前編
……ったく、こんなのあり?
想定外2連発!
自ら望んだ訳でもない、無駄に綺麗な夕焼けに目を細めながらバス停に並ぶあたしは、吉永さくら、高校2年生。
今日の部活は、顧問の先生の急用でいきなり解散。
しょうがないからバレーボール部の親友、美貴と一緒に帰ろうと待っていたのに、彼女、気になる先輩から誘われちゃったみたい。
2人の間に割り込む訳にもいかず、仕方なくひとり寂しく帰宅するはめに。
まあ、美貴としちゃあ恋が実るかも知れないチャンスだし、親友のあたしは祝福するべきなんだろうけど、正直夕暮れ時まで待った時間を返して欲しい。
帰りのバスはいつも超満員だから、余計に疲労が溜まるわ……。
苛立ちを紛らわす様に、あたしはラクロスのラケットで軽く地面を叩く。
「……嘘……。空いてる……」
明日がたまたま祝日だからなのか、バス停にやって来たバスは普段の大混雑が嘘の様な空き具合。
この疲れっぷりでドカッとシートに腰をおろしたら、熟睡しちゃいそう……とも思ったけど、こんなチャンスそうそう来ないし、明日は休みだから、まあ、最悪寝過ごしちゃってもいいか……力が抜ける……。
「……お客様、終点ですよ。起きて下さい」
寝ぼけ眼のあたしに映るのは、素っ気なく目も合わせない、バスの運転手さん。
やべ……やっぱり、寝過ごしちゃった……?
慌てて辺りを見渡すと、あたしの仲間は一番後ろの座席で寝過ごした、おじさんひとりだけ。
夕暮れ時はすっかり過ぎ、外はお星さまもチラホラの夜空。
完っ全に、やらかしたわ……。
「……しゃあない、明日休みだし」
ウチは都会とは言えないけど、最終バスにはまだまだ余裕で間に合う。
お母さんにメール入れて、引き返そう。
【さくらです。ついつい居眠りして乗り過ごしちゃった。バスが来たら引き返すから、ごはんそのままにしておいて】
……はい、送信っと……。
そう言えば、最近スマホのバッテリーの減りが早いんだよね。
寿命かな? 非常用充電器買っとこうか……。
「お客様、このバス停では余り見ませんから、ここから引き返されるのですよね? 最近、この辺りは物騒ですし、バスが出るまでは近所をうろつかない方がいいですよ」
素っ気ない運転手さんが、初めてあたしと目を合わせて喋った。
確かに最近、この辺りで人が大怪我したり、行方不明になったりしている。
元々は大企業の跡地だった土地が殆ど手付かずで、ホームレスの人が住み着いているって噂だから、病気で亡くなったり、縄張り争いで喧嘩している事が大袈裟に報道されているだけだと思いたいけれど、やっぱり怖い。
あたしは気を取り直してバスを降り、帰りのバスを待つ為に折り返しのバス停に向かう。
そこには既に、一足先にバスを降りていた寝過ごし仲間のおじさんが、ベンチに腰をかけていた。
「……次のバスまで、あと45分もあるよ」
そう嘆くおじさんは小柄で、立ってもあたしと変わらないくらいの身長に見える。
頭も薄くなっているし、スーツもよれよれ。
優しそうだけど、色々苦労してそう。
「おじさんも寝過ごしたんですか?」
遠慮なくおじさんに話しかけるあたし。
ラクロスのラケットを見たおじさんも、あたしを体育会系だと理解したみたい。
あんまり馴れ馴れしい話し方をするのも何だけど、おじさんに丁寧に接してもナンパされかけた事があるから、言いたい事は言う雰囲気も出さなきゃいけない。
この加減が、すっごく難しい。
世のおじさんは、女子高生なんかに興味を持たないで欲しい。
「……まあね。何回も寝過ごしてるから、もう飲みに行っているとしか思われないだろうけど。」
おじさんは寂しそうに笑っていた。
「バスまで45分もあるんだ……。暇を潰せる所なんてないですよね……」
この辺りは静かな住宅街で、友達の家もない。
地理を知らないのに加えて、辺りを見渡しても何もない……いや、あれって……?
「おじさん、あれってコンビニですよね?」
あたしの指差す方向には、誰でも知っている大手のコンビニらしき外壁が。
噂の跡地の入口にあるのがちょっと不気味だけど、ライトアップもされているし、解体工事もしていないから、店は開いているはず。
「……んん? あそこ、確か半年前に閉店したはずだけど……。まあでも、この辺の治安確保の為に再開したのかも知れないな。俺、煙草買いに行くから、付いてくるかい?」
「はい! やったぁ!」
あたしは思わず、ふたつ返事で同意していた。
おじさんは少し頼りなさそうだけど、ひとりで行くのとは安心感が違う。
非常用の充電器と……今度は寝過ごさない様にコーヒーでも買おっと。
あたしとおじさん以外、人の姿は全くない。
まだ夜の8時前だし、跡地を挟んだ住宅街には眩しいくらいの灯りがあるのに……。
やっぱり、この跡地には何かあるんだわ。
買うもの買ったら、急いでバス停に帰ろう。
「えっと、お嬢ちゃん……」
「……あ、さくらです」
心細い夜道では、ただのおじさんでも会話があるとホッとする。
あたしは自己紹介をして、会話を続ける選択をした。
「さくらちゃん、大丈夫だよ。この暗い跡地に一軒だけのコンビニなら目立つし、住宅街にもバス停にも人はいるんだ。何かあれば大声を出せばいいさ」
頼りなく見えるおじさんでも、あたしよりは人生経験が豊富。
怖い思いのひとつやふたつ、しているんだろう。あたしも少し安心する。
「やっぱりコンビニだ。灯りもついてる。でも、何か棚が白い……まだ開店準備中なのかな?」
あたし達はコンビニの存在を確認してひと安心したものの、お店の方はまだ通常営業とはいかない様子だ。
それでも、ここから見る限り煙草や飲み物はあるっぽい。
「……取りあえず入ってみようか。何も買えなくても、この辺りが本当に物騒なのかどうか、話も訊けるし」
「はい!」
あたしとおじさんは、暗闇の中の小さな灯りに吸い込まれる様にコンビニのドアの前に立つ。
あれ、自動ドアなのに開かない……。
「……まだ、ここまで電気を入れていないんだな。改装中の会社でもたまにあるよ」
おじさんは苦笑いを浮かべながら、ドアを手動でこじ開けて店内に入る。
「いらっしゃいませ! まだ正式開店前ですので、煙草とドリンクしかありませんが、良かったら覗いてって下さい!」
店員さんらしき声が聞こえる。
充電器が買えないのは残念だけど、ここを出たらもうバス停しか行かないし、スマホのバッテリーも持つよね。
「……すいませ〜ん。ライトセブン欲しいんですけど……」
おじさんは早速、ご要望の煙草の銘柄を読み上げる。
……でも、何だかおかしい。
店員さんらしき声は聞こえるけど、店員さんの姿は見えない。
それに何だか、2人? のヒソヒソ声というか、笑い声みたいなのが聞こえてくる。
「……まずいな。父娘には見えないだろうし、援交で警察に通報されたか……」
「おじさん、冗談はやめて!」
怪しげな関係を想像されたくないあたしは、秒速でおじさんの冗談を否定した。
「……まあまあ、よくこんな所に来たもんだな」
突然響いてくる、店員さんらしき人の声。
でも、声が聞こえてくるのは背後から。
このロケーションとタイミング。
正直、冗談にしてもふざけていると感じたあたし達は、互いに不機嫌な表情を隠さず声に振り向く。
「…………!?」
一瞬声を失う、あたしとおじさん。
その声の主は、首から下こそ普通の作業着風の見た目だったものの、顔には安っぽい動物……ライオン? のマスクを被っていた。
親しい友人への余興でもない限り、客に対して取る態度じゃない。
ひょっとして、あたし達より一足早くコンビニに入った、強盗か何かなの?
「……店員じゃないのか? 誰だお前は!?」
頼りなさそうに見えるおじさんも、流石に不信感が拭えないのか、マスク姿の男に声を荒らげる。
「……お前に名乗る名などない。そもそも、俺はこの世に存在していない。おい、持ってこい!」
尋常じゃない空気に、あたしもおじさんも、冷や汗が滲んでいくのを感じた。
強盗なら勿論名前なんて名乗らないけど、この世に存在していないって、どういう事なの?
「…………」
無言で男に近づき、工事現場で使う様な大きなハンマーを手渡す、もうひとりの人間が現れる。
この人も動物……タヌキ? のマスクを被っていて、体格から見て男だろうけど、喋らないからよく分からない。
でも、あんなので殴られたら死んじゃうよ。
怖いよ!
「……よし、お前は下がってろ」
あああ……どうやらあたした達、脅されそう。
そんなにお金持ってないよ……。
「……お、俺達をどうするつもりだ!? 警察に連絡くらい出来るんだぞ!」
おじさんもあたしも、汗でぐっしょりだし、恐怖と不安で足が震えていた。
目の前の男達は、動物のマスクのせいで表情が読み取れないから、何が欲しいのか分からない。
どうすれば……。
「さくらちゃん、逃げるんだ……がはっ……!!」
……えっ!? 何っ!?
あたしを逃がそうとしたおじさんの頭に、真横から鈍い音を立ててハンマーが……。
いやああぁぁっ!!
血、血が……ピューって、ピューって!!
「……あ、ああ……に、逃げ……」
「ああー!! いやああぁぁー!!」
おじさんが床に崩れ落ちる瞬間まで、直視出来ない。
逃げなくちゃ……逃げなくちゃ……おじさん、ごめんなさい……!!
「おおっと、逃がすかよ! お前の方がメインディッシュだろうが……」
ハンマーを持っていない、もうひとりの男があたしを捕まえようと迫ってきた……来ないで!
「来ないでよっ……!!」
無我夢中でラクロスのラケットを振り回しながら、あたしは鞄から財布とスマホだけを抜き取り、後先考えずに男に投げつけていた。
「……んがっ……! てめぇ!」
顔面に鞄の直撃を受けた男は、マスク越しにも感情の昂りが窺える程に声を荒げている。
幸いな事に、あたしは運動部顧問の先生が毎日発する、厳しい叱責には慣れていた。
男の大声だけじゃ、びびらないから。
マスクの奥の眼が怒っていても、外見は間抜けな動物なんだから。
とは言え、まともな戦いじゃ勝ち目はない。
あたしは木製のラケットで、罪悪感に駆られながらも男の急所を一撃する。
「……ぎゃああぁぁっ!! 畜生……!」
男は激痛にもんどり打ちながらも、地面を這う様にしてあたしを追跡しようとしていた。
「ほほっ、なかなかやるじゃねえか」
おじさんを殴打して、先に血がついたままのハンマーを振り上げ、主犯格の男があたしに歩み寄る。
「いやああぁぁ! 誰か助けてー!!」
バス停の方向はおろか、来た道すら思い出せない程に気が動転しているあたし……逃げなくちゃ、何処でもいいから逃げなくちゃ……!
はあ、はあ……おじさん……ううっ、おじさんごめんなさい……ああー!!
急所を攻撃された男は走れる状態じゃないし、主犯格の男は重いハンマーを持っている。
あたしだって、このハンデを得た短距離走なら自信がある。
部活帰りのポニーテールを揺らしながら、一心不乱に道なき道を走って逃げるあたし。
勿論不安はあるけれど、とにかく逃げるしかない。
スマホで夜道を照らしたいけれど、バッテリーが少なくなっているから、無駄な灯りは着けられないよ。
お母さんに、警察に電話しないと……少しでも安全な所で電話しないと……!!