいる。

 彼の言葉が、自分をステージに導いてくれる。

 だけど私は、あの人のシナリオの一部。

 彼の書くエンドマークの外側という世界で、たまたま主役を任されたに過ぎない。

 彼の描く『賀來村美祢』は、暗い涙を見せない。強くありたいと願い、仲間との共に前へと進む。倒れた仲間がいても、それを背負ってでもともに行こうとする。

 でも、現実ほんとうの私はそうじゃない。

 仲間を見捨てないのは、自分のため。安本先生に与えられた仕事のため。

 強くなったのではない。後輩たちに弱さを見せられないという、弱さが残っているから。

 何より、彼の描く『賀來村美祢』に近付けないと嫌われてしまう気がして。

 根本は出会った頃から変わっていない。@滴主水のキャラクターを安本源次郎のシナリオで動かすためのキャラクターが、アイドル『賀來村美祢』だというだけ。


 それでも、私は彼のことが好きだ。

 @滴主水のことが、いや、佐川主という男性が好きだ。

 私というアイドルを見つけてくれた人。

 私というアイドルを肯定してくれた人。

 私という、弱い自分を否定してくれる人。

 だから、私は彼のことが好きだ。

 でも、それを打ち明けるわけにはいかない。

 安本先生の、安本源次郎のシナリオの住人である私が、想いを伝えたら彼に災難が降りかかるだろう。

 ようやく手にした夢も、これからあるだろう輝かしい日々も、私が壊してしまうことになる。

 私は私の夢を、花菜の横に立つという夢をかなえるまで、安本先生のシナリオから出ることができない。

 誰かに聞かせれば、本当に些細な願いと思われるだろう。

 だが、それこそが私がこの業界に足を踏み入れた理由なのだから。


 その高みを、その困難さを私だけが知っていると思っていた。

 私だけの辛さを誰も知りはしないだろうと、……思っていた。

 だが、今は彼が知ってくれている。

 彼の描く『賀來村美祢』が、その辛さを共有してくれている。

 だから、私は笑える。

 だから、私は踊れる。

 だから、私は歌える。

 だから、私はアイドルでいられる。

 だから、アイドル(キャラクター)のままの私では、彼に好きだと伝えることは出来ない。


 だから、頑張ろう。

 彼に好きだと伝えたいから。

 いつか彼にアイドルではなく、女性として成長したといってもらえた時に。

 さっきみたいに、嬉しくて泣いてしまったような言葉を貰ったときに。

 だって、もう彼に想いを伝えない選択肢は無くなったのだから。


 なんでこの気持ちを抑えることができるって思っていたんだろう。

 できそうもない。

 知らなかったなぁ。

 好きって、こんなたわいもない先生とのお話でも気持ちがあふれてきちゃうんだから。

 抑えることなんてできないよね。

 毎日好きが生まれて、あふれてきて、心の中を好きの海で満たしちゃうんだから。

 先生の言葉が、こんなにもうれしいんだから。

「先生、ちゃんと見ていてくれてありがとうございます。もっと頑張りますね!」


 美祢は一粒の涙を流し、笑顔を見せる。

 まるで心の海からあふれたかのようなその涙は、美祢の口へと還る。

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