怒らせてはいけない人達 3
サロンに着くとそこにはイデア公爵家の面々がソファに座って待っていた。私達が部屋に入るのを見てノーリス様と思わしき老齢の男性が、深々と頭を下げているのが見える。その横で四十代くらいの男性も頭を下げている。彼がきっとユリウス様だろう。
「お待ちください、何故頭を下げるのです!」
しかしその横でノーリスの腕を必死に引きながら、小声で騒ぐアルベルトの姿もあった。
「これはこれは、ノーリス。久しぶりだね。」
お父様が笑いながらイデア公爵に向かって話しかける。アルベルトが驚きを隠せない様子でお父様を睨みつけている。
「イアン殿、久方ぶりでございます。ご健勝のようで何より」
ノーリス様が頭を上げる事無くそのまま、頭を下げた姿勢でお父様に挨拶をする。お父様はその姿を一瞥すると、声を掛ける事無く向かいのソファへと腰掛ける。その横に私が促されて座り、私をお父様で挟むようにお母様が座る。そしてソファの後ろにお兄様が立ち、私の肩にそっと手を乗せた。
扉に向かい頭を下げていたノーリス様とユリウス様は、お父様とお母様の動きに伴い向かいの私達に頭を下げたまま、方向を変える。
「まあ、不本意だけど頭を上げて座りなさい」
お父様は悠然と足を組み、爽やかなほほ笑みを彼らに向けた。ノーリス様とユリウス様はもう一度深々と頭を下げるとソファに腰掛けた。アルベルトは憮然とした表情で私達を睨むと、家族に倣いソファに腰掛けた。
「この度は愚孫が大変失礼しました。」
ノーリス様が顔を下げたまま、お父様に再び謝罪を述べる。お父様はそれを見ることもなく、いつの間にかウィルが運んできていた紅茶を啜っている。
「身の無い謝罪など不要だよ。そもそも君は何かしたのかい?」
お父様はそう言うと、ユリウス様のことを見つめる。その視線に弾かれたようにユリウス様も頭を下げる。
「私の愚息がご息女に対し、大変申し訳ない事をした…!」
お父様はそれも興味なさげに流し目で見ると、もう一度紅茶を啜る。ユリウス様はハッと顔を上げ、横に座るアルベルトの頭を掴むと、そのまま頭を下げて謝罪の言葉をやり直す。しかしお父様はそれさえも無視する。
その様子に痺れを切らしたのか、アルベルトがグッと顔を上げ私を睨みつけた。その瞳には怒りと混乱が入り混じった色が浮かんでいた。その色に私は昼間の恐怖を思い出し、静かに息を飲んで目を瞑った。そんな私の様子に逸早く感づいたのはお兄様で、私の肩を優しく撫でてくれた。その手の温もりに少し冷静になる。
「貴方達のご子息は何が悪いのか分かっていない様子ですが、教育はされていまして?」
お母様が私を睨むアルベルトに圧を掛けながら睨みつける。流石のアルベルトも不穏な空気を察したのか、大人しく鳴りを潜める。
「全て私達の教育が至らないせいです」
ノーリス様がお父様とお母様を交互に見つめ、そっと目を伏せて言葉を待つ。お父様は溜息を一つ吐くと、ユリウス様に視線を移した。
「ユリウス殿。何故私達はノーリスに対しこのような態度が出来るのか、息子に説明しているかい?」
「申し訳ございません。息子はまだ幼い故に話してはおりませなんだ」
お父様は後ろを振り返り、お兄様を見る。お兄様はお父様の言葉を引き継いで話始めた。
「ではまず始めに、ご子息が行った事だけを話させていただきます。」
お兄様は向かいにいる三人に目を向ける。大人二人は神妙に、アルベルトだけは反抗的にこちらを見据えている。
「ご子息アルベルト殿が我が妹であるベルトリアに“躾けてやる”と言っていたことを、クラスメイトから相談を受けております。」
ユリウス様はこの事を知っていたようで俯いた頭を上げる。ノーリス様は目を大きく開き、信じられないものを見る目で孫を睨んでいる。
「そして魔法基礎理論の授業中での授業妨害が多数。さらに本日の授業での他の生徒を巻き込んでの抗議、そして我が妹への暴力は許せませんね。揉めたのは私と彼です。妹は関係無いはずなのに、目の前にいたからと謂れなき暴力を受けた。」
お兄様はそこまで言い切ると、私の右腕にそっと手を回した。私はお兄様を見つめ頷くと、ウィルが私の腕に巻かれた包帯を外しにきた。
ゆっくりと外された包帯の下には、時間が経ち痣がより鮮明に赤黒く浮き出た、痛々しい私の腕があった。昼間に見ていたよりも遥かに痛ましい色合いになっている。
向かいから息を飲む音がした。ノーリス様が忌々し気に孫を睨み、ユリウス様は顔を蒼白にさせ、アルベルトは大きく口を開け驚きを隠せないでいる。皆、それぞれが思っているよりも私の怪我が酷かったのかな。
呑気に状況を観察する私に向かって、ユリウス様が勢いよく頭を下げる。
「ベルトリア嬢、怖い思いをしただろう…。本当に申し訳なかった」
私は彼をじっと見つめると、横にいるノーリス様を見た。彼もそれと一緒に頭を下げていたからだ。
「父上、お爺様!」
アルベルトが何故か慌てた様子で、二人の肩を揺する。
「黙れ!!」ノーリス様が大声を出してアルベルトを戒めた。アルベルトは顔を青くし、二人から手を離す。
「…お爺様?」
ノーリス様は肩を震わせ、アルベルトをぐっと睨みつける。
「愚かな…。恥を知れ!!」
静かだが強く拒絶の色を含んだ声に、ユリウス様とアルベルトはびくりと肩を震わせた。お父様はその様子を見ると息を吐きながら呆れた目を向けた。
「家族の喧嘩は終わらせてから来てくれないかな」
その言葉にユリウス様が顔を上げ、バッタのように跳ね頭を下げた。
「申し訳ございません」
お父様はそれを一瞥すると、アルベルトを見つめた。
「アルベルト殿。よくも我がサンティス家を侮辱してくれたね、そして私の可愛い子供たちを傷つけた。許さないよ」
お父様はそう言うと、静かにお母様を見る。お母様はその視線を受け、小声で何かを呟き始める。ユリウス様とアルベルトは何が始まったのかと訝しげな顔をするが、ノーリス様だけは何が始まったのか分かったようだ。
「おやめください、マルガレット様!!後生です…」
ノーリス様が弾かれたように立ち上がり、お母様に縋りつこうとするがそれをウィルが跳ねのける。お母様はその様子を、呟きを止めてじっと見ている。お母様の横には光の魔方陣のようなものが浮かび上がり、くるくると回っている。
「そういえば。」
お兄様が何か楽し気に声を出す。一斉に視線がそちらへ集まるのを物ともせず、クスリと笑いながら続きを話す。
「最近、イデア公爵の領地で新しい鉱脈が発見されたとか。」
何とも楽し気に話す内容に、ノーリス様とユリウス様が顔を見合わせ何かを確認し合っている。
「…一体何の事でしょう」
「我が領地に開拓できる鉱山は残されておりません」
二人は顔を青くしながらそう答える。お父様とお兄様は楽しそうにそれを見つめる。追い詰められた空気に耐えられなかったのか、アルベルトが口を開く。
「父上、お爺様!知らぬのですか?新しい鉱脈が見つかり宝石が出たと母上が喜んでいましたよ!?」
二人はぎょっとした顔でアルベルトを見つめ口を開く。
「それは本当の事か?」
「ええ、勿論です。上質なサファイアが出たのでブローチを誂えてくれると母上が」
「それはもしかしてサーティ山脈のことか?」
「そう言っていました」
アルベルトの言葉に部屋の空気が凍る。
サーティ山脈とは、妖精と精霊の住処であり、聖域として保存が義務付けられている未開の大地の事である。そしてこの土地はサンティス家が管理を任されている土地でもある。
ノーリス様とユリウス様が今にも死にそうな顔色になる。アルベルトも流石に何かを悟ったのか、表情が硬くなる。
「この大地は、聖域なのだよ。何人たりとも侵せない、人間の土地ではないのだ」
お父様がアルベルトにそう言うと、彼は「そんな…」と呟きながら拳を握る。
「全く、領地のことを後妻などに隠されてしまってイデア公爵は耄碌したようだ」
お父様がため息を吐くと、お母様が何かの続きを呟いた。横にある魔法陣がふわりと輝き、小さな影がそこから出てきた。
「ごきげんよう、大地の精霊様」
お母様がその陰に声を掛けると、影は小さな精霊の形となる。人型に蝶の羽が生えたようなそれは、悔しそうにイデア公爵たちを見ていた。
『こいつら、約束破った!』
そう言って怒りに震えている精霊を見て、イデア公爵は床に座り直し土下座の姿勢をとる。何も声を出さずに、ひたすらに頭を下げる様子を見て精霊もたじろいでお母様の陰に隠れる。
「精霊様、今回彼らをお許しいただけますか?」
お母様がそう尋ねると、精霊様は小さく頷いて『今なら間に合う』と言って魔法陣の中に消えた。
お父様はそれを受け、イデア公爵に非常に冷めた笑顔を向けた。
「精霊様の意見を尊重しましょう。今回の領地の無断開拓は今すぐお辞めなさい。そして我がサンティス家が何たるかをもう一度思い出しなさい。」
イデア公爵は深々と頭を下げ、床に頭をこすりつける。
「ありがとうございます…」
「そして、娘への怪我をさせた詫びとして誠心誠意の謝罪を。対価として何かをする事を許容したりはしない。誠意を示しなさい。」
それだけ言うとお父様は手を二回叩いて合図を出す。お母様が私を抱えて席を立つ。その背中を守るようにお兄様も後ろに付いて来る。
ウィルを呼んだお父様は、にっこりとどこを見るでもなく笑顔を浮かべた。
「イデアの皆様のお帰りだよ、お見送りを。」