温もり
ゆっくりと目を開けると、そこは懐かしきかな屋敷の自室だ。どうやら私はまた気絶したようだ。もう一つの魂との記憶が蘇る時に、脳内がショートするのかもしれない。
というわけで儚げな病弱に見える素質をいかんなく発揮しているベルトリアです。中身は儚げ詐欺だけどね。図太いよ、最近無表情キャラ消えてきたもの。
がさりと音がしてそちらを見ると、アルが私のベットの横にイスを置いて座っていた。否、眠っている。こうやってアルを見ると、初めて言葉を交わした時のあの傲慢さが思い出されてくる。あれは怖かった。そして今とはかなり違うのだ。
よく見ると端正な顔立ちで、キリっとした眉に意志の強さを感じる。でも今はその眉が顰められて安眠していない事が窺えた。
「…トリア…」
彼の口から呟かれた寝言は私の名前だ。首を傾げると彼は魘される様に身動ぎする。
「どこに行くんだよ…」
続けられたその言葉に私は思わず笑ってしまう。迷子の子供みたいで可愛らしい。でも彼はきっと私が魔に攫われた時の夢を見ているのかもしれない。
「大丈夫、ここにいるわ」
私がそう言うとアルが起きる気配がした。そっとベッドの端に移動してアルの手を取る。その瞬間弾かれたように、アルが跳ね起きて顔を真っ赤にしている。その起き方にこちらも驚いて思わず悲鳴を上げる。
「お嬢様!?」
扉の外にいたのかアニーが部屋に飛び込んでくる。それに引き続いてウィルも顔を覗かせる。
「大丈夫よ、アルも寝てたから起こしたらこっちが驚いちゃったの」
「心臓に悪い起こし方をしないでくれ…」
「声を掛けて手に触れただけじゃない」
私がむくれて頬を膨らませると、アルは溜息を吐いてしまう。部屋の入り口からはウィルの笑い声と、アニーの呆れた声がした。
「お嬢様、今のお嬢様の顔色はあまりよろしくないのです。ただでさえ儚げなのに夕暮れの今、お嬢様の儚い美しさに磨きがかかっています。そのお嬢様に手を取られたら世の健全な少年はこうなるに決まっています」
うん、何を言っているのか良く分からない。
「何言っているの。私はまだ子供なのだからそんな艶のある状況になんて、ならないわ」
私は溜息を吐きながらそう否定をする。しかし一斉に周囲から呆れた溜息をもらう事になる。解せぬ。
でも今のやり取りで、気を失う前の荒れた心は落ち着いた。そもそも浄化が出来ると考えられていなかった事象に、軽減するだけでも浄化を掛けることが出来たのは進歩だ。そう考えよう、そうしよう。
でもあんなに沢山の後悔が、自分の中に存在した何て知らないかった。あの感覚はどうも、恐ろしかった。
自分の中にある闇に触れた気がした。
私の視線が落ちたのに気が付いたアルが、そっと私の頭を撫でてくれる。顔を上げてそちらを見ると、眉を寄せて心配そうに微笑む顔が見えた。見慣れた顔な筈なのに、何だか一瞬胸の奥がざわめく。
「…ありがとう」
何てことなかったようにそう言うと、アルも何てことなかったように笑った。
すっかり日も暮れてきているので、今日はサンティス家にお泊りとなるようだ。アルは泊まり過ぎて自室があるのだから笑いごとでない。アレンはどこかの客室に案内されているらしく、それを迎えに行くことになった。
庭が良く見える客室に行くと、廊下の窓からアレンが外に出ているのが見えた。
「アレン先輩!」
私が窓から声を掛けると、彼はいつもより柔らかい笑顔でこちらに手を振って駆け寄ってきた。
「もう大丈夫かい?」
「ええ、ご心配をおかけしました」
私がそう答えると、彼はそのまま振り返り精霊の樹を見つめる。私とアルもそちらに視線をやる。立派な幹に雄々しい緑の葉が風に揺れている。見ていると何だか心が落ち着くような、そして何かが満たされるような気がしてくるから不思議だ。
「この木は、不思議だね」
アレンはそう言うと首を傾げる。そうか、彼は精霊の樹が何なのか知らないのかもしれない。
「あれが精霊の樹です、ご存じでしたか?」
「やっぱりあれがそうなんだ」
アレンはそう言いいながら納得した様子で何度か頷いている。私の横でアルも木を見上げて笑う。
「初めてあの木を見た時、俺も不思議な感じがしたよ。懐かしいような、温かいような感覚」
「私はずっとこの家にあるから、特別不思議に考えたことはないけど。でもお母様に包まれたような優しい温もりよね」
私はそう答えてアレンを見る。彼は黙ってじっと木を見つめている。
「妖精や精霊は、この木から産まれるんです。だから先輩の中に居る妖精は、この木の子供かもしれませんよ」
私は悪戯にそう言うとクスッと笑う。その瞬間アレンがこちらをすごい勢いで振り向いた。そしてその瞳には、何故か涙が浮かんでいる。
「…――なのかい?」
小さく震える声で彼は何か呟く。
「え…?」
思わず聞き返すと、彼は震える声で繰り返した。
「これが、親の温もりなのかい?」
私とアルは息を飲んだ。そうだ、彼は親の温もりをあまり知らないのだ。墓穴を掘ったと慌ててしまう私を、面白そうにアレンは見る。
「…一度だけ、母親に会ったことがある。その時抱きしめてくれたんだ」
彼はそう言うともう一度精霊の樹を見つめた。
「なるほど、…確かにあの腕の中に似ているのかもしれないね」
彼はそう言うと人が変わったように、慈愛に満ちた笑顔を浮かべた。私は彼の目を見つめて、同じように笑った。
「ええ、とても温かいわ」