百十三話
「また、今年も俺の独壇場かなぁ? なあ?」
「それはそうですよ! 中本先生といえば試合も、女の子も! もちろんですとも」
一人ジャージではなく、日本代表のレプリカユニフォームをまとってピッチに登場した男。
ペンネーム中本伏雛こと、仲本忠司。一般文芸のジャンルでそれなりの売り上げをキープし続けるある種の天才である。
時折映画化などのメディアミックスもあるが、基本的に爆発的ヒットというものはない。
それでも大学卒業後から活動を始め、今年で作家生活13年という大ベテランだ。
付き従う編集者も彼の太鼓持ち以外の仕事を、ここ数年まともにしていない。いわゆる中本番というやつだ。
「おい、あそこやけに若い子が集まってるじゃないか」
「え? えーっと、……ああ! 丸川出版の佐藤がいますね」
「丸川か。……っチ。……ん? お、おい、あれ! 水城晴海じゃないか!?」
佐藤の隣にいるやけに身長が高い少女の姿をみつけると、中本の様子がおかしくなる。
「あ! 本当ですね」
「本当ですねじゃないよ! こっちの誘いは断ったくせに、丸川で参加するってどういうことだ!」
「あ~、……先にあちらだったのでは?」
「っっ!! ……おい、行くぞ」
中本は近くにころがっていたボールを主たちの方へと、強く蹴りだす。
「あぶな~い!!」
わざとボールを蹴った本人が、わざとらしい声を上げて主たちに注意を促す。
中本の放ったボールは、一番手前にいた美祢へと飛んでいた。
もう目前に迫ったボールに萎縮してしまった美祢は、せめてもの抵抗として目を強くつむり身体を硬直させる。
美祢の体を押しのける強い力が加わったかと思うと、もう到達しているはずの衝撃は無く、美祢がぶつかった時に起きるであろう周囲の悲鳴すら起きなかった。
薄目を開けて美祢が確認すると、美祢とボールの間に主が割り込み美祢との衝突を防いでいた。
しかも恐怖を覚えるような勢いを持っていたボールは、主の足元に静止している。
思ったほどの事態が生じなかった中本は、申し訳なさそうな顔の下で舌打ちしなが主たちに声をかける。
「まさかそっちに飛んでいくとは思わなくって」
「いえ、危ないので気を付けてくださいね」
そう言って、主は足もとにあるボールを中本の方へ蹴りだす。短い放物線を描いたボールは中本の足元に着地すると、本来進むはずの中本の足元を嫌い元の位置を目指し、勢いよく進んでいく。
「ボール返す前に、この娘に謝ってもらえますか? 危うくぶつかる所でしたので」
足元にきたボールを、つま先から肩まで駆け上げさせると肩でバウンドさせてキャッチする。
主のその眼はいささか冷ややかなものへと変わっていた。
「あ、ああ。すまなかったね」
どこかで見たことのあるボールの扱いをみて、中本の背筋に冷たいものが落ちていく。
それでも中本は自分が強者であるという立場を崩そうとせず、遅れてきた編集者に自分の名刺を要求し主たちに配る。
「僕は中本伏雛。作家をしている、よろしくね」
美祢と花菜と水城は、同じ作家である主と中本を見比べる。かなりひいき目があるとはいえ、同じ作家でこうもまとう空気が違うのかと、佐藤と主の背に隠れる。
思った反応でなかった中本は、若干引きつりながらも主へ手を差し出す。
主は握手の代わりに、中本に自分の名刺を握らせ返礼する。
「大ベテランの中本先生にお目にかかれて光栄です。新人の@滴主水といいます」
「新人の@滴くんか、……よろしくね」
中本の手の中で、主の名刺がぐにゃりと曲がる。
笑っているように見える顔も、きっちりと目で威嚇していた。
「@滴……@滴主水……っ! あ~! 去年投稿サイトで有名になったあの新人!! 丸川に行ってたのか!」
ぽっちゃりとした編集者は、@滴主水の名前に意図せず大声を上げてしまう。
その声に他社の編集者が、一斉に主の方を振り向く。
その眼は獲物を見つけた猛禽類に似ていた。
「おい、行くぞ」
「え? あ! 待ってください、中本先生!!」
注目が集まるのを嫌ったわけではなかった。自分に注目が集まらず、引き立て役になり下がるのを嫌い中本は踵を返す。
「なんなんだ! 新人のクセに!!」
手に持っていた曲がった名刺を投げ捨てようかと、中本が振りかぶるとその中の文字がやけに気になり覗き込む。
「@滴主水だと、ふざけた名前つけやがって。……佐川……ちから? 佐川主……」
ふいにさっき主が見せたボールの扱いを思い出す。
遠い昔、高校での部活中。試合でマッチアップした選手を思い出す。
一学年上に、その地区では有名な選手がいたのを仲本は思い出した。
驚異的なタッチセンスで自在にボールを操り、その右足から放たれたボールは意のままに飛んでいく。
あまり大柄な選手ではなく、次第に埋もれていくのだが、数少ないマッチアップした選手はあまりの脅威からその選手をこう呼んだ。
「……悪魔の右足」
当時、仲本少年が憧れ是が非でも勝ちたかった男が、再び中本の前に現れたのだった。




