十三話
主が喫煙可能な場所として教えられたのは、屋上のことだった。
主は外で吸うタバコが嫌いだ。風に押された煙は味が薄いし漂う紫煙はすぐに空気に溶けてしまう。
外で吸うと自分の部屋に帰りたくなる。誰にはばかることなくタバコの存在を味わえるあの場所へ。
なにより嫌いなのは、先客がいる時だ。
主が屋上にあがると、案の定先客がいた。まあ仕方がない。昨今はタバコを吸う場所は限られ喫煙可能な場所をネット上で共有するぐらいだ。屋上に上がると主はあたりを見回す。
灰皿のようなものはない。ということは、この場所は公に認められているわけでなく黙認された場所ということだろう。
先客との距離を横目で十分に確認してから、咥えたタバコに火をつける。
ある程度の喫煙者は自分が煙を吐くのは許容できるのに、なぜか他人の煙を浴びるのを嫌うことがある。なんて理不尽なんだろうか? と思いながらも大抵が無用なトラブルな主はわきまえて煙を吐きだす。
半日ぶりの煙は急速に血の巡りに介入し、最近味わうことなかった浮遊感を味わう。
「あの大丈夫ですか?」
目のくらんだ主を心配するように先客が声をかけてくる。かなり年の若い印象の声の持ち主を向くと先ほど見た顔がそこにあった。
「あ、あれ? 美祢さんでしたっけ?」
どう見ても未成年の彼女がなんでこんなところにと、主の頭を混乱させる。
「え? 成人されてたんですね」
「まだJKですけど」
聞いていけないことを聞いてしまったとバツの悪い表情を浮かべる。アイドルと呼ばれる職業の中にはたまに素行のよろしくない人物がまぎれることがある。未成年の飲酒と喫煙は相当数のハイエナたちの飯の種になり消えていく運命だ。自業自得とはいえ何ともやるせない気分にさせられる。
「あの、先生アレ読めませんか?」
そう美祢が指さす先にはデカデカと禁煙の文字が書かれていた。
慌てて火を消しながら釈明を始める主。
「ごめんなさい。ここは大丈夫って聞いたもので」
「多分あっちと間違ったんだと思います」
またも美祢の指さす先に目を凝らせば、おぼろげな赤い光が瞬いていた。
「ごめんなさい、慣れてないもので」
「先生、さっき私がタバコ吸ってるんじゃないかって疑いましたよね?」
主は美祢の前で2度目の土下座をする。
「すいませんでした」
もう何度主は美祢に謝ったのだろうか。またしても謝罪の言葉を口にする。
「もういいですから、疑いが晴れたなら、もう、それで」
「もう一つ謝らないといけないことがあるんです」
「ドッキリのことですか? もういいですから驚きましたけど」
「いや、カバン倒した時に……中身見えてしまって」
「え!?」
一瞬美祢の時が止まった。美祢の頭の中で瞬時に持ち物が思い浮かんでくる。
あれは見られても大丈夫、これは……まあセーフ。などと仕分けが行われていた。
「美祢さんが結び目さんだったんだね」
主の言葉にさっき仕分けていたカバンの中身はどこかに消えてしまった。
「ごめん、結び目さんに渡したの没カバー案のやつなんだ。それでわかっちゃった」
美祢は急ぎ@滴主水の小説を2冊取り出し、カバーを見比べる。
確かに違う。フォントも文字の配置もかわらないが、キャラ絵の構図が違っていた。
「アイドルだったんだね。道理で……」
主はその先はつづけなかった。
沈黙が二人を覆う。
「あ、そういうことか」
主の頭に急速に繋がるものがあった。
「え?」
「あの、君が謝ってたこと。ようやくわかったよ」
「あ~、そうですよね。わかりづらくってごめんなさい」
美祢が改めて謝罪する。
「いいよ、もう謝らなくって。どっちかって言うと感謝してるよ君には」
「え?」
「だってさ、やったこと無い仕事ばっかりだからさ。新鮮で面白いよ、ここ最近は特に」
「ドッキリの仕掛人でテレビデビューもしましたしね?」
美祢の鋭い返しに思わず美祢を凝視してしまう主。
それを見て美祢は笑いだす。つられて主も笑ってしまう。
ひとしきり笑い会うと、主の脳裏にはさっきまでのライブの光景が浮かんでくる。
「それにしても最近のアイドルさんは凄いね。あんなに動いて歌って」
「そうですね。みんな凄いんです!」
「君だってメンバーでしょ?」
その言葉に美祢の表情が曇る。
「メンバーですね、一応」
美祢は大きなため息を足元に落としてから空を見上げる。
「握手会覚えてますか? 花菜はあんなに応援してくれる人いるのに、私はガラガラ。あれが毎回なんです、私は特に目立つこともなく、周りのみんながアイドルだからアイドルでいられるんです」
その表情は年齢より大人びて見える。笑った時とのギャップに彼女が同じ人物であると思えない錯覚に陥る。そして主はまだまだ自分の小説に足りないものが多いと言われる理由が分かったような気がした。
人物を描写しているようでキャラクターの描写なのだろうと一人納得するのだった。
「それに比べて先生は凄いですね。新刊発売ににテレビまで使ってプッシュされるんだから」
「いや、凄くないよ。今ちょっとわかった」
「え~、そうですかね? ……ねえ、先生。アイドルってなんですか?」
主は唐突に投げられた質問に答えが詰まる。
主が好きでライブに行っていた時、ステージには間違いなくアイドルがいた。
あの時自分はなぜ、あの娘たちをアイドルだと認識していたのだろうか? 唄だろうか? ダンス? そう言う触れ込みで売り出されていたから? 否。
「きっと笑顔だよ」
「笑顔?」
「誰か個人のためじゃなくみんなのために笑顔をくれる人じゃないかな?」
そうあの遠い記憶。笑顔が見たくて、近くで見たいがためにライブに通っていたような気がする。主はどこかに押し込めていたあの日の記憶を今はじめて言語化してみた。
少しの違和感を覚えるその言葉。どう違うのか言葉にならない違和感は残るが今はそれが精一杯だろう。
「笑顔で変わるんですか?」
「笑顔は偉大だよ? この世の中に残る最後の魔法だからね」
「笑顔が魔法?」
「そう、つらい時でも笑顔は意外と理にかなってるんだ、笑顔が感情をだましてくれる時だってある。だから大抵のことは笑顔で対処すれば、絶対大丈夫だし無理難題に思えてもしょうがねーなー! で、すむことだってそこそこはある」
「最強の呪文二つ並べてそこそこなんですか?」
主は満面の笑みで答える。
「ああ、魔法は万能ではないからね。魔法とプラスのなにかがあれば最悪はないし、最良は無理でも最善はできるかもしれない。それと涙も重要、笑顔と泣き顔は疲れた心の薬にもなるから」
「なんかちょくちょく小説のセリフ入れてません?」
「バレた?」
しばし笑いあった時間はすぐに過ぎて行ってしまう。
「あ、撤収の時間!」
走り出した美祢を主は呼び止める。
「明日のイベントで、3回笑顔をファンの人に見せてみると良いよ。君の魔法は特別だから!」
「……はい!」
美祢の笑顔の余韻に浸りながら、懐のタバコを咥える。ひと口煙を吐いたところで美祢の姿をドアのほうへ求めてしまう。
「……あ、禁煙だった」
誰かに見られたわけでもないのに主の顔は少しだけ紅く染まっていた。