百十六話
「……ごめんね。嬉しいけど、私は既婚者だから」
主のあまりの熱烈具合に、ヤスマサはなにやら勘違いを発症していた。
「……先生」
「2人とも! 離れて!」
美祢は悲しそうな目で主を見つめ、花菜は強硬手段で二人を引きはがしにかかる。
「ちょ、ちょっと! 高尾さん、何!?」
「ねえ? 多分アイドル差し置いてこんなオッサンに駆け寄ったから怒っちゃったんじゃない?」
心配そうな表情の下で、『何この状況! 面白っ!』と内心ワクワクが止まらないヤスマサ。
「そうは言っても、看護師時代に業務でも小説でもお世話になった本なんだけどなぁ」
「あらやだ、元看護士さん? 見えないわね」
「まあ、そんなに真面目な看護師ではなかったので」
少し小さくなりながら頭をかく主。それに気が付かない花菜は、ついつい話を広げてしまう。
「先生? 看護師と小説って?」
「ああ、あ~……言っていいのかなぁ。まあ、なんていうか。最期のお見送り前に、綺麗に身支度してあげるときの化粧の仕方とか……色々ね、医療現場での化粧の知識は役に立つんだよね」
聞かれたこととはいえ、あまり楽しい話題でもないのは理解している。病院以外の社会では忌避される話題なのだ。
「へー、あんたしっかり看護士してたのね」
「え?」
「いやね、たまに病院で講習会するけど。意外と興味持たれないのよね、特に女社会だし。最近やっと重要性叫ばれてるけど、まあ、それ専門の業者もいるからねぇ」
主には耳の痛い話である。ヤスマサの著書に興味を持ったのは、8割がたシャーマニズムと歴史の項目だったからだ。仕事に結びつけたのは、高い専門書が経費で落ちるからという1点だけだった。
「で? 小説の方は?」
さして気にしない様子の花菜。そういった話題の内容より、主のことをもっと知りたいとその顔は言っている。
「あ、ええっとね。ファンタジー書いてた時に未開の部族がなんで化粧するのかって話を書いたんだよね。そこで化粧の意味と、音楽と踊り関連性のところで注釈にヤスマサ先生の著書から少しアレンジして、あとは魔法要素とミックスして……みたいに使わせてもらったの」
「へー」
花菜の意識は話の内容よりも、主の表情の変化に注目されていた。
先ほどとは違い、子供が自分の発見を誇るような、そんな無邪気さが垣間見えたのだ。
病院での話の少し暗い表情から一転、そんな見え隠れする無邪気さの一面に、花菜は萌えを理解していた。
なるほど、これがギャップってやつか、と。
「あっ! 『誰がために』のオーガ部族ですよね! あれ好きだったんですよ、なんかファンタジーと現実がうまくミックスしてて、フフフ、何故かお相撲するですよね!」
「そうそう! ほら、現実の歴史でもさ、どこの国でも音楽と踊りと取っ組み合いって存在するじゃない? それをね、こう上手くごちゃ混ぜにできないかなぁ~って。もしかするとあと何年かしたら漫画であれ見れるかもしれないんだよ~!」
「え~!! 見たい! すっごく見たいです!! あとあと、ボクシングシーンも見たいです!」
主が原作を務めてる作品群『魔術創世神話』シリーズ。それをコミカライズしている漫画家の傘部ランカが、すべてを描き切って見せると言っていたのをそれとなく匂わせてしまう主。
本来なら大問題なのだが、それを忘れている。これが他社にでも漏れたら残念ながらこの場に居合わせない担当編集牧島にも類が及ぶことだろう。
そんなこととは関係なく、花菜は面白くないと態度で示してしまう。
せっかく主を知る良い機会だと思ったら、横から美祢に会話を奪われてしまったからだ。
元々、美祢は@滴主水のデビュー前からのファンだ。共通の話題である作品については美祢に一日の長がある。……いや、そもそも花菜は主の小説を読んですらいないので、完封負けである。
そんな花菜が取れる最大限の1手を打つ。
「先生の小説、私も読んでみたいんだけど」
少しスネた感じを出しつつ、普段はステージ上でもやらない可愛さを演出して見せる。
「え? ……あ~、うん! 事務所に本送っておくね。それじゃヤスマサ先生、またどこかで」
花菜のセリフを聞いた途端、主は力なく笑いそそくさと担当編集達が待つロッカーへと去っていく。
思っていた反応ではなかった花菜は、何が起きたのか理解できないでいた。
そして、美祢は異常なほど怒っている。
「花菜~!!! あんたって本っっ当!! デリカシー皆無なんだから!!」
「え? なんでよ」
花菜には美祢が怒っていることに、さっぱり見当がつかない。
「あのね、はなみずき25のメンバーもかすみそう25のメンバーも全員、先生の小説! 毎回貰ってるんだからね!!」
「……? …………あ、あああ!!!」
そう、仕事仲間であるはなみずき25のメンバーと、かすみそ25のメンバー含め事務所のスタッフ。そして各番組のMC陣には新刊の発売の度に、主は全員分の本を事務所や楽屋に置いてきていたのだ。
一応、花菜も認識はしていたのだ。事務所に不釣り合いな本があるなと。認識だけはしていた。
「あー! そう言えば……番組でも貰ってた」
そう、あの時の花菜はドッキリに掛けられたということに囚われていたが、疾風迅雷伝の第一巻は番組中に手渡されてもいる。
それを今さら、読んでみたいと言われてしまっては……。
「あの人、可哀想ね」
「わざとじゃないよ!!」
「余計に悪いよ」
そして、この場に花菜の味方はいなくなった。
「ああぁぁ……」




