小さな一歩
久方ぶりの、殿下の登場です。
そして殿下視点です。
以前、サンティス家のベルトリア嬢を婚約者にしたいと申し出た時。父上に言われた言葉が頭から離れない。
私が知っていた知識は一体何だったのか。小さなころから寝物語に語られたあの建国神話は一体何だったのか。
改めて自室の本棚にすっかり仕舞い込まれたその本を探し出す。絵本の様に子供でも分かり易く書かれた薄い小さな本。表紙や使用されている紙は上質なもので、これでもかという程煌びやかに装飾されている。
ゆっくりと始めのページから開いて、改めて物語を読み進める。
――――昔々、ある所に人間と、精霊、妖精、エルフ達が手を取り合って仲良く暮らす土地がありました。そこでは皆が助け合い、お互いを尊重し、守り合いながら助け合いながら生きていました。その土地は精霊や妖精が多いためか、自然豊かで実りある美しい土地でした。その土地に住む皆は、国という形を取らずに村や町が交流し栄えていました。
――――実りある土地の隣にあるのは、高い山々に囲まれた自然を大切にしない王国でした。いつしか精霊や妖精たちも逃げ仰せ、その国では作物が実らなくなってしまいました。それに困った隣国の王様は、肥えた土地を持つ隣の美しい土地を狙う事にしました。
――――困ったのはその国に住む人間だけでなく、手を取り合った精霊、妖精、エルフ。狙われる由縁となった実り豊かな土地は、自然を愛するからこそ生まれる恵みであり、加護なのだから。彼らの手に渡ればあっと言う間に滅びてしまう。
――――そんな彼らを救ったのが光の精霊王に愛された、一人の青年でした。彼はその地を自然を愛する王国としてまとめ上げ、自らを王とし隣国に対抗しうる体制を作り上げました。手と手を取り合い、力を合わせた皆はその王に忠誠を誓い、この国が産まれました。
それがサージェント王国の始まりでした。
そこにあるのは既に知っている物語。今となって読み返してみると、これは英雄譚か何かなのかと思う程に精霊王に愛された青年を主軸にした物語だ。それに何が神話だ。たかだか三百年前の話じゃないか。
ああ、自分は知識を餌の様に与えられ、それを啄むだけの雛だったんだ。理解しようとも疑問に感じることもなかった。
人間の物差しで言う三百年は途方もない時間だが、遡ってしまえばそこまで前という訳ではない。この物語にも出てくる侵略を虎視眈々を狙う隣国なんて千年は続いているはずだ。この国は、若い。
エルフや妖精、精霊たちからしてみれば一瞬の時間だ。彼らは数百年と生きるし、下手をすれば千年超えている者もきっといるはずだ。ついこの間この国が出来上がった、それだけなんだ。
「私は、愚かだな…」
思わず口をついて出た言葉に思わず苦笑する。それが理解できただけでも小さな進歩だ。
そうなると疑問が湧いて来る。この物語は王家に求心力を持たせるために作られたものだろう。物事を信じさせる嘘を語るには真実を混ぜる。逆に真実の中の核心的な部分に嘘を混ぜたり、あえて伏せたりする。これは常套手段だ。
この神話はきっとそうやって出来ている。
「父上に確認を…」
そっと立ち上がると、部屋の隅に控えていたはずの侍従が居ない事に気が付く。そして部屋の入り口で陛下がこちらを黙って見下ろしているのが見えた。
「父上!?」
「何故、今その本を手に取っていた?」
父上はそう言うとこちらを試すように見つめる。ああ、今見定められているんだ。前回の失敗をここで繰り返してはいけない。
「神話に…、疑問を持ちまして」
「…ほう。何を思った?」
鋭い目つきがこちらを射抜く。その視線に怯んではいけない。王たる父から与えられる圧に屈しないよう、足に力を入れまっすぐ前を見た。
「この国の歴史は若い…。それこそエルフや妖精が瞬きをする程度で過ぎる程に。何故、神話として語られているのか、そこにまず引っ掛かりました」
父上はこちらを黙って見つめた後、小さく微笑んで手を差し出した。
「ついてこい、秘密の一部を教えよう」
「…一部のみ、ですか?」
「ああ、まだその答えでは一部だ。ここにはそこまでに辿り着くヒントしか与えていないのでな。次のヒントを渡すまでだ」
父上は楽し気にそう言うと、こちらを気にする様子なく歩き出した。慌ててその後ろについて歩く。これで、第一関門を突破だ。
これで、これで漸く。
ベルトリアが居る場所に、一歩だけだが近付ける。
あれだけはっきり拒絶され、留学のような形で来たシリウスにも愚かだと突き付けられた。あの頃の私は確かに愚かだ。何故人間が偉いと思っていたのか、それは自分が王族である傲慢な気持ちから産まれた小さな驕りからだ。でも人間が使っている魔法は、知識は、恵みは。全て見下していた彼らが居るから得られたものだ。何でここまで傲慢になれたのか、自分でも心底愚かだと思う。
でも今からは、この国の王子として恥じない行動をとらなくてはならない。小さな一歩が大きな期待となって自分を包むのが分かった。