トラウマ
それから後はお父様とお兄様とで、お父様の書斎へと場を移した。お母様はサンティス家の血は引いていないから、概略はそれとなく知らせてはいても詳しい話は聞かせられないらしく自室へと戻っている。
書斎は壁を覆うように本棚が並び、その奥にお父様の仕事をされている机がある。机の上には見上げる程積み重なった書類が、いくつか山を作っているのが気になるところだ。
机の後ろは本棚になっておらず、窓がいくつかあった。その窓の間にこの国の地図が街区に入れられている。
お父様はいくつか本棚から本を取ると、書斎からしか通じていない小部屋へと私達を案内した。ここに部屋なんてあったのですか。しかも本棚の本弄ったら棚が動いて、部屋が現れたのが気になるのですけど!!
隠された秘密に触れる冒険に来たような気持になり、何だか胸が高鳴る。私の中でもベルトリアが好奇心を抑えられずに興奮しているのが伝わってくる。
「ここはお父様の秘密のお部屋だよ。」
そう微笑みながら言われて、更に胸が高鳴るのが誤魔化せない。
秘密の部屋ですよ!好奇心が溢れてくる。隅から隅まで探索したい気持ちが止まらない。
ふと気が付いて周囲を見回すとお父様は明らかに目を輝かせて嬉しそうにされているし、お兄様は目を見開いて口元を抑えられている。何故だ。
「トリアがこんなに感情を露わにしたのは初めて見るよ」
お父様は目に涙を浮かべて喜んでいる。私ってそんなに表情が出ていないのだろうか。
涼香として生きてきた記憶がある私としては非常に理解に苦しむ状況です。何故ならば『顔がうるさい』とまで兄に言われる程、感情が顔に出てしまうのが常だったから。ゲームでのベルトリアは無表情で居ることが多く、深淵の令嬢みたいになっていた。きっとこの無表情属性はベルトリアの持ち得る特徴なのだろう。
影響、強すぎじゃない?
「私、結構自分では笑ったりしているつもりだよ?そんなに顔に出てないのかな」
何だか悲しくなってしまう。自分がどんなに楽しくったって、悲しくったって相手に伝わりにくいのは、とても寂しいことだと思う。私としては楽しい時に笑って、みんなで場を共有したいし感動を分かち合いたい。それなのに自分が無表情なためにその機会が得にくいのではないだろうか。
このままではきっと私が笑うだけで、今の状況のように場がストップして騒ぎになる場合もあるだろうし、関わりたくないと避けられる場合もあるだろう。
「ベルトリアの無表情はマルガレット譲りだね。彼女も学生時代は表情をあまりに変えないものだから、人形令嬢なんて渾名がついていたよ」
お父様は懐かしそうに語る。きっと遠くない内に私もその渾名がつくのでしょうか。お母様と一緒なのは嬉しいけど、それでも感情は表に出したいですね。
「元々リョウカである私は、感情が隠せないくらい素直に顔に出ていたの。でもこっちでは表情がないって言われて戸惑ってる…」
私は声色だけでも残念そうに話す。きっと顔はそこまで伴えていない。
「感情が表に出ないのは、貴族として必要なスキルではあるんだよ。だからそこは誇っていい。」
お父様は私の頭を撫でると抱え上げ、部屋の中にあるソファに座り私を膝に抱く。向かい側にお兄様もゆっくりと腰掛けるのが見える。改めてお父様を見ると、非常に端正なお顔立ちが目の前にある。大変けしからんですね、美形すぎる。
何かを思案されているようなお父様は、お兄様に視線を向ける。お兄様も何か考えていたようで、お父様の視線を受け私に声を掛ける。
「うん、そうだねぇ。…リョウカである君が笑うと、ベルトリアも笑っているかい?」
私は少し驚いてお兄様を凝視する。
冷静に考えてみると、今私達はコインの裏と表のような状態で切り替えるように入れ替わっている。私の中でベルトリアが笑うこともあるし驚くこともあるし、恐怖することもある。でもその時って必ずしも、私も同じ感情を浮かべている訳ではない。同じ感情を抱いてもそれを自制するように、自分で表に出さないようにしていることもある。
「つまり、私とベルトリアが必ずしも一致していないから感情が出にくいってこと?」
私は自分の中に浮かんだ仮説を口に出してみる。お兄様もお父様も同じ考えだったようで、小さく頷く。その考えは一理ある。でも本当にそうだろうか。
確かに自分の中で、二人で会話をして相談ができてしまうこと自体が、感情と考えが統一されていない証拠ではあるのだが。
『そうなのかな、分からない』
「私もよくわからない」
私達は頭の中で会話をしながら、首をかしげる。そもそもゲームの中でもベルトリアは表情無いんだから、感情が一致云々では解決しない気もする。
「でもベルトリアは普段は無表情でいた方が、色々と便利だと僕は思うよ」
お兄様は真剣に悩んでいる私を見て、苦笑いする。
「それはどうして?」
ジトっとお兄様に視線を向ける。私は賑やかに過ごしたいのだ。
「しばらく過ごすと分かるよ。」
お兄様は私を見ながらも、何かを思い出したのか遠い目をされる。何があったのだろう。
「少なくとも今日初めて会った僕ですら、ベルトリアの感情の機微は分かる。確かに無表情に近いけど、声色や話す速さとかで感情に気付く事はできているよ」
確かに家族は私のわずかな表情変化に気付いてくれる。そういえばロイス達も私と普通に会話しているという事は、分かってくれているという事だろう。
「ルーの時は大変だったねぇ。懐かしい思い出だ」
お父様ですら遠い目をするこの話題、いったい何が含まれているのか。
「確かマルガレットに昔、笑ったら君はもっと素敵なのにと言ったことがある。」
お父様が突然お母様のお話を始める。私は口を挟まず、大人しく続きを待つ。
「その時は物凄い嫌そうな顔をされて、『表情を出してごらんなさい、あっという間に周囲を囲まれ誰かしらにずっと付きまとわれるわよ』と怒鳴られたよ。後にも先にもあんなに嫌そうな顔はあの時だけだ。」
――なるほど?
つまり、超絶美形のお母様が笑顔を振りまくと周囲が騒ぎ、ストーカーされてしまう。悲しい顔を見せると周囲が過剰に反応して、何が起こるか分からないと。
お父様が当時を思い出したのか、ちょっと顔が青くなっている。お兄様も顔色が悪い。
「トリア、君はマルガレットにとても似ている。その上で更にか弱そうな雰囲気を纏っている。君の性格が正反対な事は勿論、勿論分かっている。だけど、不用意に笑顔を振りまいてはだめだよ、約束だ」
お父様は私を抱きしめ、説得するかのように力強く約束を迫られる。
「お兄様からも約束、男の子に近づきすぎないでね?」
机の向こうからは何だか黒い微笑を浮かべたお兄様が、有無を言わせない口調で私に約束を迫る。
『リョウカ、ここは約束しておこう。何だか怖いよ』
「そうね、長い物には巻かれるわよ」
『それに、話を戻さなくちゃ。精眼のこと全然話せてない』
脳内会議をする私達は当初の目的とは大きく逸脱したこの話を、軌道修正するためにも必死に頷くのだった。