百四十九話
「なぁ、これ本当に音楽鳴ってないよな?」
アカペラちゃんねるのスタッフが、誰に問うでもない独り言のように呟く。
かすみそう25のファーストシングル『走らなきゃ見えない』をもちろんスタッフは、音源として聞いている。
聞いているがゆえに目の前で無音の中、踊っているメンバーの後ろにその音源が流れているかのような錯覚に陥る。
それほどに全員のタイミングが、バチッと合っている。
クレーンのカメラを回しているカメラマンは、その衝撃的な場面を逃すまいと、高所からその目を光らせている。
地上でカメラを回しているカメラマンは、それとは別の衝撃に襲われていた。
レンズが美祢から離れないのだ。
カメラワークを事前に打ち合わせし、その通り身体は動いている。だが、画面端に美祢が写り混むと、吸い寄せられるように彼女にピントが合ってしまう。
数々の歌番組で、カメラを持ってきたがこんなことは初めての経験だ。以前カメラに納めていた賀来村美祢と同じ人間とは思えない。
自分は今までどうやって、この少女を撮っていたのだろうか?
カメラが、美祢の手振りに合わせるように振られていく。その先には二期生の顔がある。
まるで、自分だけじゃなくこの娘も撮ってあげてね。と、注意を受けているかのようだ。
二期生たち三列目をレンズに納めていけば、もう一人カメラが離さない少女がいる。
佐川綾、彼女は賀来村美祢とは違いレンズにその目が収まらない。どんな角度で迎えても、彼女の目がレンズを見ることはない。
悔しい。
カメラマンとして、純粋に悔しい。
まるで、握手会に熱狂したファンのように、カメラマンは綾に食い付いている。
そんなことをしていれば、他のメンバーがスタッフの剥がしのようにカメラマンと綾の間に入り込む。
綺麗な笑顔を浮かべ、カメラに目線を合わせに来る。
そう、これが普通なのになんであの娘は?
もう、地上にいるカメラマンは美祢と綾の虜になっていた。
最後のポーズをとるかすみそう25のメンバーたち。カメラマンは、結局誰も綾の瞳を撮すことが出来なかった。
それを詫びるかのような伏せ目がちな綾の目が、ようやくレンズを見る。
ベテランのカメラマンが、10代の頃を思い出したかのように顔を紅くしながらレンズを覗き込んでいる。
始まる前は、8割だか6割だか手を抜こうと相談していた賀来村美祢。
もし、これが6割なら本当に良かったとカメラマンは胸を撫で下ろす。
最初に言っていた全開状態なら、カメラを下ろして見入っていたことだろう。
そうならずに、仕事をなんとか全う出来た安堵が降りてくる。
そんなことを考えていたら、匡成公佳と佐川綾がハンドマイクを手にたたずんでいる。
他のメンバーは画面の外へと場所を移し終えている。そうだったと慌ててカメラを構え直して、画面の中央に収まった二人にピントを合わせる。
歌い出しは匡成公佳。普段から元気一杯に走り回っているのが目に写る声で上手くメロディーを作っていく。
そして、佐川綾にパートが移ると公佳より低く発せられた綾の声に引き寄せられる。
こちらは対照的に走り回っている公佳を、遠くで見つめているかのような落ち着いた歌声だ。
そしてサビでのハーモニー。
立場の違う二人の少女が、同じ想いを宿した一人の少女のように溶けていく。
年のいったプロデューサーは、二人のプロフィールを見て思う。
これだから、10代という年代は恐ろしいと。
自分が10代の時に、こんなに感情豊かに歌うことができただろうか?
もちろん、彼女たちがプロとして訓練をしているのも、大いに関係しているだろう。
だが、大元の感性から違うと感じるのだ。
いつしか、二人の歌声は一人の少女として道なき道を走っている。
誰に理解されなくとも、ただ自分の信じる何かのために。
その内、大人たちは古い自分自身を思い出す。
あの時、賢い選択など選ばなければ。大人ぶった言い訳を口にしなければ。
ひどく胸が締め付けられる気がする。
それは、使い古した心臓の痛みではない。
あの若かりし頃の慟哭かもしれない。
この歌のタイトル『スタートライン』など、もうとうに過ぎ去ったものだと忘れていた。
だが、それはまだ心のどこかにあるのかもしれない。
まったく、なんて悪辣な歌詞だろうか?
そんな後悔を思い出させるなんて、この作詞家は酷い奴だ。
しかし、スッっと心の隙間に流れた風に清涼感を感じてしまう。
そして、そうとは知らず流れた涙が心を熱くする。
まだできるはずだと、自分にだってまだ残された時間はあるんだと。
忘れていた、10代の愚かしい自分を思い出させる。
それが、何ともワクワクするのだ。
年甲斐もなく。
心の中で不貞腐れていた、10代の自分が笑顔で手を差し伸べてくる。
本当に腹立たしい。
本当に、まぶしい歌声が聞こえている。




