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百一話

 主と美祢が屋上に着くと、ちょうどスタッフ2人が帰るところだった。

「あ、先生。おはようございます。……あ~、よろしくお願いします」

 スタッフは主と美祢を見比べて、何やら納得したような表情になると主に頭を下げて階段を下りていく。

「さてと、……こっちおいで」

 フェンスにもたれるように座る主は、入り口に立ったままの美祢を自分の近くに誘う。

 とぼとぼと歩いて来る美祢を見て、主は思う。これは重傷だと。

 確かに主の中のイメージでは、美祢はあまり快活というイメージはない。

 考えすぎて涙したり、自分への失望を簡単に口にしてしまうどこにでもいる女の子だ。

 だが、後輩の前ではみっともないところを見せないようにと、強くあろうと気を張っている印象のほうが最近は強く感じる。少しずつではあるが、自分の殻を破ろうと試行錯誤していた印象だ。

 そんな彼女が、こうも憔悴しているのは先程の一件だけが原因ではないだろう。

 さてどう聞きだした良いものか。主はタバコを1本取り出し、タバコの先端を箱に打ち付けながら思案する。考え事をするとき意味のない行動と単調な音をだすのが、主のクセになっている。


「先生、ごめんなさい」

「ん?」

 思案中に美祢がつぶやく。それに耳を傾けようとするがその一言で美祢の口は閉ざされる。

「ん~? まあ言いたくなったら教えて?」

 自分の力量を鑑みて、年頃の娘から何かを聞きだすのは困難という結論に至った主は少しだけ美祢から体ごと視線を外して、タバコを咥える。

 流石に未成年の前で火をつけるのには、抵抗感もあり乾いたタバコの葉の匂いに集注する。

 空は今日も高く、冷え冷えとした青空が広がっている。

「美祢ちゃん、寒くない?」

「……少し」

「もう、戻ろうか?」

 火をつけられないのに、匂いだけ嗅いでいても恋しさを増すだけだ。

 それに美祢はダウンコートを羽織っているとはいえ、その下は短いスカートの衣装だ。

 自分よりも寒い思いをしているだろうと、楽屋へ帰ることを提案してみる。


「……先生。少しだけ、少しだけ背中貸してください」

「……はい」

 色々な目のあるスタジオで危険かとも思うが、このままの美祢を本番に臨ませるのも酷な話だ。

 主は潔く背中を美祢へと差し出す。

 そして主の背中に一瞬の冷気と共にドンッと強い衝撃が伝わりそのあとから、腹部まで強い圧迫感が主を襲う。

 黙って煙草の箱を胸元にしまおうと動くと、美祢から布一枚くぐもった声がかかる。

「先生、吸っていいですよ」

「いや、さすがに。それに匂いとか嫌でしょ?」

「匂いは好きです。煙は嫌いだけど」

 美祢が話すと、背中の一部が一瞬だけ暖かくなるのを感じる。

 その一瞬のぬくもりを思い出しながら、美祢の厚意を受けることにした。

「じゃあ、1本だけ」

 主は煙が背中に回らないように、できるだけ遠くへと息を吐き捨てる。

 手も口に持ってくる以外は、最大限伸ばしたままという奇妙な体勢になる主。

「っふ、ふふ。ふふふ」

 そんな主の様子がおかしいのか、美祢は主の背中に顔を押し付け笑い始める。


 まあ、気がまぎれたのなら役目は済んだかと、主はゆっくりと息を吸い込み、息を遠くへと吐きだす。

「……先生。内緒にしてくれますか?」

「うん」

「実は、メンバーが一人脱退するって言うんです。いっつも曲の解釈が~とか、感情表現が~とか、表情の作り方がとか、何かと演技にうるさい人なんです、そのメンバー。でも芸能界の大先輩が言うことだしって黙ってたんだけど、センターになってその人の言うことが『ああ、正しかったんだ』って思えるようになって。でもその人にとってアイドルはそこまで重要じゃなくって」

 主の背中に吐息以外のぬくもりが伝わる。それが何かに気が付くと、何時かとは逆になったなぁと主は目を細める。


「その人の重要じゃないアイドルになりたかった自分って何なんだろうって想うと、なんか頭の中がモヤモヤするんです」

「ん~、その人も美祢ちゃんと同じで一番星に向かって手を伸ばしたってことじゃないかな?」

「一番星……?」

「うん、誰かにとっての一番星は誰かにとって数ある星の一つなんてよくあることなんだ。けどさ、それに手を伸ばそうとするって気持ちは同じなんじゃないかな? 誰かに理解されなくっても一番だから、手にしたい。一番だからどこまでも追いかける、そこにどっちか優れてるとかそう言うのは無いんだよ、きっと。ただ手を伸ばせるかどうか、追う為に一歩踏み出すかどうか。僕は追わずに見送った人間だから偉そうなこと言えないけど」


 美祢は一瞬、抱き付いている背中が薄くなったような気がした。

 ああ、また自分はこの人に言わせてしまったのかと、後悔が募る。

 薄くなったまま消えてしまわないように、美祢は腕にいっそう力を籠める。

「その人のこと、好きだったんだね」

 不意をつく主の言葉にまた涙がにじむ。これまで交わしてきた夢乃の言葉が美祢の脳裏に蘇ってくる。

 何度も何度も繰り返し言われ、細部にまでダメ出しをされ何度も何度も涙した日々。

 訳が分からなくなり、ステージで泣いたときもあった。

 だが、どんな時も夢乃の顔は真剣そのものだった。彼女は彼女なりにアイドルを全うしていたんだ。

 そう思うと、今度は夢乃の笑っている顔が浮かんでくる。

 主の言葉、『笑顔は魔法』を実感したあのイベントでも、夢乃は夢乃なりに自分を誉めていたではないか。

 9月にはあのうるさく感じていた指摘の時の真剣な顔も、あのどうでもいい時に見せる綺麗な笑顔ももう近くで見ることができない。

 いつも意識しなくてもそこにいた人がいなくなる。

 美祢の涙はただ寂しさという一色に染まっていた。

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