悪夢
何処にいても逃げられやしないさ。
―――これは夢だ。
光がある限り闇は産まれる。
どうやっても籠の中の鳥なんだ、お前は。
―――大丈夫、夢だ。惑わされるな。
夢だと思い込もうとしているのか?
滑稽だな、これが私の魔法であることなど気が付いているだろうに。
―――私は、負けない。
◇◇◇◇
私はどうやら微睡の中にいるようだ。どうやっても目が開かない。耳に届くのは忌々しい悪夢の声と、私を起こそうと必死になっているアニーの声だけだ。大丈夫、私の意識は起きている。でも体が目覚めることが出来ていない。
『滑稽だな、白の乙女。目が覚める事無く周囲の状況を知るのは、堪らなく恐ろしいだろう』
耳障りな悪夢の声が聞こえてくる。きっとこれは彼らからの悪戯なのだろう。
「悪趣味だとしか思わないわ」
私がそう答えると、堪らなく楽しそうに大きな声で笑い声を上げられた。
『強情な小娘だ。だがお前が目覚めることはない』
「え、何それ迷惑。起こしなさいよ」
『起こさない。そうじゃなければ楽しめないだろう?』
私はその言葉を聞いて溜息をついた。彼は楽しそうに含み笑うと、私の前に姿を現した。その姿は全身を黒く染めた、恐ろしい程冷めた赤い瞳を持った美しい男だった。
「貴方が闇の妖精王?」
『今は魔王と、呼んで頂きたいものだ。白の乙女よ』
彼は玩具で遊ぶ子供の様に無邪気で、好奇心を隠さない視線を私に向ける。子供は時に残酷だ。彼はその残酷さを寄せ集めたかのような、あどけない善悪の判断の付いていない顔をしている。
見掛けは成人した男性に見えるのに、中身はまるで子供のそれなのだ。
『しかし今代の白の乙女は、恐ろしく美しいな』
私が思慮に頭を逃がしているうちに、彼は私の目の前まで迫っていた。そして私の顎を掴むと、自分の顔に向ける。
「離しなさい、汚い手で触らないで」
私は敢えて挑発的な態度をとる。しかし魔王はそれさえも楽しむように笑う。そして私の顔を乱暴に離す。その勢いが強いのか、頬を叩かれるような形になり私は横に倒れ込んだ。
『今お前に掛かっているのは魔法であり、呪いでもある。この魔法を解いて早く目覚めないと、数日で死ぬぞ?』
彼はそう言うと、どこからか現れた偉そうな椅子に座り私を見据えた。なるほど?観察しますという事ね。私は彼を一睨みすると、自分の体の周りで起きている事を観察した。
「お嬢様!起きて下さいませ、お嬢様!」
観察して一番初めに聞こえたのは、アニーの必至な声。そしてその声に驚いて部屋に入って来たのは、アリアとロイス。すぐさまロイスが誰かを呼びに外に出ていくのが分かった。
「これは…呪い?」
アリアの小さな呟きが聞こえて、アニーが必死な声で私に呼び掛ける。バタバタとシリウスとアルが私の部屋に駆け込んできたようだ。私の姿を見たシリウスが、すぐに魔法で誰かに連絡を送っている。
「首に絞められたような模様が浮き出てきているわ。まだすごく薄いけど、これは呪いよ」
アリアが周囲に伝えるようにそう言うと、私は自分の喉元にそっと触れた。ここにある何かが私の命を蝕もうとしているのだ。
私は夢の中から、現実の自分を観察するという摩訶不思議な状況に溜息をついた。何だか緊張も焦りも、恐怖も浮かんでこない。何故か凄く安心感があるのだ。
どうしてだか分からなかったが、ぐっと握り込んだ手の中に何かがあるのを感じた。開いた手の中には光の精霊王達からもらったお守りがあった。ああ、だから安心していられたのね。
私はそのお守りにそっと魔力を通そうとしてみる。しかしそれはできないようで、弾かれるような感覚があった。今度は聖なる力を注ぎこんでみた。すると今度はすっと吸い込まれるような感覚があり、これならうまくいくと確信が持てた。
私は顔を上げ、魔王をにっこりと見つめた。彼は面白いものを見るように私を見ている。やっぱり彼は今回私をどうにかするつもりはないのだろう。私はお守りを持った手を翳すと、聖魔法を使った。魔力を使わず聖なる力のみで使う魔法は、かなり私の力を吸い取るようで一気に体の力が抜け落ちていく。
『ほう、聖魔法を使えるか』
魔王は楽し気にクツクツと笑うと、手を出すでもなくそのまま成り行きを見ている。私は魔法を起こすには、今の私の力だと無詠唱では厳しいものを感じた。イメージが付きにくいのだ。より明確なイメージを持つために、私は言葉を紡ぐ。
「光を灯せ、忌まわしき鎖を断ち切り我が手に自由を」
私がそう言うと、自分の首に黒い鎖が巻き付いているのが見えた。私はそれに手を翳し浄化していく。鎖はボロボロと崩れ落ち呪いが解けたことを悟る。そしてそのまま空間に手を伸ばし、悪夢という世界を壊す。
「我が力を示せ、悪夢になんて…闇には負けない!!」
私がそう強く言葉を吐くと同時に、空間がピシと音を立て崩れ始める。どうやら閉じ込められた悪夢が終わるようだ。途端に意識がぐらりと揺れる。ああ、目覚めるのだと分かった時には、耳元に『また遊ぼう』という囁きがこびり付いていた。
「――うっ…」
私はゆっくり目を開けると、そこには酷く憔悴したアニーとお兄様が居た。私は寝かされているようだが、ここは寮ではないようだ。
「ベルトリア!」
「お嬢様!」
二人は私が目が覚めたのを認めると、勢いよく抱き着いてきた。周りを見るとすっかり日は陰っていて、夜になっているのが分かる。
「お兄様、アニー。心配かけてごめんね」
私は二人にそう声を掛ける。アニーは首を横に小さく振りながら、嬉しそうに笑っている。
「君は丸二日、起きなかったんだ」
お兄様がそう言いながら、私の髪をそっと撫でる。
「二日もですか?」
「ああ、首の模様は初日に消えたがその後が長かった。トリアの中から聖なる力が一気に抜けていくのを精眼で見たよ。悪夢と戦っているのが分かっていたから、ずっと待っていた」
お兄様の顔をよく見ると、目の下にうっすらと隈が見える。心配を掛けたのだと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「だから君をタウンハウスに連れ帰った。聖なる力を補充しないといけないからね」
ああ、ここは自室か!!寮ではなく、家の寝室で寝かされていた私はベッドの上で納得しながら、またぐらりと眠気に誘われる。
「もう少し、寝ます」
私はそう言うと二人の返事を待たずに、微睡の中に落ちていった。