百十話
「まったく!!! 先月私が講義したばっかりだって言うのに! なんであんたは! 何もしてないの!!!」
初のモデルの仕事現場に到着するなり、メイクの担当者にこっぴどく怒られてしまう美祢。
どうせメイクするんだからすっぴんでもいいよね? と、いつも通りの装いで出向いた結果だった。
「あんた! 日ごろから日焼け止めすらしてないでしょ!? まったく! あんたは男子高校生以下よ!」
「やだな、銀司さん。日焼け止めくらい使ってますよ。……夏に」
「信じられない! あと、私のことはシルバーさんって呼びなさいって言ったわよ」
美祢のメイク担当者、新進気鋭のメイクアップアーティスト。ヤスマサ・ザ・シルバーこと保政銀司は、はなみずき25のメイクの講師を数回行っている、いわば顔なじみのメイクさんだ。
はなみずき25の美容番長こと、園部レミの師匠的存在でもある。
この男がメイクアップアーティストとして、一躍有名になったのには訳がある。
まだ駆け出しの頃、ヤスマサがSNSに投稿した1枚の写真が瞬く間にヤスマサを有名にしたのだ。
それは自身の結婚式の写真。新郎と新婦がともにウェディングドレスを着ている写真だった。
その当時Wウェディングドレスも目を引いたが、新郎であるヤスマサが見事にウェディングドレスを着こなし一瞬ではあるがどちらが女性なのか分らないと話題になったのだ。
それからヤスマサには多くの仕事が舞い込むようになり、体形の維持に掛ける時間もなくなり、今では当時の面影など無くただの30歳男性の姿となっている。
それでも、美容への探求やメイク術の研鑽は怠らず、第一線で活躍している。
はなみずき25には講師としてだけでなく、ツアーのメイクやMVのメイクなどで度々一緒に仕事をしている。
そんな比較的に気安い関係性ではあるが、少し前まで大人に対して人見知りを発症していた美祢には、まだ苦手な部類の人物ではあった。
しかしセンターに立つようになり、美祢は見られるということを少しずつ意識するようにはなっていた。なっていただけだが。
よく考えてみれば、こうして怒られていることも何もマイナスではない。
見込みがあるから怒られるのだ。と、怒る側の理論で納得してみる美祢。
「な~に笑ってるの」
「いえ、そこまで熱心に怒ってくれるなんて、……うれしいなぁって」
「そりゃ怒るわよ! 仕事増やされるんだから!!」
「うわぁ~、自分本位だったかぁ~」
思っていた答えが返ってこなかったことに落ち込む美祢。
ヤスマサは少々きつめのフェイスマッサージをはじめる。
「ちょ、ちょっと、痛いですってば!」
「まったく、素材だけで勝負できるって言うのは強みかもしれないけどね。そんな時期は短いんだからちゃんとやらないと。……好きな男できたときに、将来泣くわよあんた」
「っっ!!」
「あら、もういたの? だったらその男に捨てられないように頑張らないと」
「付き合ってはいません!」
なんてこの娘は素直なのだろうかと、目を細めながらも手の力は一切抜かないヤスマサ。
自分が監視されているとも知らずに、自分の内面をさらけ出すなんて。他の安本のアイドルの中でも一番危ういのではないかと心配になってしまうヤスマサだった。
さて、安本のアイドルに手を出す剛の者はいったい誰なのか。
監視員の役割を担っているからには、聞きださないといけない。
決して自分がゴシップ好きだからではないと、言い聞かせて表情には出さずにズカズカと踏み込んでいく。
「なに? 片思い中なの? 誰々?」
「痛っ! いません、いませんってば!」
「へー、ほー」
「痛い痛い! 本当です!」
いや、すでにいると言っているんだけどなぁ。と思いつつ、まあ言わないならそれはそれで。
楽しみは後に取っておこうとニヤリと表情を崩すヤスマサだった。
「さて、お遊びはこれくらいにして。メイクしていくからね」
「えっ! あの痛みなんだったんですか!?」
「無駄じゃないわよ……多分」
納得できない様子ではあるが美祢は、素直に顔面をヤスマサに差し出す。
ヤスマサは雑誌側の指定に合うように、美祢の顔を仕立て上げていく。
時折、目をつぶったままの美祢に美祢に似合うマスカラの色や、美祢の眼の配置的に合うシャドーの書き方などを口にしながらも手は一度たりとも止まることなく動いていく。
鏡の中にいる今ま会ったことのない自分と対面した美祢は、何故か高揚している自分がいるのに気が付く。
「ネ? メイクも悪くないでしょ?」
今までメイクしてきたのにもかかわらず、なぜ今そんな感情になるのだろうか?
美祢は不思議に思うが、ふと誰かの顔がよぎる。
「あの……写真撮ってもいいですか?」
そう何となく、何となく、今のこの顔を残しておきたい衝動に駆られてしまう。
「今からまさに写真撮るんだけど……まあ、いいんじゃない?」
その後数時間に及ぶ、メイクと着替えもなんだか楽しめてしまった美祢。
美祢のスマホのフォルダがかなり潤ったのは、花菜には内緒にしようと思う美祢であった。




