百二十三話
「教えてください! 賀來村先輩のこと!!」
んーと考えた後主は壁に寄りかかり腰を下ろす。そしてチョイチョイと恵美里を呼ぶ。
素直に主の近くに腰を下ろした恵美里に、主は去年のことを思い出しながら話し始める。
「僕から聞いたって、内緒ね。ま、本人に言ったらバレるんだけど。今日みたいに一服して戻ったらさ、恵美里さんみたいに美祢ちゃんが踊ってるの見つけたんだ。で、声をかけたらさ、『先生、アイドルってなんですか?』って」
主の言葉に恵美里が驚いたように声を上げる。
「賀來村先輩がそう聞いたんですか!?」
「うん、君にどう映ってるかわからないけど。美祢ちゃんはね、アイドルの自分に全然自信なんか持ててなかったよ」
「……うそ」
主は首を振り、本当だと告げる。
「美祢ちゃんはね、その前にも『私はみんながアイドルだからアイドルなんです』って言ってたよ。ステージでもね、全く笑わないし、ドッキリで泣いちゃうしね。なんでアイドルやってるんだろうって不思議だった」
だが、主は思う。アイドルではなく個人として初めて会ったあの喫茶店で、笑った姿は本当にアイドルのようだったと。だから、ドッキリ後に正体がわかった時は、素直に納得できた。
話してみたら印象とのギャップで疑問が出てきはしたが、それは美祢なりの何かがあるのだろうと口にはしなかった。
「で、先生はなんて言ったんですか? アイドルの定義」
「うーん、本当にありきたりだけどね。『笑顔』って答えた」
「笑顔ですか」
腑に落ちない表情の恵美里にまたしても吹き出しそうになる。
必死にこらえた主は、最近の美祢を思い出す。
「でもね、笑顔の美祢ちゃんは、やっぱりアイドルだったよ」
「……笑顔」
「それに、ダンスも難しい顔で踊ってるより笑って踊ってるほうが楽しいんじゃない?」
「それは……まあ」
主は立ち上がり、恵美里の頭を軽く撫で、レッスン場を後にする。
主の後ろから、怒ったようあ恵美里の声が届く。
「あ! ちょっと、先生! 匂いついたらどうするんですか!?」
「うん、やっぱり別人だね」
悪かったと、後ろ手に手を振り恵美里の声から逃げるように自分お部屋を目指す。
小走りで去っていく主の背中を見つめながら、恵美里は主に触られた頭を手で抑える。
「もう、デリカシーないんだから! ……もう」
恵美里は主の背中が見えなくなると、元の位置に戻り正面の鏡に集中する。
主の指摘通り、自分の顔が笑っていないのに気が付くと、二・三歩鏡に近寄り映った自分の顔をにらめっこをはじめる。
さっきの主の言葉を思いだし、両手で口角を上げてみたり、逆に下げてみたり。かと思えば、左右を非対称にしてみたりと、英美里は鏡に向かって百面相を始める。
少し経つと、鏡に映る自分があまりにも滑稽で、ふと我に返る。
「なにやってんだ、私は」
主を信じて紅くなった顔は、何故だか自然に笑えているような気がする。
今だ! と、英美里は習ったばかりの基本のステップを忠実になぞっていく。
何故だろう?
さっきまで違和感を拭えたかった、自分の踊っている姿が噛み合ったようにしっくりとくる。
@滴主水の言葉を聞いたせいか、自分の姿に先輩である賀來村美祢の姿が重なる。
いや、重なるなんておこがましい。
自分の中の賀來村美祢でさえ、英美里よりもアイドルらしく振る舞っている。
悔しい、正直悔しい。
自分と美祢の差が、こんなにも開いているのかと。これで同じステージに立てるのかと。
だか、差があればあるほど、なぜだか楽しい。
目指したアイドルとは違うが、自分の先輩が自分が思っているよりも凄いことが、嬉しく頼もしい。
早く本物に会いたい、早く同じステージに立ってみたい!
英美里は逸る気持ちを抑えて、忠実にステップを重ねていく。
「野崎! 今何時だと思ってる!」
気分が最高潮に達しようとした頃、英美里の背中に怒声が投げられる。
「ほ、本多先……生」
踏み出した足はそのままに、英美里は身体ごと振り返る。
そこにいたのは、振り付け師の本多忠夫だ。
本多の言葉に時計を見れば、主と話してから1時間が経っている。
本多は寝起きだと隠しもしない、半眼を張り付けている。眉間には、英美里がこれまでの人生で見たこともないような深い深いシワが刻まれている。
「寝るのも仕事だと、俺は言わなかったか? 何で寝るのも仕事なのかも言ったな?」
本多の言葉に辛うじて頷き、話は聞いていたことを伝えると、理由を言ってみろと本多は眼で促す。
「……美容の、大敵……だからです」
「お前はアイドルだ、そうだな?」
本多の言葉に、大袈裟に首を振り肯定する。
「だったら! さっさと寝ろ! うるさくてかなわん!!」
「は、はい!」
脱兎のごとく逃げ出そうとする英美里の襟を掴み、本多は待てを強制させる。
「レッスンしたなら、レッスン場の掃除をしろ!」
「イエッサー! ボス!!」
「やっと思い出したか。さ、やれ」
時計の長針が頂上で短針を追い越す頃、ようやく英美里は本多から解放される。
逃げるように走り去っていく英美里に、本多は美祢の姿を思い出す。
「まったく、余計なところだけ似てやがる」
声をかける数分前に、英美里と美祢を見間違えたことを思い出す。
なぜだか、眉間のシワは緩み、口角が上がってしまう本多であった。




