百七話
はなみずき25とかすみそう25の両メンバーにもみくちゃにされている花菜を、倒れ込んだまま横目でみて主は天を仰ぐ。
この企画は少なくとも、年齢を言い訳にして彼女たちの足を引っ張ることもなく、終えることが出来た。
「……上出来上出来。っゴホォゴホォ! っ……はぁ」
未だに呼吸筋は言うことを聞かないが、心は晴れ晴れとしている。
美祢のあの走りをみて、奮起した自分は彼女の些細な願いを叶えることが出来たのだろうか? などとは欠片すら浮かんでこない。
まさに全身全霊で、彼女の願いを叶えるべく迷いもなく動くことが出来たのだ。
そして待っていた花菜へと、すべてを託すことができた。
なんて清々しいのだろうかと、主は身体がいうことを聞かない現状でさえそう思うことが出来た。
女の子の期待を受けて、全力を出し切る。世に言う1軍という輩たちの何とズルいことか。この心に落ちてくる清々しさと、湧きあがるものを10代で知っているのか。
もし自分が彼女たちと、同じ年代に生まれることができていたら。
もしかしなくとも無かった、彼女たちと過ごす青春期、暖かく満たされた妄想へと旅立とうとする主を呼び止める声がする。
「先生! 起きないと身体が冷えちゃいますよ」
下がってきたまぶたを押し上げると、眼前には美祢の顔だけが映る。
倒れたままの主の顔を覗き込む美祢、その顔も晴れやかなものだった。
「ほら! 立ってください」
主に向けられる美祢の笑顔。
その美祢の顔に、今は見られなくなってしまった女性の笑顔が重なる。
似ているわけではない。しかし、遠い記憶を呼び起こす。
あの若かった頃の自分が、あの女性を見て何を想い、何を感じていたのか。
焦れるような、あの熱い何かが胸に再び灯ったような気がした。
差し伸べられた美祢の手を見て、ポツリと主がこぼす。
「あ、わかった気がする」
「……? 何がですか?」
見下ろす美祢の顔が何時もよりも輝いて見えるのは、汗のせいだけだろうか?
「美祢ちゃんが前に言ってた、アイドルって何かってやつ」
「教えて下さい!」
差し伸べていた手を引いて、主の顔のそばに座り込む美祢。半ズボンから見える足に顔を赤らめながら自分の答えを話していく主。
「あの時は笑顔だって言ったけど、笑顔もひとつの要素なんだろうけど、もっと……そう! 例えば美祢ちゃんを見ている誰かが勝手に頑張らなくっちゃって思ったら、もう美祢ちゃんはアイドルなのかもしれない」
「私を……見て?」
「そう! なんかこう、見てたら動き出さないと済まないような、感情の高ぶりみたいなのがさ、アイドルの条件なのかも」
起き上がろうともせずに、熱く語っている主に声がかかる。
「だったら、先生もかなりアイドルしてたよ」
2人でたたずんでいると、先程まで主役の位置にいた花菜がメンバーの輪を外れてすぐそこまで来ていた。
「僕も?」
花菜が見せた屈託のない笑顔は、いつものアイドルスマイルではなかった。
心の底から笑っている貴重な、花菜自身の笑顔だった。
「うん! 私、頑張ってたでしょ?」
花菜の美祢の笑顔を見ると、遠い昔に失くしてきた何かが今になって戻ってきたような気がした。
「さすが。センター任されるだけあるね、アオリが上手」
「そんなこと無いですよ、私も今ウズウズしてますから」
美祢と花菜が、揃って主に手を差し伸べる。もう、さすがに起きないといけないらしい。
せっかくの余韻がもったいない気もするが、 この2人の好意を無下に出来るわけはない。
「っよっと! じゃあ、行こうか」
二人に引き起こされた主は、ジャージに着いた土を軽く払うと美祢と花菜の二人を見比べる。
この二人は、どことなく似ている。顔だちも成長具合も全く違う二人なのに、そのたたずまいが似ているのかもしれない。
だということは、花菜も彼女に似ているのかもしれない。
主は二人の頭を軽く撫で、手を振りながらメンバーに囲まれているMC陣へと歩いていく。
2つのグループ合同のCDヒット祈願企画は、最後MC陣が大成功を宣言すると24人が飛び跳ねながら喜んでいる映像で収録が終わる。
時は12月27日、年内最後の収録だ。撤収作業が終わると、タレント陣、製作陣の大半は番組からの慰労として予定されていた忘年会へと会場を移す。
賀來村美祢、高尾花菜、佐川主にとって激動にも思える1年がもうすぐ終わりを告げようとしている。
いつものラジオでの些細な一言から始まった、いくつもの出来事。
主は作家デビューを果たし看護師を退職。疎遠であったアイドル業界でまさか自分が仕事をするなど思いもしなかったことが起きた。人生で一番変動のあった一年といえるだろう。
美祢は憧れの作家が自分達の一言でデビュー。しかも自分を主役に作品を作ってもらい、そのおかげでソロ歌唱、別グループ兼任、初のセンターと美祢のアイドル人生が変わった一年といえる。
花菜にとっては、初恋の人との再会。そして美祢との衝突、メンバー脱退に伴う敗北感とめでたい1年であったとは言えないが、そこに伴う感情の変化は、はなみずき25の絶対的エースをより大きくさせる変化となるだろう。
そう、皆が思うのだ。こんな刺激の多い年はそうないだろうと。
しかし、彼らは知らない。
いたずら者の神は、嬉々としてさいころを振る。とてつもない高さから。
その出目がいつ出るのか、神はそれすら喜んで見守るだろう。
彼らの激動は、その1回目のバウンドでしかないということを知らないのだ。
美祢も花菜も主も、この先に何があるのかさえ知らぬまま、今はこの場にいる皆と共に笑い合う。
美祢と花菜、16歳。主36歳の冬はまだ始まったばかりだ。




