百四十六話
「パパ~!!」
「おお、公佳ちゃん。今日は起きてたんだね!」
飛びついてきた公佳を器用に抱き上げて、回転しながら公佳の勢いを相殺することに成功した主。
とは言っても、腰への負担は無くなるわけではない。一回転した勢いのまま公佳を地面へと下ろす。
「『スタートライン』の音源聞いたよー! すっごく良かった!!」
「もう!? あのさ、……本当? 本当に良かった? はぁ、よかったぁ~」
公佳が肯定している姿を見て、主は胸をなでおろす。
「お兄さん。来てたんですね」
公佳に遅れること数十秒。ようやく主の存在に気が付いた綾が駆け寄ってくる。
「綾も聞いたんだよね?」
「あっ! 聞きました!」
「……どう、だった?」
「公佳さんらしい曲だなって」
「……だよなぁ。そうなんだよ」
提出したかすみそう25のカップリング曲にして、主にとって人生初の作詞を手掛けた曲『スタートライン』は、夜遅くに出来たにもかかわらず、翌日にはすでに仮歌を入れた状態でメンバーに配られていた。
主はまだ音源としては耳にしてはいない。だが自分の書いた詞を再度確認すると、そこに描かれた主人公はディフォルメされた公佳だけだった。
ダブルセンターのもう一人、義妹の綾の要素があまりにも少ないのではないか? そう先ほど立木に主張したのだが、却下されてしまった。
「綾、ごめんな。僕の筆が遅いばっかりに」
「? いい歌だと……思うんですけど」
そう口にした綾の表情は、微塵もお世辞を言っているようには感じない。
あれが正解なのか? 主は少しだけ自分の感性を疑いだす。
「先生―! ズルいよ! ……やっぱり若い娘が好きなんだ!」
「ちょっと、美紅さんや。誤解を受けるような発言はやめてもらえるかな?」
「だって! 娘と妹の曲だからあんなに良くしたんでしょ?」
「作詞なんて初めてだから、いいも悪いもわかりませんでした」
美紅に掛けられたあらぬ疑いを一蹴すると、とりあえず今回の契約で一番のネックであった作詞が無事終わったんだと胸をなでおろす。
「あれ、先生、もしかして……帰るの?」
「うん、二人の感想聞きたかっただけだから帰るけど?」
「へぇ~、センターの感想聞ければメンバーの感想はいりませんか! そうですか!!」
美紅の言葉に、主の背中に汗が流れる。
「みんな~。先生がさぁ~!」
「うそうそ! 嫌だなぁ~! もちろんみんなの感想も聞かせてもらうよ。当たり前じゃないか! 何せ初めての仕事だからね。ほらほら、美紅さんもあっちで感想聞かせてよ!」
「美紅、今日も絶好調だね」
「……公佳さん? 兄はいつもあんな感じなんですか?」
綾の言葉に公佳は、ん~と考えるそぶりを見せて言いきる。
「そうだね、パパは意外とイジられがち!」
とてもまぶしい笑顔で言われて、義理ではあるが妹として少し恥ずかしい綾だった。
「危ないところだった……」
美紅の棘のある一撃をなんとか受け止め、解放された主はようやく帰路に就こうとしていた。
そこに、美祢が前から歩いて来るのを見つけた。
なぜだろう、今日の美祢はひどく刺々しい空気を身にまとっている。
あんな美祢を見るのは初めてだ。
声をかけた方が良いのか熟考した末、主は声をかけなかった時のダメージを回避することにする。
「美祢ちゃん、こんにちわ」
「っあ! ……先生。こんにちわ」
声をかけてみたが、やはり不機嫌な様子が隠しきれていない。
とはいえ、声をかけてしまったのだから問うしかないと、主は腹をくくる。
「美祢ちゃん、……なんか、怒ってない?」
「っっ!!」
本人は隠していたつもりなのだろう。
見ればわかるのに、指摘されたことが恥ずかしいとでも言うように顔を紅くする。
「また、背中貸そうか?」
「……嫌な気持ちになりませんか?」
「まあ、前の職場で慣れてるから」
うつむいたままの美祢が、じゃあと小さく頷く。そして主を先導するように屋上へと重い足取りで昇っていく。
そんな美祢を見て、主はこれは重症だと苦笑いを浮かべる。
屋上に到着すると、美祢は前のようには密着せず主の背中に手をおくだけ。
そして、噴出しかけている感情をゆっくりと吐き出していく。
「先生、アカペラちゃんねるって知ってますか?」
「ん? ああ、なんかアーティストさんが伴奏なしで歌うやつ?」
動画投稿サイトで大規模な登録者数を誇るこのチャンネルは、現役のアーティストやアイドルがアカペラで歌唱する様子を投稿している。その際、一切の加工がないことから、そのアーティストの本当の歌唱力がちょくちょく話題になるチャンネルだ。
絶賛されれば良いプロモーションにもなるが、失敗した場合も無加工で動画が投稿れるため楽曲製作陣には敬遠されている、なんて噂も出ている。
「あれのオファーがかすみそう25にも来てたらしいんです」
「え!? あぁ、まあ、来るよね」
チャンネルの話題性を継続させるためには、話題のアーティストを呼ぶのは、当たり前のことだ。
そんなチャンネルが、美祢擁するグループに目をつけないなずがなかった。全国ツアーの全部の会場で2会場を行き来したアイドルなんか早々いないし、その話題のグループに新しいメンバーが加入したとなれば、そのメンバーの歌唱力を知りたいというファン心理も突いている。
「でも、……立木さん、ヒドイんです! 力不足だって、断ったんですよ! 私たちを、信じてくれてないんです!」
美祢の憤りもわかる。わかるが、立木の判断もわかってしまう気がする。
信頼がないのではなく、守りたいのではないだろうか?
だが、納得するのは難しいだろうと主は思う。
「じゃあさ、こういうのはどうかな?」




