百六話
陸上競技で中距離走というのは、過酷な競技として知られている。
特に800M走は陸上競技者の中でも、最も過酷な種目として認知されている。
今回、はなみずき25とかすみそう25に課せられた、800M×25を75分とはどれほどの基準なのだろうか?
一人平均3分。それは陸上競技を部活で行っていて、なおかつ中距離を専門としているなら中学生女子でも数十秒の余裕をもってゴールできるタイムだ。
しかし、はなみずき25にもかすみそう25にも陸上経験者はいない。中距離も学校の体育で走ったことがある程度だ。メンバーの中には走るのが得意なメンバーもいれば、もちろん不得意なメンバーも在籍している。そして、もう一つ懸念材料がある。
25人の走者の中に、中年のオッサンが混じっていることだ。しかも、ヘビースモーカーで運動不足を認識しているオッサンが。
さて、このヒット祈願企画。企画として成功させる気があるのだろうか? 山賀をはじめMC陣は疑問を感じざるを得ない。
だが制作の判断が下り、こうしてロケにまで到達した企画ならば、メンバーと巻き込まれたオッサンには気の毒だが成功してもらわないといけない。そこにはMC陣も強く言えない、『はなみずきの木の下で』と『かすみそうの花束を』の両番組の統括プロデューサー安本の意思が介在しているからだ。
MC陣は必死に笑いになるような掛け合いをしながらも、心の中では4人ともに頑張れと声にできないエールを送っていた。
第一走者の渋谷夢乃。本人は認めないが、はっきり言って脚は遅い。
息も絶え絶えとなりながらも、第二走者の園部レミへとバトンを渡した時にはもうすでに予定の3分を超え4分10秒でバトンリレーがされた。
1分10秒の超過。
しかし倒れこんだ夢乃を誰も責めることなく、冷えないように自分達のダウンのコートまで使い夢乃を介護する。
夢乃が必死に届けたバトンは、レミが何とか2分54秒という好タイムで第三走者へと渡される。
第三走者、かすみそう25の最年少トリオの一人、橋爪有理香。普段は無口で、美祢もあまり声を聴いたことのない彼女は、倒れこみながらバトンを運んできたレミの一言告げる。
「お姉ちゃん、あとは任せて」
そう言った有理香は、まるで中距離の現役選手かのような快走を魅せる。
400Mのトラックを2周するこの競技、2周目も失速する様子もなくまるで短距離走をしている速度で第四走者へバトンを渡したのだ。
そのタイム、中学一年生女子としては最速域になる2分30秒。
夢乃が超過した1分10秒を、レミと有理香の二人で36秒も巻き返すことに成功したのだった。
そこからは、一進一退の展開となる。
超過したタイムが、40秒となる場面や20秒となる場面が繰り返されていく。
そして第23走者、賀來村美祢が緊張した面持ちでレーンに入る。
第22走者の佐々城美紅が、バトンパスの区間に入った時点で経過時間はすでに67分を過ぎている。
残りの走者は美祢を入れて3人。一人2分30秒台で走らないと企画失敗となる。
主は時間表示を見て、かなりのプレッシャーを感じていた。
2分30秒台、主の学生時代ならば十分可能性のあるタイムである。
しかし、現在の主ではかなり難しいと言わざるを得ない。
そんな不安そうな表情を浮かべた主に、花菜が近付いて笑顔を見せる。
「先生、大丈夫だよ。美祢はすごいから」
花菜の信頼しきった表情。それを見ても不安がぬぐえない主はレーン上の美祢を見る。
美祢は一瞬目を閉じて胸元をギュっと握り、目を開くと手を上げて美紅を呼ぶ。
もつれた足取りで、どうにか美祢へとバトンパスする美紅。ここまでの経過時間は67分34秒。残り時間は7分26秒しかない。
美祢は美紅に笑いかける。
「美紅、ナイスラン!」
「え? パ、パイセン、今……」
呼ばれ慣れていない美祢の言葉に、疲れ果てた顔を上げる美紅。
もうそこには美祢の姿は無かった。
あっという間にコーナーに入り、バックストレートをまるで矢のような速度で駆け抜けていく。
美祢の走りに、はなみずき25とかすみそう25のメンバーが入り乱れて興奮している。
全員が足を震わせながら立ち上がり、美祢を少しでも後押しできるようにのどが張り裂けるほど叫んでいる。
それに応えるように、美祢の足はさらに速度を上げる。
美祢の走りに感化され、主の表情にも力が戻ってくる。
主は小走りでレーンに入り、すぐそこまで来ている美祢に手を上げて呼び込む。
バトンパス区間ギリギリでバトンを受ける主に美祢は、最後の力を振り絞って声をかける。
「先生……お願い!!」
「任せて」
大丈夫、仕事でもいつも走っていたじゃないか。そう自分を鼓舞して、今にも張り裂けそうな肺に空気を取り込み瞬間止める。
主は受け取ったバトンを持ち換えて、大地を蹴る。
1週目、周囲の予想を超えてかなりのハイペースで走り抜けていく主に、MC陣も興奮して大声を上げてしまう。メンバーたちも主の奮闘にさらに興奮を増す。
2周目、速度は落ちはしたがそれでもオッサンにしてはハイペースを保っている。バトンパス区間に花菜が見える。張り裂けそうなほどの痛みが肺を襲っている。足は乳酸がたまりすぎて、まるで重りを付けられているようだ。
それでも主は足を前へと放り出す。1秒でも、0,1秒でも速くと。
バトンパス区間の中間で、転びながらも花菜へと繋いだそのタイムは、中年男性としてはかなり速い2分50秒という好タイムだった。
しかし、2分30秒を20秒超えてしまっている。
だが、花菜は転んだ主を見もしないでうっすらと笑みを浮かべながら疾走していく。
美祢と同等、もしくはそれ以上のハイペースでトラックを周っていく花菜。
2周目は流石の花菜も笑みが消えて、やや苦悶の表情を浮かべながら走っている。
スピードは少しだけ落ちたように見える。それでも花菜はゴールへと走り続ける。
花菜はゴールの瞬間、少しだけ胸を張りゴールのタイムの短縮を謀る。
花菜のタイムは2分25秒。
競技場にいたスタッフ含めた全員が、一斉にトータルのタイムへと注目する。
74分59秒。25人が繋いだバトンは、目標タイムを1秒だけ残してゴールしていた。
全員が歓声を上げて、近くのメンバーを抱き締めながら喜びを表現していた。
そんな中、花菜だけが少しだけ悔しそうな笑みを浮かべていた。
「あ~あ、やっぱり……美祢には勝てなかったか」
直後、花菜は駆け寄ってきた両グループのメンバーにもみくちゃにされ、照れたような笑顔を画面に映すだけだった。
その内にある複雑な感情が映し出されることはなかった。




