美浦の刺客の本と新たな鬼調教師の誕生
《言いたい事は判ってるの?》
はい。
今現在、説教モードです。
俺は今現在、正座してます。
器用に、器用に腸壁の地面に、カプセル状の身体を立てて、それを尻に敷いた鞭毛で大体のバランスを取りつつ、崩れそうになった時には線毛を崩れそうな方向の地面に立てて踏ん張ったりして逐次にバランスを修正しつつ。
原因は…
無我の境地。
そう言えば恰好が良いのだけれども。
多分、その状態になった時リスク、危険性だと思います。
わりかし、わりかし有るんです。
過剰な集中力と云うか。
夢中になって、周りが見えないorポケェーっとし過ぎて、声を掛けられたのに気が付かない事が。
今まではその現象は、奴の内面に存在していた俺の立ち位置としてから、奴の失態を気楽に、他人事の様に見ているだけだったのだが、こうして奴から独立を果たして、まがりなりにも、細菌の身体とは言え、独立した存在となった今現在。
その責任の所在は、否応なしに直接俺に降りかかって来るんです。
今回、他人事ではなく、己の体験として初めて味わった次第だ。
アルヴィスも、ザイモス三世国王も、ザイグーヌ・ファテマハト国王も、カウス・フォン・ゲルファウストも、星ぃーずちびっこ組も…俺を静止させようとして呼びかけていたらしい。
…訂正。
星ぃーず組は「宙返りして!」だのと、どちらかと言えばリクエストしていたらしい。
全く、聞こえなかったんだ。
最大負荷ギアの切り替え式自転車、それを頭の中に描いて、そいつを猛烈に漕ぐイメージで鞭毛ばかりに意識を向けていた。
だんだんと加速して行く手応えに、いよいよ夢中になり始めた。
未だあった余力、それを全部解放して本気モードの自転車漕ぎイメージで更に鞭毛を高速回転、その時にはあれだけ重たかった液体の抵抗感もすっかりと薄れて、俺は今まで動く事が困難であったこの身を包んでいた液体に対する鬱憤を晴らすかの如く、その動きに傾倒し過ぎてしまった。
その時点で、今現在の周囲の状況の確認をする事すらも頭の中から離れてしまい、ただ、『自転車を漕ぐイメージで己の鞭毛を全力で動かす』だけの世界の中へと行ってしまった。
スピードの向こう側へ行っちまっていたんだよ…
己で体験して改めて判った、俺に備わっていたヤバい性質…
[並列作業が全くダメで、一つのことにしか集中出来ないシングルコアCPUみたいな不器用な脳味噌…しかも、その脳味噌は、自分が疑問に思ったり、興味が沸いたりする事象が起こった場合、何よりもそれを優先してしまうと言う、厄介なる性質を持っており、それに更にターボ効果をもたらす機能、『我が儘フォーカス機能』搭載。
この『我が儘フォーカス機能』は、興味が向いた事象以外の他の余計な情報やら周囲の音声やらを、まるで、存在していないかのように綺麗にカットしてしまうのである。]
俺はあの時、自転車を漕ぐイメージで己の鞭毛を全力で動かす以外に、何も聞こえなかったし、何も見えなかったのである。
前述のメンバーたちの静止の声は一切聞こえてこなかった。
そしてその時、彼等は、俺が何を呼び掛けても反応せずにいて、次第に動き始めたカプセル状の身体が鞭毛によってますますと加速しだし、やがて恐るべきスピードになって、『棒を外して点火したロケット花火』の如くあちらこちらへと方向を変え加速し続けるカプセルの体の俺の脳内の中で恐怖していたらしい。
(尚、星ぃーず組ははしゃいでいたらしいのだが。)
今現在、記憶を手繰って見ても、そんな声の記憶すら全然無いのだが、スキルによって流れ込んで来る彼等の思考から読み取る情報からはそれらが事実として起こっていた事が理解できる。
音声で、映像で、きちんと伝わって来るのである。
記憶には無いのだが、彼等の意識を通して流れ込んで来る。
実に不思議な感覚だ。
あの時…唯一、焦った奴の声だけが聞こえてきた。
我に返った時にはもう俺と敵であるオーガの免疫細胞との彼我の距離、それはピッチャーとキャッチャー位の距離。
当初は球場のセンターからキャッチャーまで位の距離あった筈だよな。
便利なスキルですら補えない、俺の弱点だろう、これは。
リアルの世界の俺の社会適正が厳しかったのって、その部分も多分にあるからなー。
あの世界の、特に日本では、そんな状態になっても、最悪、命まで失う可能性は格段に低かったのであるが、この転移・転生した世界ではその問題は、命のある・なしに関わってしまう致命的な過誤へと至ってしまう可能性が格段に上がってしまうだろう、先程の突入事件なんか、まさにその典型。
あの免疫細胞の種類に関しては未だ判明していないが、もしもあれが体内の異物を『食べる』事によって駆逐するタイプの、好中球やらマクロファージだったら、先程の俺は「あーん♪」している相手の口に向かって自ら突進するとてもお馬鹿ちゃんな細菌だったんだよ、『カモネギ』の具現化みたいなつまりはそんな馬鹿。
これは、流石に拙いですよ。
いくら魂を取り込んだ有能なるブレーン連中や俺分隊達が居たとしても、それが利用出来ないんだもの。
制止出来ないんだもの。
これは拙い。
如何にも、拙いんだ。
当然、この俺の思考はメンバー全員に流れ込んで居て、みな、一様に脳内にてその問題の深刻さを共有し、各自考え込んでしまっている。
俺も考え込んでいる。
俺の頭を捻って考え込むイメージの動きが、カプセル状のこの身体の上半分がグネッと右に曲がる事で再現されている。
腸炎ビブリオが、腸壁の地面に正座して、カプセルの上半分を右側に歪め曲げている光景…
何とも、非現実的な光景が広がっている。
…ん!?
何で、先程は俺の思考の断片が流れて来たのだろうか?
《アルキメデスのスクリュー》
《推進力は低い…》
《そこで…》
《鞭毛をしならせる…》
あの声に突き動かされて、俺の中でも閃いて、あの鞭毛による機動は成功して…
そして、何故、俺の静止の叫び声だけが耳に入って来たのだろう?
《ちょ、おま…捕捉出来ね~から、止まれ!》
そう、あの時俺の声は確かに聞こえてきた。
だから、止まれたし、その途端に免疫細胞に激突寸前であった視界状況も見えてきた。
俺の存在は、俺にとって特別に強いのだろうか!?
俺のその思考が流れたので、一同、その可能性について関心を持った。
《検証が必要じゃの。》
ポツリと、ゲルファウストが呟いた。
…
……
………
ふんっぎゅぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅうぅっ!
俺は自転車を全速力、無我夢中で漕ぐイメージで鞭毛をぶん回すあれを再現させられていた。
しかも、何回も何回も。
ステータスを確認した所、SP値が、みるみる減少して行く。
レベル1の人間基準だと、パラメーターの平均はオール100になるそうだ、【鑑定】の説明で判った。
そんなSP値だが、奴の異世界へ転生する直前の寝たきり引き籠り状態時のパラメーターを反映しているのだろうな、運動不足で、そんな平均値100よりもやや低い76だったのである。
更に今は細菌へと異世界転生しちゃった結果として、そんなSP値は、更に100万分の1に下がった0.000076。
そんなショボパラメーターのスタミナな俺が、学生時代の自転車タイムアタック時のテンションと運動量を再現して鞭毛をぶん回しているのだから、これは正直、キツい。
見る間にSP値は消し飛んで行く。
一応、不意の敵襲等への回避・反撃に備え、最低限、これ以上下がっては対応出来なさそうだから残しておくって予備線、SP値が0.00002以下になりそうな時には休憩。
回復魔法もこなせるゲルファウストによって、SP値の回復を早める回復魔法とやらを掛けられて、安静にしてから…そうして回復したらば、再び鞭毛出力全開。
俺が無我夢中ゾーンに達したと判断される頃合いに、脳内のメンバー一人一人が声を掛けてみる。
結果、やはり、俺の声と思考だけに反応すると云う事が判明した。
尚、ついでに、あの方向が定まらずに、何処へ向かうのか判らない迷走ロケット花火問題もあっさりと解決した。
鞭毛が出力、エンジンの役割を。
そして線毛が、船で云ったらば、スラスター、航空機で云ったら、ウィングの役割を果たせば、概ねの方向制御が可能であると判明したのである。
最後の検証を終え、青息吐息でゲルファウストにスタミナ回復を掛けて貰っての休憩の最中にステータス・オープンを掛けて己の現状を確認してみる。
【名前】 ヲヂサン
【レベル】 1
【種族】腸炎ビブリオ〈憑依〉
ガイスト(人間基)
《種族ランク ロイテナント》
【性別】 男
【年齢】 44
生命 0.000135/0.000135
魔力
8547764379980852690847912679388364396899897303 / 8547764379980852690847912679388364396899897303
SP 0.000034/0.000156【0.00008up】
Str 0.000127
Dex 0.000114
Vit 0.000061
Agi 0.00006
Int 92
Mnd 138
Luk 72
Cha 40
【所有スキル】
ステータスオープン LV-
蛋白質の記憶(特異点) LV-
重力魔法 (特異点) LV-(物体加圧/加熱/成形)
並列思考 (特異点) LV-
魔素物質化 (特異点) LV-
ゲシュタルト思考 LV13/30
精神攻撃耐性 LV 5/10
精神攻撃 LV 5/10
鑑定 LV 9/10
【種族スキル】
ポルターガイスト LV4/10
憑依 LV2/10
鞭毛操作 LV3/10【2up】
線毛操作 LV2/10【1up】
そもそも、このスパルタ検証は女神アルヴィスの鶴の一声で始まった。
ゲルファウストの、《検証が必要じゃの。》の声に続いて、後に鬼調教師と呼ばれる女神アルヴィスが、こう言ったのである。
《罰ゲームも兼ねてるんだからね、ガンガン行きなさいよ。》
俺のSP値はガリガリと削られて…回復魔法と短い休憩によって回復しては、再びガリガリと削られ続けた。
あれを思い出した。
その昔の名馬、ミホノブルボンの坂路調教。
血統的にも当時は良い血統だと思われていなかったミホノブルボンは、しかし、皐月賞や日本ダービーを制した事により、有望視され、されどその反面、血統背景は当時の判断では有力とは見做されずに、それ故なのか、多少は調教にて荒く使っても良いと判断されたのだろうか?
戸塚調教師と云う人によって、鬼の坂路調教を繰り返し繰り返しやらされて、流石にミホノブルボンが調教を拒否する素振りを見せた時にも、
「ぶっ叩いてでも走らせろ」
という、大変に慈愛深いお言葉により、ミホノブルボンは坂路調教を繰り返されたのだという…
確かに当時、ミホノブルボンが所属していた厩舎は、栗東に所属しており、栗東ではその坂路調教にて、レースで確かな実力を発揮していた馬達が居たものだったから、この坂路調教を重視していた。
現在の最有力な社台グループだって、大金をかけて、雨でも調教が可能な屋根がついた坂路調教場を作っていたりするから、この坂路調教と言うものは現代の競馬でも通用する大事な調教であるのだ。
まぁ、ミホノブルボンは、そんな鬼調教も虚しく、結果としては菊花賞にて三冠を阻止されて、ライスシャワーが勝ってしまうのだけれども。
ライスシャワーの事について書かれた本に、なんかそんなミホノブルボンの坂路調教の描写があったのを思い出した。
俺は女神アルヴィスと云う鬼調教師の手によって、SP値が0.0008上昇し…
(100万倍にして見てみたらば、元々のスタミナ値は76で、それが156になってるんだ、つまり80も数値がupしている…ってこれ、判るか!?
元々のスタミナ値が76で、そんで上がった能力値は80だぞ、元々持っていた能力値を追い越してそれ以上に数値が増えたんだよっ!
『すごい~』じゃね~よ、つまりはそんなスパルタだったんだよっ!)
更に鞭毛操作と線毛操作のスキルレベルまで上昇している事に対して…コイツ、やり手だな、と思った。
だが、とても感謝する気にはならなかった。
自衛隊時代にやった1500m走。
単独だと7分台だった奴が、そのタイムを見て激高した鬼教官により、「走り直し」を命じられて、更に分散配置された班長面々が区間区間でリレー方式で後方から棒持って交代で追い駆け回して来て仕方がなく全力を出して走り抜いた結果として…4分台を叩き出したあれを思い出しちまったよ。
奴は多分、やればできるタイプなんだが、やりたがらないタイプなんだろうなぁ。奴が雛形の俺も、大体は似ているんだよ、あらゆる意味で。
馬でも居るらしい、調教で手を抜いて、
「こいつはもしかして、走るのが嫌いなのだろうかな?」
って、調教師さんですら、そう思っちゃうタイプの馬。
競争する事を宿命付けられ、本来の野生の世界でも、走る事に特化進化を果たしている馬…
だが、必ずしもそいつらが、「走る事が大好き」だとは限らないものであろうさ。
今、鬼調教を食らってみて判るよ。
断言しよう。
その馬は間違い無く、走るのが嫌いなんだよ、ほっといてやれ!
可哀想だからやめたげてぇ~!
もう無理っ!
競馬ネタが多くなりました。
競馬に詳しくなくて、でも気になった方は、
「ライスシャワー」「菊花賞」
で、ミホノブルボンとライスシャワーの勝負が。
「ブロードアピール」「根岸S」
で直線一気のブロードアピールの物凄さが。
「クロフネ」「JCダート」
でクロフネのレースが。
某動画サイトにて見られる事でしょう。
こんな小説でも、読んでくれて縁が出来上がって、そして競馬に対して興味が向いた方であれば、ぜひ見てみてくださいね。
確か、著者が読んだ本は「ライスシャワー物語」ってタイトルの筈です。
随分と昔に読みました。
20年以上昔だな。




