百三十二話
「じゃ、そういうことで。ツアー最後の曲も盛り上がっていっくよ~!」
夢乃の言葉に追い付いていない客席は反応できていない。いくら数多くの現場で鳴らしたファンであっても無理というものがあった。
3年目と若いグループからでも、卒業生が出てくるのは仕方がない。メンバー各々に事情はあるし、いつまでもアイドルをすると言うのは、無理なのも理解出来る。
だが、それでもファンが受け入れるには時間がかかるものだ。
「ん? みんな、どうしたどうした? ライブはまだ、終わってないぞ~!」
夢乃だけが、笑顔だった。事情を知っているであろうメンバーでさえ、笑顔を浮かべられないでいる。それなのに、ファンが先程の盛り上がりを見せることが出来るのか。多くのファンは、そんな戸惑いを隠すことができないでいた。
そんな中、ほんの一握りのファンだけが、声をあげる。
「夢乃~! 卒業おめでとう~!!」
夢乃を推しているファンの、ほんの数人が夢乃の卒業を祝いだした。
ある者は、声を詰まらせて。ある者は、涙を流しながら。彼らは、夢乃が笑顔で報告したことに報いなくてはと、複雑な想いのまま、それでも推しの決断を祝福している。
一番戸惑い、一番悲しいはずの彼らが。
ならば、自分達が黙っていては、彼らの決意に水を差すことになる。
大好きな彼女に、別れの祝福をした彼らに。
夢乃を祝福する声は、次第に大きくなり会場が祝っているかのようだ。
「ありがとう~! みんな、大好きだよ~!!」
笑って夢乃が大きく手を振り応える。今このときは、夢乃がこの会場のセンターだった。夢乃が初めて立つ、はなみずき25のセンター。
それは、誰の目から見ても輝いているアイドルそのもの。
夢乃は美祢とは全く違う方法で、会場すべての視線を独占している。それは、メンバーたちには幸運だっただろう。
夢乃の後ろでは、美祢とレミが泣いていた。周りと寄り添うことなく、ただ、泣いていた。
そして花菜は、いつものステージでは見せない表情をしていた。まだ、夢乃の旅立ちを自分の中で消化できていない。一度は納得したが、やはり……夢乃に負けたとは想いたくない自分がいる。
今まで感じたことのない感情の渦が、表情に浮かんでしまう。
他のメンバーもそうだ。納得しようとする自分と納得できない自分がせめぎ合い、とても口を開くことができない。そのせいでせっかくファンが作り直してくれた会場の空気を壊したくはない。
なんとか、このダブルアンコールをやり切らなくては。
想いの丈は違っても、メンバーの方向性が一致した。はなみずき25には、珍しい一致だった。
音楽が鳴り始め、夢乃は自分のフォーメーション位置へと下がっていく。
この日ダブルアンコールで披露したのは、はなみずき25のデビュー曲『冷めない夢』だ。
この曲は、花菜が安本に話した過去の話が元になっている。すなわち11年前、花菜と主が初めて会った時の話。そして花菜の見る夢の話。
とある野外コンサートで乱闘に巻き込まれた花菜を守った主との話。花菜の初恋の話でもある。
忘れられないあの人に、自分の歌声を届けたい。あの涙声のか細い歌声ではない、本当の自分の歌声を。
そして、ありがとうと伝えたい。私はあなたのくれた夢に向かって、ようやく走り始めた。
どうかわたしを見つけてください。あなたにあの時言えなかった、数々の言葉を届けたい。
大好きだと、今でも夢に見るほど、貴方が好きなんだと。
この曲を歌っている花菜は、自然と笑顔を浮かべて顔を紅くしてしまう。
自分が今まで、隠してきた想いをさらけ出してしまうことが、うれしいような恥ずかしいような、むず痒い気分にさせられるのだ。
作詞家安本という、何とも聞き上手な男に余計なことをしゃべってしまったと後悔もしていた。
だけど、花菜はこの歌が本当に好きだった。
だが、今この瞬間はどうしても今までの様に歌えない。
昨日までは、いつものように歌えていたのに。
会場に主がいるからだろうか? それとも夢乃の卒業宣言を聞いたからだろうか?
いつもは、笑顔になるフレーズも二人の顔を思い浮かべると、何故だか心が苦しい。
泣いてしまいそうになるのを必死にこらえて歌い続けるが、全然集中できない。
客席に背を向ける振り付けがあって、よかったとすら思う。
ターンで客席に背を向けた時、2列目の夢乃と、夢乃越しの美祢が視界に入る。
夢乃は自分を励ますような視線を。美祢は、センターがしっかりしないと踊り辛いんだけど、といった視線を向けてくる。
一つの視界に入ってくる、激励と叱咤の視線。
それから目を背ければ、あいのあんたはセンターやろという叱責にも似た視線が入ってくる。
今、はなみずき25の中心で踊っているのは花菜ではあったが、果たしてセンターなのかと。
花菜のじれったいと思う気持ちはメンバーにも伝わり、今までの『冷めない夢』の表現とは変わってきていた。
それは、歌詞の中の少女の感じるもどかしさに似ていた。
聞き慣れたはずの、はなみずき25のデビュー曲。ファンには初披露の新曲の様にも聞こえていた。




