百四十三話
「くっそ~!! どれだけ書いても終わらない!!!」
「そうそう、口を動かしたかったら手は止めない。よくわかってるじゃないか」
とある会議室。主は自前のノートパソコンを割と本気で壊すつもりでキーボードに指をたたきつける。
キーボードが壊れたからと言って、仕事がなくなるわけでもないのに。
現実逃避したい御年ごろなのだろうか?
いや、違う。
こんな仕事を振った目の前の人物に、少しでも主の受けている苦痛が伝わればいいと思っているのだ。
そう、こんな状況に追い込んだ担当編集、佐藤。……ではなく、安本源次郎に。
「う~ん、もっと物語に一貫性が欲しいね。……あ、@滴くん。ここの譜割り合ってないね、残念」
「嘘だぁ~!! 絶対あってますって!! ……あ、やり直します」
主の安本に対する態度が、だいぶ砕けたものになっている。
それもそのはず。こうして主と安本が二人きりで過ごすのは、これで3日目。その間ほぼ本業の作家稼業を行えていない。ではなぜ安本と二人きりで作業をしているのか?
それはこの度、佐川主が作詞家としてデビューすることが正式に決まったからだ。
だが、主は立木との初対面の時、はっきりと言っていたのだ。『作詞はできない』と。
ではなぜ、作詞をしているのか? 主が仕事の幅を広げたいと思ったからだろうか?
否である。
佐川主は、作家業などしてはいるが本来は安定志向の強いごく一般的なオッサンである。
そんな主が進んで、出来もしない作詞などするわけが無いのだ。まったく微塵も考えもしない。
安本源次郎という大物とのパイプがあるにもかかわらず、それを活用するとか言う考えには至らず、幾つかの仕事を回してもらうだけで大抵のことは飲み込めてしまうほど、小悪党にもなれない小市民だ。
恋愛にしてもそうだ。相手がどうの、年齢がどうのと言い訳探しばかり上手く気付かない振りばかり上手くなったオッサン。それが佐川主という男だ。
……話しを戻すと、安本との仕事の際に主は一回一回契約書を書いている。
大人同士の仕事なので当然なのだが、今回はなみずき25とかすみそう25の新曲発表により、主にも新しい仕事が振られた。
いつも通りの特典小説だろうと、内容も確かめず安易にサインをしてしまった主。それが運の尽きだ。
契約書は面倒でも最低でも一読は必要だ。
その中に盛り揉まれた一文。『佐川主は、かすみそう25の新曲制作にあたり一曲分の作詞を行う』というものを読まなかったのだ。
では、できもしない作詞をどうこなすのか?
安本は主に、無情にもこう告げる。
「できないなら、できるまでやろっか?」
そんなわけで、只今絶賛、主は作詞1,000本ノックを行っている真っ最中なのだ。
安本の作詞に対する持論は、きわめて簡単なものだ。
『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、数撃ちゃそのうち上手くなる』だ。
「本当に歌詞なんて書けないんですってば!」
「でも、契約しちゃったからねぇ」
「今からでも、何とかなりませんか!」
「ならないとわかっているから、必死に手は動かしてるんだろう?」
一段と主のタイプが速く、そして強くなる。
そう、自分の不注意だとわかっているのだ。だが、愚痴らないとやってられないこともある。
だが、誰に愚痴っているのかというところまで、考えが至らないほど焦っている。
芸能界広しといえど、安本にこんな口の利き方をする人間は限られている。
同席していた立木が、冷や汗を流しながら退避するほどの行為をして言いる自覚さえ主にはなかった。
◇ ◇ ◇
「もうこんな時間か。じゃあまた明日だね@滴くん」
キーボードに突っ伏した主の頭をポンポンと叩いて、安本は会議室を後にする。
主に付き合った分、安本は安本で自分に割り当てられた作詞を行わないといけない。
そんな状況を分っていながら、上手くいかない頭を抱える主。
「パパ~、大丈夫?」
「う~ん、大丈夫とは言いきれないのが悔しい」
安本と入れ違いで入室してきたのは、匡成公佳だ。
主をパパと呼び懐いている、かすみそう25のメンバー。
主が書いている曲のWセンターを務めることが予定されている。
もう一人は主の義妹である佐川綾。
娘のように想っている公佳と義妹の綾の晴れ舞台を飾る新曲を任された主。
先ほどまで辞めたいと言っていたにもかかわらず、公佳を前にして同じ言葉を口にはできない。
「がんばるから、もうちょっと時間ちょうだい!」
「頑張てね! パパ!!」
「うん!」
公佳にやり切ると宣言した主は、その隣の少女の存在を見落としていた。
「先生……お義兄さんが、……匡成先輩のパパ? ……結婚してないはずじゃ……?」
「綾、いたのか。いや違うんだ……あのね、公佳ちゃんは本当の娘ってわけじゃなくって」
「え~! 私は娘なのぉ!!!」
「あの、公佳ちゃん。本当にややこしくなるから、先ずは説明だけさせてね」
こうして、今日も主の仕事は進まないのだった。




