百四十四話
「綾ちゃん、本当にすごいね」
「本当……きれい」
レッスン場で汗をぬぐいながら、智里と日南子は後輩の綾に見惚れていた。
自分たちの後輩に、見惚れているなんてとも思いながらも、その感想は率直にならざるを得なかった。
「きーちゃん、大丈夫かなぁ」
ポツリと日南子が、その隣を任された同期を心配している。
吸い込まれるような存在感を放つようになった綾。そしてその隣は最年少だけが特徴だった公佳だ。
よく泣き、よく笑う。公佳はいい意味でも悪い意味でもまだまだ子供なメンバーだ。
そんな公佳が二期生の中でも、圧倒的な存在感を放ちだした綾の隣を踊り切ることができるのか? 日南子は幼さの残る同期を心配し始める。
「ヒナ、あんたはキミを侮りすぎ。あれ見なさい」
智里が指さす方を見ると、公佳が笑顔でダンス中の綾に近寄っていくところだ。
鼻歌交じりで、まるで綾の存在感など意にも介していない。
「綾ちゃん!! 『流転』のシンメのところ合わせてもいい?」
「あ、匡成先輩! は、はい!」
急に先輩に声をかけられ、一気に緊張する綾に公佳は少しむくれる。
「むー、綾ちゃん! 同い年なんだから公佳って呼んでよ!」
「で、でも、先輩ですし……」
「じゃあ、私も綾叔母さんって呼ぶから」
「おばっ……わかりました。公佳さん」
「もー! ちゃんか呼び捨てにしてヨ!」
「……できません!」
いきなり先輩から自分を呼び捨てにしろと言われて、戸惑う綾にまだ納得できない様子の公佳だが、しかたないかとあきらめる。
「もう! じゃあ、アタマからお願いね」
「は、はい!」
公佳が自分の携帯から『流転』を流し始める。
かすみそう25の『流転』という楽曲は、先の全国ツアーの時に制作された楽曲になる。
美祢がはなみずき25のステージに参加するための楽曲で、美祢以外のメンバー全員参加のドラムの音が強いアイドルロックな楽曲だ。
歌詞はまあ、なんというか、美祢という存在に振り回されるかすみそう25のメンバーの愚痴のような歌詞になっている。それをけし掛けている安本が書いているのだから、それはもうタチの悪いいたずらソングだ。
だが、ノリの良い音とメンバーが激しく踊るこの楽曲は、前回のツアーで会場を大いに盛り上げた。
そんな楽曲でもあるため、次回から披露する際は美祢以外のメンバーは全員参加の判断が下された。
メンバーが増え、フォーメーションも新しくなり一期生と二期生がシンメのポディションになる場面が生じた。
他のメンバーはシンメとは言っても比較的人数の多いダンスパートなのだが、フロントメンバーの公佳と綾はサビと間奏にセンターの智里の後ろで長めのパートを踊らないといけない。
他のメンバーが大人しくしている間、センターを引き立てながらその存在感を見せつけなくてはいけない。
なかでもサビは細かく速いステップを繰り出しまるで重力を感じさせない横移動と、大きくジャンプ後にしゃがみ込む動きをしなくてはいけないので、公佳と綾の息が合っていないと失敗したとわかりやすい。
そのため二人は何度も何度も同じ曲を繰り返し踊り続ける。
どんなセットリストでも踊れるように、繰り返し繰り返し踊る。
そんなことをしていれば、他のメンバーたちも集まりいつしかフルメンバーで合わせが始まってしまう。それを寂しくやや拗ねた表情で美祢が監督役をさせられている。
「綾ちゃん! 智里の動きよく見て! 公ちゃんは走りすぎ!」
まだダンスに慣れ切ってない二期生メンバーが次々と脱落していく中、一期生とフロントの綾は踊っていた。
だが、疲労から綾はその存在感を失っていく。
「綾ちゃん、少し休もうか?」
「い、いえ、まだできます!」
美祢にそう答えた綾だが、脚をもつれさせ両ひざをついてしまう。
「ヌハハ! 勝った」
そう言って公佳はフラフラになりながら、壁際に移動し大の字に横になるとあっという間に寝息を立ててしまう。
「勝ったって……シンメで勝ち負け関係ないでしょ」
「本当に……子供なんだから」
あきれ顔の智里と美祢。
「先生とられたみたいで、……寂しかったんでしょ」
まみは、疲れた表情のままだが、その眼だけ優しさを込めて公佳を見ていた。
「みんなお疲れ様。あ、これ差し入れね」
そういって人数分のペットボトルを袋に入れ持ってきた主が、普段は来ないレッスン場に足を踏み入れた。
「先生、珍しいですね。……さては逃げてきましたね?」
「智里ちゃん、言い方。逃げてきたんじゃないの、長めの休憩」
「それって、逃げてますよね?」
「……智里ちゃん。お願い見逃して」
主は深々と頭を下げて智里にお願いをする。もう大人とかどうでもいい主だった。
「……あれ? 公佳ちゃんが来ない……?」
「ああ、あの娘はそこです」
いつも主を見つけると突進してくる元気娘が、レッスン場のスミで寝ている。
「完全に寝てるね。どうしたの?」
「あー、綾ちゃんに勝って満足したみたいで」
「勝ち? ……綾に? 美祢ちゃん、レッスンに勝ち負けってあるの?」
「あはは、無いはずなんですけどね。でも、なんか公ちゃんには何かあったんでしょうね」
「公佳ちゃんには、大事な……何か、か」
そうつぶやくと、主は公佳の濡れた頭を撫でてレッスン場からフラフラと出ていってしまう。
「何しに来たんだろ?」
「なんにしろ、飲み物頂戴できれば今はどうでも」
疑問の残る智里に、我関せずといった感じを隠さず美紅が這いつくばったまま主の差し入れに手を伸ばすのだった。




