十五話
「あ、@滴先生! お疲れ様です。……はい、はい、え? 2巻の原稿あがった? はい、へ? 新規書下ろし!? いや、ダメだろ。やりたい放題か、あんた」
担当の佐藤は困惑していた。2か月前にプロモーションでアイドルに会わせたことが、よほど刺激的だったのか。今@滴主水の筆はノリに乗っていた。
「……いや、よくなりすぎでゴーストライター疑われるレベル」
急きょ送られてきた書下ろしの2巻予定の原稿を読むと、それはまるで別人かのような出来栄えだった。
特に人物描写はwebのころと比べて格段に改善され、キャラクターに色が乗ってきた。
無理やりではなく設定準拠しながらも人の厚みを感じられる。なによりヒロインと新登場の仲間たちが生き生きと作品をかき回すさまはweb原作を読んでいる読者も引き込まれる可能性を秘めていた。
「だけど、これ没かもなぁ」
頭の痛い話ではあるが、主人公の周囲が引きたてられたせいで主人公が埋没してしまうという事態に陥っている。1巻が無ければヒロインを主人公に置いて話を再構築できただろうが、もう1巻は刊行済みだ。
しかも話題性も手伝いそこそこの売り上げがあり、今さらなかったことにはできない。
とはいえ、この全文を没はやはりもったいない。そう佐藤に思わせるのだった。
「1巻だけで次がいきなり外伝はないしなぁ。1.5巻とか……いやいや、その手法はもうちょっと話が進んでからにしたいし。けど、この感じだと2巻繋がらないよなぁ」
佐藤はもう一つ頭の痛い案件を抱えていた。
はなみずき25のメインプロデューサーから、主ともども呼び出しを受けているのだ。言い訳しながら逃げることも考えたのだが、相手はあらゆるコネを駆使し社長じきじきの命令として案件をねじ込んできた。
芸能界のフィクサーとのうわさもある人物を、こうも怒らせた記憶はない。だが、直々の呼び出しなどまともなはずがないと佐藤の勘は告げている。
「ああ! 頭痛い。どっちかにしてくれないかぁ」
主の原稿を見ながらつぶやいた佐藤の言葉は、編集部の一角に意外なほど響いたか、誰も答える者はいなかった。
「――ってことで、この原稿は保留で。後で使うかもなので、ちょっと預からせてもらいます。なので、2巻は元のを手直ししてください」
「わかりました。ヒロイン強調しすぎないのと、主人公を掘り下げですね」
「お願いします。あ、コミカライズのコンテも預かってますので、何かあったら担当の牧島にお願いします」
さてどう切り出したものか? と、佐藤は思案する。
以前スケジュールを確認したときには、主の時間は意外と融通がきくのも分かった。
相手側の指定にも時間的な無理はないはず。しかし担当作家のモチベーションを下げる可能性もある、だが、佐藤自身は社長命令を受けた身だ。
佐藤は心のなかで、高度1万メートルからジャンピング土下座を行いながら、何食わぬ顔でさも良い報告のように切り出す。
「ああ、そうだ先生。前に会ったアイドルさんたちいたじゃないですか? あそこの事務所さんから仕事の相談がきたんですけど、どうします?」
佐藤は心の中で作家の都合で行けないという無理の無い未来に賭けた。
「あ、ちょうど取材したいと思ってたんですよ! ちなみにこんなプロットなんですけど」
佐藤は賭けに負けるだけでなく、別の仕事を増やすという特大の負けを得る。
「じゃぁ、向こうには話しておきます。はい、これもお預かりします」
@滴主水という作家に関わり、編集者佐藤というに人間の人生はその清潔感と同じように大きく変わっているのだけは確かだった。
◇ ◇ ◇
「お待たせしました、先生。じゃあ行きましょうか」
数日後、呼び出しに応じるべく調整した日は主の夜勤明けの日だった。
徹夜した人間をよく知る佐藤は、現在の主の様子を横目で確認する。
年のわりにきちんとしているように見える。服装を整えるだけでなく、事前に風呂でも入ったのか徹夜明けの人間特有のすえた匂いは無いように感じる。しかもその目に宿る光は理性をちゃんと宿している。
やはりこれから会う人間を知り、緊張するのだろうか?
「先生。車内で恐縮なんですけど、先日のプロットの件なんですが流石にダメが出まして……先生?」
「……」
「先生? ……失礼します。……寝てるぞこの人」
車窓から外を見ている風の体勢ではあるが、確実に寝ていた。
主に緊張というものがないのかと、驚愕しながらその肩を叩いて起こすのだった。
「なにも思い切り叩かなくっても……」
「あの先生! これから誰に会うのか解ってます? 芸能界のフィクサーですよ? 我々なんか指先一つで肉まんじゅうですよ!?」
「いや、そんな訳……物理的にですか?」
「それくらい警戒しましょうってことです」
主が眠気に任せて何かやらかさないよう神経をとがらせる佐藤。
二人は事務所のあるビルへと足を進めるのだった。




