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百四十話

 主が実家に泊まった数日後、主と綾はそろって事務所に来ていた。

「あ、先生。おはようございます。妹さんとそろってのご登場ですか」

「立木さん、おはようございます。そうなんですよ、待ち合わせして送ってきたんですよ」

「いいですね。妹とのドライブデート」

「そうなんですよ、えへへ」

 立木との何気ない立ち話。義妹との良好な関係も見せられて、主はご満悦だ。綾は終始恥ずかしさで照れている。

「あ! そうだ。立木さん。奥野恵美子さんってご存じですか?」

「ああ、大将が初期のころ手掛けたひとですよね? それが?」

「あ、あの……お義父とうさんが好きみたいで」

 立木と主の話に割って入る綾。新しい保護者を義父ちちと呼ぶのに勇気がいったようで少し顔が紅い。

「へー。それはうれしいね。覚えていてくれるなんて」

 3人以外の声が割って入る。


 その温和そうな声の方を向けば、安本が立っていた。

「お、おはようございます!」

「おはよう、三沢……じゃない、佐川綾さん。御兄さんともご両親とも上手く行ってるようだね」

「は、はい!」

 綾は雲の上の人との会話に、終始頭を下げている。

 わからなくもないと主は思う。自分も気を抜くとこの人の眼を見ることが未だにできない。

「@滴くんもありがとう。本来ならこっちから手を回すべきだったのにね」

「いえいえ、この娘たちのことは身内が手を付けた事ですから」

「そうかい? ああ、立木。恵美子の映像を見せてやりなさい。それと難しい決断をしてくださった御父上にお土産もね」

「わかりました」

 そう言って背を向けた安本が再び振り返る。

「そうだ、奥野恵美子は君たちにはどう映ったかな?」

「え、えっと……なんかすごい女性ひとでした」

「ええ、なんか無理やり引き込まれるような、重力を感じました」

「ふふふ、そうだろう? ふふふ」

 安本が満足したように立ち去っていく。心なしかその足取りは軽やかに見える。


「じゃあ、二人ともこちらへ」

 立木は急な安本の指示にも迅速に応える。

 映像資料として残されていた奥野恵美子は、全くの別物だった。

 家庭用とは違い劣化していない彼女は、主と綾の呼吸を止めた。

 画面越しに見据えられているかのような視線。手を振った時には彼女に撫でられているかのようだ。

 圧倒的存在感とは、彼女のためにあつらえた言葉ではないかと思うほど。

 ただ一言、凄い。いや、凄いという言葉は的確ではない。

 彼女の前では、どんな言葉を発しても拙い。

 それほどの衝撃を、奥野恵美子は主と綾に与えていた。


「先生! いますか!?」

 主たちがいる部屋に、美祢が慌てたように飛び込んできた。

「先生! 綾ちゃん知りませんか? って……なんだ、一緒でしたか。綾ちゃんレッスン遅刻するよ?」

 美祢の言葉に反応できないほど、二人は奥野恵美子に魅入っていた。

「先生……? 綾ちゃん? ……?」

 まるで二人に良く似せた人形なのかと美祢は疑ってしまった。

 それほど二人は微動だにしない。

 美祢は二人の視線を追う。画面に映し出されていた彼女を美祢は見てしまった。

「……きれいな人」

「奥野恵美子さんっていうんだ」

 ようやく反応を返してくれた主から、どこかで聞いたことのある名前が出てきた。

「え?」

「奥野恵美子さん。うちの父さんが好きだったんだって。こんな人がいたんだね」

「奥野……恵美子……っ!」

 一瞬の間をおいて、美祢の記憶から本多の昔話が呼び起こされる。

 本多と安本が手掛けた初期のアイドル。

 未だに本多の中で、最高峰とされるアイドルの名前。

 そう、それが奥野恵美子だ。

 

 改めて画面を見れば、簡単なステップを繰り返しながら歌ってる奥野恵美子がいる。

 だが、その簡単なステップやはなみずき25に比べれば、質素な手ぶりが美祢の眼を捉えて離さない。

 歌声も、はなみずき25やかすみそう25にはもっと上手いメンバーもいる。

 だが、彼女達とは違う、まるで脳を直接揺さぶられているかのような歌声に聴き入ってしまう。

 これが、奥野恵美子。これこそが安本と本多の求めるアイドル。

 美祢は奥野恵美子の歌につられるように、手を動かしていた。

 奥野恵美子が発している重力から逃れようと、必死に泳いでいるようにも見える。

 だが、違う。

 同じ安本のアイドルとして、自分に足りないものを見つけるために無意識に彼女をトレースし始めた。

 指先がどう伸びて、どう戻っていくのか。つま先をどう踏み出してどこに向けるのか。

 落した視線がどこを見て、どうカメラに帰ってくるのか。

 

 美祢は今までのアイドルとしての経験を全て使って、奥野恵美子をトレースする。

 信じられなかった。本多の話を聞いているからこそ信じられるわけが無かった。

 彼女の映像ということは、生前の姿ということ。そしてそれは、彼女がデビューして3カ月未満の映像ということだ。

 自分よりもキャリアのないアイドルをトレースしきれていない。

 ステージの規模も、経験も劣るはずのデビュー3が月のアイドル。

 その拙いステップも真似ることができない。

 美祢は主たち二人とは違う衝撃を受けていた。

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