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百二話

 ひとしきり涙が流れると、美祢は自分のしたことを後悔し始める。

 目の前には、自分が想いを寄せる男性の背中。なぜそんなことをしてっしまったのか? 過去の自分を責め立てる。だが唯一ジャケットで顔を隠したことだけは過去の自分をほめる美祢だった。

 しかし腹部まで回した自分の手。しっかりと抱き付いている状況はどうしたらよいのか。

「美祢ちゃん? もう大丈夫?」

「あ、はい。……あのもう少しだけ」

「ん~? わかった。あと5分だけね」

 そう言って主は短くなったタバコを携帯灰皿へと押し込む。

 泣いてスッキリしたと思ったら、今度は抱き付いていることにドキドキし始める。しかも時間の延長を申し出るなんて、あまりにも大胆な行動に出てしまった。

 だが、あのまま出て行ったらこの紅くなった顔を主に見られてしまう。

 それは、どうしても避けたかった。

 グッと力を籠めると、美祢は胸元を押すモノの存在を思い出す。

 いつもは冷たいそれは、まるで主の体温が移ったかのようにほんのりと温かい。

 それが今は気恥ずかしい。


 恥ずかしさを少しでも紛らわせようと、美祢はいつも以上に饒舌になる。

「先生、私ってどんなアイドルなんでしょう?」

 会話の中で、ふと気になっていた疑問がこぼれだす。未だに与えられた仕事をこなすだけで精一杯なのだが、他人の眼には自分はどう映っているのだろうか? アイドルでなくとも時折疑問を持つだろう。

「ん~、そうだな~。美祢ちゃんは仲間を奮い立たせるなにかを持ってるよね。負けたくないって思わせたり、折れそうな後輩を立ち上がらせたり。そんな感じじゃない?」

 そう主に言われ、そうだろうかと疑問を感じる。だが、そうだったらうれしいとも思う。

「アイドルを応援する……アイドル」

「はは、それはいいね! なんかカッコいいよ」

 主に肯定されると、ネックレスが今まで以上に暖かく感じられる。

 押し込めていた気持ちが、今にもあふれてしまいそうだ。

 でも、ダメだよと美祢は秘密の気持ちをなだめる。


 美祢が自分の秘密に酔いしれていると、屋上の扉が開く音が聞こえる。

 また誰かが来たのだと、美祢は少しだけ身体をこわばらせる。

「あ、先生。おはよう!」

「山賀さん、おはようございます。すいません、あいさつ遅れて」

「いやいや、いいって。……で、そのひっつきむしは誰?」

 山賀の声にビクリと美祢の体が跳ねる。

 山賀は気にした様子もなく、無言でタバコに火をつけるが美祢はどうしようもなくテンパっている。

 出るにも出られず、いつまでも抱き付いているわけにもいかない。

 せめて、どうか山賀にはバレないようにと祈るしかなかった。

「ああ、これですか? 美祢ちゃんですよ」

「ああ、賀來村ちゃん! 随分とまあ必死にくっついて」

「うぅぅ。そんな必死にくっついてないです」

 主にバラされてしまい、仕方なくジャケットの陰から顔を出す美祢。

 恥ずかしい場面を見られたと、すぐに顔を伏せてしまう。

「……おはようございます、山賀さん」

「はい、おはよう。大変みたいだね、はなみずき25は」

「知ってるんですか!?」

 山賀さえ夢乃の脱退騒ぎを知っている。そのことに驚き美祢は山賀の顔を見る。

 そんな美祢をからかうような視線で見ながら、山賀は紫煙を吐きながら答える。

「一応ね。番組関係者だから、情報としてね」

 ニヤニヤと軽い笑顔を見せる山賀。再び含んだ煙を勢いよく吐きだしタバコを灰皿へと落とす。

「ま、変な噂出る前にさっさと準備しなよ。先生もね」

「……はい」

 山賀は二人を置いて、自分はさっき来た道をまるでスキップでもするように軽い足取りで帰っていく。

「行こうか?」

 主は立ち上がり、美祢に手を差し伸べる。


 もう顔は紅くないだろうか? 美祢は少しだけ気になるが、主の手をそのままにはできず手をしっかりと握る。

「さあ、美祢ちゃんも早くメイクととかしないとね」

 引き起こされながら、美祢は主の言葉に引っかかりを感じる。今までとは明かに違うそれに気が付く。

「あ、……先生。私のこと美祢“ちゃん”って」

「だって、あの姿の君をさん付けでは呼べないって。あ! みんなの前ではちゃんとさん付けだったからね」

 主が苦笑いしながら的外れな弁明をしているが、そんなこと問題ではないのだ。

 自分をちゃん付で呼ぶ主の存在が、いつもより近くに感じられる。この人に近づいてもいいんだと思わせてくれたことに美祢の鼓動は早くなっていく。

 主にはそんなつもりがないということはわかっている。ただ状況に合わせて慰めるためにわざと呼び方を変えただけ。そんなことはわかっている。

 わかってはいても、数歩離れたところにいた主が自分に近付いてくれたようで。


 夢乃の話をしたばかりなのに、少し心が弾んでいる自分を恥じる美祢。

 ダメだとわかってはいるのに、主が自分をどう思っているのか知りたいと思ってしまう。

 いや、ダメだ。この人の時間を少しでも浪費させてはいけない。自分にはまだ、その覚悟がない。アイドルもこの人の隣もなんて、都合のいい話はありはしないのだから。

 チャリッと、胸元のネックレスが鳴った気がした。そう、私にはこれがある。これだけで、この人への想いを消化できるから。

 ただ、時間は少しちょうだいと、美祢は胸の痛みに懇願する。


 鼻腔に残るタバコの香りと主の匂い。

 それは胸の中の衝動を焚き付けて、美祢の心を攻め立てる。

 自分はここにいるぞと、彼はすぐそこにいるぞと。

 まるで臆病な心を鼓舞するように、何度も何度も内側から美祢の胸を叩き続ける。

 美祢は胸の中に、何度も謝りながらその衝動を小さい小さい箱に押し込める。

 臆病な私を許してほしい。まだ、あなたに向き合うことの出来ない。

 美祢は、視点をアイドルに変えて主の背中を見る。胸の熱は残っているが、衝動は押さえられている。

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