兄の焦り
ベルトリアが攫われた時のルーファス視点です。
すっかり寝入ってしまった妹を抱えて、僕は自分に割り振られた自室へと向かった。自分の研究室の奥には、寮のような部屋がついている。今日はここでベルトリアを休ませるつもりだ。
僕が抱えているベルトリアを見た生徒が、慌てて廊下を駆け戻っていくのが見えた。これで寮には伝わるだろう。伝言の手間が省けたな、と思いつつも顔色の悪いままに寝入る妹の顔を見た。恐ろしいまでに整った白い顔は、白銀の髪に引き立てられてさらに青白く映える。この顔色の様子だと一度に沢山の魔力を使ったのだろうと分かる。
精眼を使ってみても彼女の周りに、ただならぬ量の残滓が漂っているのが分かる。
「う…」
可愛い妹は呻き声を一つ上げると、少しだけ息を荒く吐いた。そしてそのまま小さく浅い、荒い呼吸を繰り返す。魔力を急激に使ったゆえの症状だ。膨大な魔力を持つベルトリアをここまで追い詰めた何かが、ただひたすらに恐ろしく感じる。
「大丈夫だ、お兄様が傍にいる」
僕はそう呟くと、腕の中の小さな温もりを抱きしめた。
◇◇◇◇
ベルトリアがアリアーナ嬢の形をした何かに手を引かれ、暗闇の中へと吸い込まれていった時。その手を伸ばし、掴み損ねたのはアルベルトだった。風の魔法を駆使してあと少しで掴めるというところで、妹は闇に飲まれた。
僕はその場でへたり込む彼を片腕で抱き込むと、更に飲み込もうと影を伸ばす闇から飛び退く。そのまま初等部校長のアイリス様にアルベルトを投げ渡し、光の魔法を使って闇を押し留めた。しかし光に反応してか、そのまま闇は空間にのみ込まれるように消えてしまった。
生徒達の避難を終えた妖精王と校長と集合するが、自分が決して冷静になれずにいるのが分かる。今ベルトリアはどこにいるのだろうか、無事なのだろうか。
『お兄様!』
彼女が最後に助けを求めたのは、他ならぬ僕だった。なのに辿り着いたのはアルベルトで、二人とも間に合わなかったのだから。
「落ち着け、サンティスの若造」
妖精王が辛辣な視線を僕に向ける。その視線をキッと睨み返してしまうがすぐに視線を外して、小さく息をついて冷静になろうとする。
「分かっています、でも、落ち着く事なんて…」
冷静になろうとする頭と裏腹に、口からは本音がボロボロと零れてくる。
「愛しい子の息子と娘は、そんな軟弱者だったのかな」
妖精王の若干の憐れみを込めた視線が、自分の小さな自尊心を奮い立たせる。歯を食いしばると、口の中が切れたようで血の味がする。それが良い様に働いたのか幾分か冷静になることが出来た。
「よし、落ち着いたな。今彼女はきっと闇の妖精の空間にいるはずだ」
妖精王はそれだけ言うと、空を睨みつけ、手を伸ばす。
「闇とは常にそこにあり、どこにもない。つまり出入口は彼らの思い描いた通りで、こちらからは見付けることが難しい」
「ああ、よりによって闇の妖精達か…」
校長も深いため息を吐くと空を睨みつける。闇の妖精なんて、聞いたことがない。闇の魔法があるのだから、あっても可笑しくはないのだろうけど。
「あの、闇の妖精とは…」
僕がそう言うと、妖精王は今思い出したかのように僕を見る。
「そうか、今は呼び方が違うな。今は彼らの事を“魔”と呼ぶはずだ」
ああ、と納得がいく。きっと闇の妖精達は悪戯心が過ぎた制御ができない者たちなのだろう。
「その通り、闇の精霊は魔に堕ちた。しかし昔はそうでもなかった」
妖精王は歯がゆそうな表情で、僕を見つめた。彼の肩をアイリス様が優しく撫でる。
「彼らはなるべくして、ああなった。月夜の妖精と精霊が二つに分かれて闇と光になった。闇はやはり内包するものに引かれるのだ」
彼女のその言葉に僕の中で妖精の血が騒ぐ。妖精の血の記憶の中にそれらしき記憶があるのを感じる。それをエルフの血が優しく包んでいる。自分の中の荒ぶる要素にグッと胸を鷲掴みにされ、思わず呻き声を上げて胸を抑える。
「やはり、彼には少し辛い話のようだね」
アイリス様がそう言って、僕の肩を撫でる。
「バンシーは闇と光の両側面を持つ。この状況に引っ張られているのだ」
妖精王も心苦しそうにそう言って、僕から視線をそらした。
「たとえ、僕らの血筋がそうであれ。バンシーはまだベルトリアの死を告げていない。未来の予知にも出てこなかった」
僕は小さな声でそう断言すると、ぐっと二人へと視線を上げた。
「先生方…」
僕達の後ろから、避難したはずの二人の生徒が姿を現した。キャンベル侯爵家の双子の子息だ。
「ロイス殿、アリアーナ嬢。どうしてここにいる」
妖精王は酷く冷静に彼らを突き放す。しかしこの双子の視線はどこか焦点が合っていない。灰色の瞳の奥には、先程感じた闇の魔法に似た気配を感じた。
「私達の家系、闇属性を持ってるんです」
「僕らは二人で揃うとその魔法を使うことが出来ます。でも、高度なものは出来ない」
「私達にできるのはベルトリアがいる空間を、この学校に出口を繋げることだけ」
彼らはそう言うと、互いに向き合い頷き合っていた。
「話を聞いていたのか?」
僕が彼らにそう聞くと、ロイスがこちらを見て小さく頷いた。
「僕らは表は火の魔法が受け継がれているけど、どこかで闇の血が混ざってしまったみたい」
「私達家族はそれを隠して生きてきました。でも今はそんなわけにもいかない。先生たちなら信用できますし」
ロイスとアリアーナはそれだけ言うと、手を繋いで空を睨みつけた。彼らの視線の混じる先に一つの歪みが出来たかと思うと、その歪みは森の方角へと漂っていった。
「先生、これで彼女は学校の森のどこかに戻ってきます。どうか見つけて上げて下さい」
「トリアの一番信じている人は、お兄様なんだから」
双子はそれだけを笑って言うと、ぐらりと体を揺らして背中を合わせるようにしゃがみ込む。
「ああ、無理し過ぎた…」
「位置の固定ってこんなに魔力使うのね」
苦しそうに息をする彼らを、僕は思わずグッと抱きしめる。
「ありがとう…」喉から捻り出した声は、聞き取れないくらいに掠れていて情けなかった。彼ら双子を校長が寮に運ぶ頃には、すっかりと日が傾いて夜闇が迫っていた。森の外周を駆けながら、精眼を惜しみなく使う。すっかり月が登り切った頃にベルトリアの魔力を視界にとらえた。少し離れた先であったけど、そこにいると思ったら先程までの疲労が消え去るようだった。目の前に現れた妹は、すっかり服が汚れていて。煤のような黒い粉を浴び、森の木々で傷だらけだった。
ベルトリアが何かを話しているのが分かるが、音にならないくらいに掠れている。それでも、生きている。言い様の無い安心と喜びが胸に広がる。
「お帰り、愛しい妹よ…」
僕の言葉に彼女は安心したように、眠りに落ちてしまった。