怒らせてはいけない人達 2
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談話室へと向かった私達は、お兄様主導で今日の出来事の話をする。イデア家の人達が来るのは少なくとも、あと二時間は余裕があるだろう。
私は目の前に置かれたカップを、左手で持ち上げて不器用に飲む。いつも右手でしているからか、上手く持てなくてプルプルと震えてしまう。音を立てないようにそっと置くと、お母様の痛ましいものを見るような視線が突き刺さる。私は大丈夫と伝える為に、ふわりと優しい笑顔をイメージして笑う。
あ、失敗だ。より悲壮な顔でこっちを見ているわ。
「それじゃあ、ベルトリアはその騒動とは関わりがないのに巻き込まれたという事だね」
お父様がお兄様を鋭い視線で見つめる。お兄様もどこか冷めた視線で、お父様に視線を返す。
「はい、父様」
小さく頷くと、お父様は私へと顔を向ける。今私はお兄様の隣に腰掛けているので、お父様とははす向かいに座っている事になる。
「わかった。ベルトリア、彼らが来た時、その包帯を外して怪我を見せることになると思うがいいかい?」
「大丈夫よ、お父様」
私はそう返事をすると、お兄様を見つめた。そういえばこの人は公爵家の人間を魔法で、雑に扱っているけれど大丈夫なのだろうか。下手したら不敬罪として罰せられるかもしれない。途端に不安になってきて、お兄様の服の裾を思わず掴んでしまった。
「…お兄様はイデア家から叱られないかな?」
私の小さな呟きに、両親と兄は目を開いて驚く。そして優しい視線を私に向けると、嬉しそうに笑った。
「大丈夫、謝るのはイデアの方だ」
と、お父様。
「そうよ、トリアちゃんが心配することはないわ」
と、お母様。
「そもそも学校では先生の指示に従う事が規則だ。家格など、学びの前では無いに等しい」
と、お兄様。
三者三様に私を慰めてくれる。何かそうなる理由があるようだし、私はそれを黙って見ておくことにしよう。子供が口出しをしていい事ではないのだろう。
家族の話し合いは続く。私の手を出せる範囲の話は終わり、やれ領地だの交易だのの話にも絡んでいっている。この子供のしてしまった失敗が、大人を巻き込んで大きな話となっていくのが少し恐ろしくもある。私はいい子にしていよう、そうしよう。
私が一人で納得し、うんうんと頷いているのをお兄様が優しく撫でてくれる。その温もりが何だかくすぐったくて、頬が少し緩んでしまう。
「あああ、やっぱり我が家の天使だ…」
向かいからお父様の蕩けるような声が聞こえてくる。顔を上げると心底幸せそうなお父様と目が合う。絶世の美丈夫であるお父様がこのように緩みきった顔をしていて大丈夫なのだろうか。どこかで変な令嬢を拾ってきそうで怖い。
だけどその横で貴族の仮面を絶対脱がない、無表情なお母様まで見たことない程嬉しそうな顔をしている。
「こんな嬉しそうな娘の顔が見れるなんて、私って幸せ者ね…」
お母様はお父様の手を握り、嬉しそうに私に向かって笑っている。普段顔に貼り付けている笑顔の仮面でなく、素顔の優しい笑みだったから私は思わず見惚れてしまう。
この両親は自分達の娘の私が、心底可愛くて仕方がないのだと強く感じた。私の中でベルトリアも嬉しそうにしているのが伝わってくる。この両親のもとに産まれて、私達は何て恵まれているんだろう。
それにしても、この両親は彫刻のように美しい。美しすぎるんだ。どうやったらこんなに綺麗になれるのだろう。
「私も綺麗になりたいな」
意図せず口から零れた私の声に、家族の動きがピシッと止まる。突然変わった空気に私は顔を上げて、家族を見る。お父様の驚いた顔に、心底呆れたようなお母様の顔。そして何かを焦った様子のお兄様。
そんな顔をしていても、大変見目麗しゅうございますね。私の家族は素晴らしい!
私自身もこの家族に恥じない程度に綺麗になれたらいいな。今はまだまだ子供で、気品など無いに等しいのだから。
「ベルトリアは今でも既に綺麗だよ。」
お父様が子供を宥めるように私に言う。その様子は駄々をこねる子供をあやしているようだ。
「私もお父様とお母様の子だもの。それなりには整っていると思うけど、でもやっぱり家族だと胸を張って言えるように綺麗になりたいの。見掛けだけじゃなくて、気品のある所作も出来るようになりたい」
そこそこ美人な今の私じゃダメなんだ。この素晴らしい家族に肩を並べられる人物になりたい。
私の言葉にみんな何故か溜息をつきながらも、笑って頷いてくれた。
「イデアの新しい事業は、秘密裏に行われているらしいね」
そういえば、とお父様が話し出すとお母様が嬉しそうに笑う。この後の話し合いで行われる作戦の肝が今ここで決まった気がした。私は背筋に寒いものを感じながら、大人たちの話し合いを眺めるだけだった。
◇◇◇◇
夕刻、日が傾き始めた頃にイデア公爵家から当主のノーリス、ユリウス、アルベルトの三人がサンティス家へと来たとウィルが知らせに来た。談話室でそのままお母様による、貴族の顔に出さないスキルの練習をさせられていた私は、すっかり緩み切っていた気合を入れ直す。
「刻限通りだね。サロンへ通しなさい」
お父様の言葉に深々とウィルが礼を取ると、すぐさま対応に向かった。
私は制服からシンプルなクリーム色のワンピースに着替えているが、このような格好で客人を持て成してよいのか。
「お母様、私着替えたほうが良いかな」
私が心配になってお母様に問うと、お母様は首を横に振り大丈夫という。
「トリアちゃんが今来ている服は、袖口の広がった物だから腕の怪我の手当てがしやすいの。他の服だと締まっていて着るのも脱ぐのも痛いわよ」
私はお母様のその言葉に、腕をそっと撫でてみる。帰宅時より痛みがマシになっているが、未だに触れるだけで痛みが出るのだから相当だ。
黙ってそっと頷くと、お母様が私の頬を撫でてくれた。
「さあ、今からが気合を入れる時間だ。ベルトリア、少し怖いかもしれないが堂々としているんだよ」
お父様のその言葉に私は大きく頷いて、ソファから降りる。今から向かうサロンにアルベルトがいると思うと、少し足が竦んでしまう。ああ、まだ怖い気持ちが無くなっていない。そんな私の気持ちなんて、お母様にはお見通しなのだろう。
「大丈夫よ」
そう言って私の手を握って勇気づけてくれる。
私はお母様を見上げて不安は消えないまでも、力強く頷いて見せた。そんな私を見て、おかあさまは誇らしげに笑った。
「それでこそ、私の娘よ」