百三十八話
「ただいま~」
主は新しい妹たちとともに新しい実家に帰省していた。
「主! 娘たちは無事か!」
「父さん、先ずは言うことあるでしょ」
初めてできた娘に興奮気味の父親に呆れながら、主は正論をぶつける。
「ただいま……戻りました」
「……ただいま」
妹たち二人は、どこか申し訳なさそうに帰宅のあいさつを行う。
綾がレッスン場で見せていた懸命さの宿った強い眼差しはどこかに行ってしまったようだ。
「おかえり」
「おお! そうだ、おかえり。おかえりだな」
主が優しく帰宅を喜ぶと、それにつられたように父親も娘たちの帰宅を喜ぶ。
そんな二人の顔を見て、綾はどこか照れたようにはにかむ。
玲は、どんな顔をしていいのかわからないようで、主の足にしがみついて顔をうずめる。
父親が、改めて二人に目線を合わせて二人の頭を撫でながら再度帰宅を喜ぶ。
「……おかえり」
「はい、……ただいま」
「……ただいま」
妹二人は、顔を紅くしながら帰宅を告げる。自分たちの家に帰ってきたと。
◇ ◇ ◇
「はぁ~、暑っ!」
夕方になり、気温はだいぶ落ち着いてきたがそれでも日中の日差しの残りが、ベランダにいる主を熱している。
家族でタバコを吸うのはもはや主のみ。
実家とはいえ、父親の持ち物である家の中でタバコを吸うのは禁じられている。
交渉の結果、どうにかベランダでの喫煙は認めてもらった。当初の敷地内禁煙ではなくなったのは僥倖と言えるだろう。
「主、ちょっといいか?」
「父さん、やっぱり。……一本いる?」
「いらない! もうそんなもん口にしてたまるか」
嫌われたものだ。もともとは自分だって吸っていたというのに。
しかも、主とともに今まで吸い続けた男が、娘ができた途端に禁煙するという理不尽を行う。
息子と娘で態度を変える親だとは思ってもみなかった。主が少しだけ不貞腐れる。
「で? なに?」
「ああ、あの娘は、綾はしっかりやってるのか?」
「ああ、大丈夫。優しい頼りがいのある先輩もいるし」
主の言葉に納得できたようなできないような、複雑な表情の父親。そんな表情などこれまで一度も見ていないのに、やはり娘は偉大だなと吹き出してしまう。
「お前な! 本当に親心のわからん息子だな!」
「っププ、ごめんごめん。そんなに心配ならさ、自分で聞けばいいじゃん」
「いや~、あんまり干渉して嫌われたくない」
「会話のない親に嫌われるも何もない気がするけど」
「っ~~! お前は本当に嫌な育ち方をしたな」
「教育の賜物です」
父親は主の吸いかけのタバコを奪い、紙が破れるほど強く灰皿に押し付ける。
「もう頼まん!」
「ちょ、……あ~あ。もったいない」
そう言いながら、懐からたばこの箱を取り出し新しいタバコに火をつける。
一息吸い込み、主は笑いながら煙を吐きだす。
あんな父親の姿を見たのは初めてだ。
息子を膝に乗せたこともない前時代の遺物のような父親が、娘ができた途端に父親の初心者になったかのようだ。
どうやら、息子と娘では本当に別物なんだと笑ってしまう。
そして誓うのだった。自分はそうはならないと。
相手もいないのに、何に誓ったのだろうか?
少しだけ、主の胸に虚しさがやってくる。
久しぶりの実家で、主は久しぶりの母親の料理を口にした。
懐かしい味だ。しかしどこか今風の味付けにも感じる。
娘に合わせたのだろうか? 久しぶりの子育てを母親なりに楽しんでいるのかもしれない。
夕食後、主がソファーでくつろいでいると玲が近くに来て、主の膝を見ている。
「どうしたの? ここ来る?」
主が膝を叩くと、大きく玲の首が縦に振られる。
玲はゆっくりと主の膝に乗り、主の手をシートベルトにしてテレビに集中し始める。
「あ! 玲! 先生、ごめんなさい。ほら、こっち来なさい!」
「いいよ、綾ちゃん。僕が来てってお願いしたんだ」
「でも、……ごめんなさい」
兄にしがみついている妹をはがそうとしていた綾の手が戻っていく。
「綾ちゃんもここ来る?」
主が膝の半分を差し出すと、綾は紅くなって手を振る。
「じゃあ、ここは?」
主は自分の隣を叩いて、着席を促す。
少しだけ間をあけて綾が座る。玲とは違いテレビは見ずに俯いている。
主はその空いた空間を潰す様に綾を引き寄せる。
「ここは僕たちの家なんだから遠慮しちゃダメ」
「……はい」
「あとさ、僕のことは家では『お兄ちゃん』って呼んでね? あ、『お兄様』でも可」
「『先生』じゃ……だめですか?」
「え~、寂しい」
「せめて……お兄さんで」
「もう一声」
「お兄ちゃん!」
綾との会話に玲も入ってくる。自分もいるぞと主張している。
「な~に、玲ちゃん」
「うふふ!」
自分に意識が向いたのがうれしかったのだろう。玲は主の膝の上で器用に向きを変えて主の胸に顔をうずめる。
そんな妹を見て、綾が意を決したように主に顔を見せる。
「じゃあ、私のこと呼び捨てにしてください! ちゃん付けは嫌です」
「わかったよ、綾」
「はい、お兄さん」
「あっ! ずるい。お兄ちゃんって呼んでよ」
「……もう少し時間をください」
せっかく見えていた綾の顔が、また主から見えなくなってしまう。
まあ、耳まで紅くなっているところを見ると、どんな顔なのかは予想できてしまうが。
「あっ! 主! お前ばっかりズルいぞ! ほら! パパのお膝にもおいで!」
「パパ!? ……っプ! 父さん必死すぎ」
また知らない父親の一面を見て、主は笑ってしまうのだった。




