自分と自分 2
白くぼやけた世界の中で私は目を開けた。目の前には私が居て、互いに向き合っていた。私が私に声を掛けてくる。
『○○○、名前を忘れちゃったの?』
彼女が呼ぶ名前は上手く聞き取れない。聞きたいけど、聞かないほうが良い気もする。
「そうみたい。私どうなるのかな」
『分からない…。でも大丈夫だよ。お互いの存在は忘れていないでしょ』
「そうだね」
どうやら私が忘れたのは、もう一人の私の名前でなく私の名前のようだ。でも思ったほど焦りは出てこない。まるでこうなる事が分かっていたような気分になる。
「こっちの世界に来て、段々昔の記憶が薄れていっているのは分かってたの。自分が昔は何をしていたのかとか、全く覚えていなかったもの」
私はそう言って目の前の自分に笑いかける。でも彼女は痛々しいものを見るように私を見ている。
「そんな目で見ないで大丈夫よ、私は大丈夫なの」
『大丈夫じゃないわ。いつも強がって誤魔化しているのを私は知ってる』
彼女は私の肩を掴むと、揺さぶりながら私の目を見据える。何故か彼女の目元には涙が滲んでいて、綺麗な顔が歪んでいっていた。
「可愛い顔が台無しよ、泣かないで頂戴」
私はそう言いながら、彼女の涙を親指で拭う。その様子を見て彼女はさらに涙を流す。
『貴女は自分の顔を忘れてしまったのね…。顔が上手く見えないわ…』
目の前の私は私にそう言うと、寂しそうに悔し気な顔をする。何の事だか分からなくて苦笑いを浮かべると、彼女は悔しそうに歯噛みする。
『貴女が自分を忘れてしまっても大丈夫。私が貴女を覚えてるわ。絶対に忘れない。私の大切な片割れで、一部で、親友の貴女の事を』
目の前の私は私を抱きしめると、痛いくらいの力で腕の中に閉じ込めてきた。でもその力強さに、何だか安心して自分の中にあった不安が薄まっていく。いつかお父様が私達が忘れてしまうと言っていたけど、現に私は忘れてしまったけど、ベルトリアは忘れていないわ。だから大丈夫。
私は一人じゃないわ。
目を開けると見慣れた天井と、心配げな家族の顔があった。その部屋はどうやらサロンのようで、そのソファに横たえられているらしい。
「ベルトリア!!」
誰かが物凄い勢いで抱き着いて来る。お父様ともお兄様とも違う幼さの残るこの声は、きっと彼だろう。
「アルベルト…?」
私の声を聞いてか彼は、勢いよく顔を上げ泣きそうな顔でこちらを見る。
「なんで急に倒れたんだ!」
怒鳴るようにアルが縋りつくから、思わず後ろにのけ反ってしまう。お兄様がそんなアルの襟首をつかんで私から引き離す。
「問い詰めるな」
お兄様の冷静な冷えた言葉に彼は萎縮し、小さく大人しくなる。
「ベルトリア、心配したよ。精眼で見ていたけど、魔力を綺麗に混ぜ合わせることが出来たみたいだね。でもその直後に倒れたからびっくりしたよ」
お兄様のいつもより労し気な声色に、どれだけ心配をかけたのかが伝わってきた。
「ごめんなさい、お兄様。魔力を混ぜる方法を思いついて居てもたってもいられなくて」
私はそう答えると、小さく笑った。すると反対のソファに腰掛けていたお母様が、訝し気に私を見ているのが分かった。その視線を感じてか私の中で、ベルトリアが交代したいとアピールしてきた。その言葉に従い入れ替わる。
「お母様、お話ししたいことがあるの。アル…席を外してくださる?」
お母様は首を横に振り、その必要はないと答えた。
「彼にも貴女の事は少し話してあるの。貴女の中に魂が二つあることも含めて」
お母様の言葉に思わずアルに視線をやる。彼は気まずそうに視線を泳がせる。どうやら私が倒れた時に話してしまったらしい。
「アルベルトは精眼を使えたんだ。妖精付きが精眼を使えるのは非常に稀なんだけど、だからこそ君の中の魔力の流れの変化を感じ取ってしまった」
お兄様が不可抗力さ、と笑って言うものだから仕方ないと許してしまう。
「お母様、今表に居るのはどちらの私だと思われますか」
ベルトリアがお母様に声を掛ける。お母様は一瞬の間をおいて「ベルトリア」と答える。喋る口調とかは意図して差がない様にしてきたつもりだから、私達は少し驚く。
「君たちの白銀の髪は入れ替わった時に色を変えるんだ。ベルトリアが出てきたときは毛先が青くなり、○○○の時は赤い。だから普段は赤い色が多い。けれど今は紫の色味が出ている。君たちの髪色は魔力の色を指していたんだね」
お兄様がお母様に入れ替わりそう答えた。途中で私の名前を呼んでいたようだけど、それは上手く聞こえなくなっていた。私達は自分の髪色が入れ替わるたびに、魔力の質によって色を変えている事に気が付かなかった。なるほど、これでは悪戯も上手くいかない訳だ。
ベルトリアが気を取り直してお母様に向き合う。
「お母様、以後彼女の名前を言わないで下さいませ。魔力が混ざったことで私達も一つになり始めています。○○○の記憶も、薄れていっています。今回は名前を失くしましたわ」
お母様は驚いた顔でベルトリアの瞳を通して私を見つめようとする。一度失くした名前は言葉で誰かが話していても、私の耳には届かないらしい。その状況になって初めて私は己の存在が消えるのではないかと、そう言った焦燥感に包まれる。でも私は忘れていないわ。それに消えていない。
「彼女の事は私が忘れないわ。忘れないためにもお母様にもお兄様にも、お父様にも○○○の生きていた世界の話を沢山したいの。忘れてしまうなんて思いたくはないけど、その時の為にどうか。私達が一つになったらどうなるかは分からないけど、彼女の事を覚えていてほしい」
ベルトリアはそう言うと私と入れ替わった。
私は元の世界の事を思い浮かべた。家族がいた、幸せだった。あの頃の幸せを胸に抱く。これは私の宝物で、私が私たる由縁だ。でも、私はベルトリアになった。これは○○○の証拠だ。いつまでも抱いて居てはいけないものだ。あくまでそれは私の中で大切なものとして、片隅に置いておきたい。
「ベルトリア、ありがとう。貴女の気持ちは嬉しいわ。でも私は貴女と一つになったのよ、いつまでも昔を未練がましく抱いたりしないわ。どうか私の事も貴女だと受け入れてほしいの。二人で一つだけど、一人の人間になりましょう」
私は自分に言い聞かせるようにそう言うと、なんだか不思議と胸の奥のしこりが消えた気がした。そうか、私は自分でも受け入れるタイミングを計っていただけなんだ。
「私も、貴女もベルトリアよ」
次の日は大事を取って学校を休み、登校した時はロイスとアリアに髪の色が少し違うと驚かれた。でも髪色が変わったことで、踏ん切りがついたのか清々しかった。どちらかになるのではなく、どちらでもない新しい私となった気分だった。
放課後にお兄様と一緒に現れることが増えたハリス王子も、私の髪色の変化に気付いたようだ。そしてさらに興味を抱かれることになり、友人になったことを盾によく声を掛けられるようになり私が逃げ腰になってしまった。
段々気が付かないうちに、メインのキャラクターとの関わりが増えていた気がする。これは気を付けないと、バッドエンドへと進むかもしれない。バタフライエフェクトだ。小さな小石にまで、注意を払って選択肢を変えていこう。
決意を新たに初夏の風に髪をなびかせた。
これで第一章的な区切りにしたいと思います。
次回からはもう少し先の話から始めさせてもらいます。