武術大会15
エリオットを捉えていた闇色の蜘蛛の巣から解放されていた。眩い光がおさまった時には、既に地面に落ちていたのだ。私達が駆け寄ろうとする時には、ダニエルが駆け寄って抱き起していた。
「兄貴!!」
彼の呼び声にエリオットは少し反応するが、目を開いて小さく笑うだけだ。私は慌てて駆け寄ろうとするが、いつの間にか横に来ていた光の妖精王に捉まり首を横に振られる。
「あれは魔族に堕ちる時に起きる事象だ。お前はあれを無理矢理解除した。彼は魔族にこそなる事は防げたが、彼が生き残れるかは分からない」
妖精王はそう言うと私の顔を覗き込んだ。
「お前が起こした事は規格外だ。闇に惹かれている段階での解除を可能にしたのは勿論、この状態からの回帰なんて聞いたことがない」
私は彼の鋭い視線に思わず怯んだ。私は今きっと、怒られているのだろう。堪らず視線を下ろし、拳を握ってしまう。そんな私達を他所にエリオットはダニエルに抱えられて、治療師や医者の居る救護室へと運ばれて行った。私の横をダニエルが通り過ぎざまに見つめてきたのが分かって、スッと顔を上げると鋭い視線と絡む。
「…後で話がある」
彼はそれだけ言うと駆け足でその場を去っていった。
流石に今日は武術大会を続けられないと判断され、そのまま寮への帰宅を指示された。
「ベルトリア」
静かにそう声を掛けられて振り返ると、そこに居たのはお兄様だった。私は解散の指示があった後、闘技場を出て人気のない回廊に逃げていたのだ。そこは滅多に使われることのない教室がある所で、大きな窓が特徴的な私の隠れ場所になっている。でもすっかりこの場所もお兄様にはバレていたらしい。
「…お兄様」
お兄様は私が腰掛けている窓の桟に一緒に腰掛ける。彼の瞳には何も映されてはいない。ああ、お兄様も怒っているんだ。
「…トリア、何故今日あんな魔法を使った?」
お兄様はそう呟くとこちらを真剣な顔で見つめる。私はその瞳に耐えられず、窓の外の森へと視線を送る。
「彼を、助けたかったの…」
「助けたかった?まあ、間違いないくあのままではエリオットは魔族になっていた。魔族から人に戻す方法はないとはいえ、何故即興で魔法を作り上げてそれを使ったんだ?それがどれだけ危険な事だったか、理解しているのか?」
お兄様はいつになく厳しい口調で私に問う。私はお兄様をキッと睨みつけ、顔を上げる。
「分からないわ!!助けられる命を助けようと思っただけよ!」
「自分が万能の神にでもなったつもりかい!?」
私が声を張り上げて抗議した途端、それを上回る声量で怒鳴られた。そのあまりに真剣な顔に、私は口を噤んで黙り込む。
「君が人を助けたい、その知識がある、魔法を作り上げられる。その気持ちと実力は大いに結構だ。でも傍から見て何が起こっているのか分からない人たちは?君がエリオットを手に掛けたと噂される可能性だってある!それに未知の魔法を使うにあたって、周囲への影響が分からない!危険極まりない行動だったんだ!」
お兄様が一息にそこまで言うと、私の頬を右手で叩いた。乾いた音が響く。私は驚いて、叩かれた体勢のまま固まってしまう。
「まだ分からないのか?君は人を助けた気でいるかもしれない。でもその行動で今回は何ともなかったけど、下手したら死人が出ていたんだ。人殺しになる所だったんだ…!」
お兄様はそこまで言うと私の顎を掴んで、顔を自分に向けさせた。その目は真剣そのもので、私を必死に怒り心配する色を湛えていた。
ああ、私は不貞腐れていたんだ。だって人を助けたんだと思っていたんだもの。魔法を使う前にかなり厳しい酷い言葉を上げて、エリオットの今までを否定してまで、自分なら出
来ると驕っていたんだ。
「…ご、ごめん…なさい」
私はそう呟くと涙を堪えられなくなった。なんて傲慢だったんだろう。自分に魔法で出来ない事がないって思い込んでいた。凄く嫌味な奴だ。
ぽろぽろと涙を零す私を、その日ばかりはお兄様は慰めはしなかった。捉え方次第では私は殺人犯へと早変わりだ。もう変えることが出来ない出来事の重さを、私は静かに突き付けられていた。
寮に戻ったのは消灯もとうに過ぎた頃合いだった。あの後同じような説教を妖精王達からも受け、それと同時に魔法の理論について問い詰められたので時間が掛かったのだ。すっかり疲れた私は小さく息を吐きながら、音を立てない様に階段へと向かう。
「遅かったな…」
私に声を掛けてきたのは、階段の下で座り込んでいた少年だった。目を凝らすとダニエルだというのが分かった。
「…話があると言われていたのに、ごめんなさい。先生方に捕まっていたの」
「だろうな」
ダニエルはそう答えると溜息を吐いて、談話室へと私を誘導した。私は大人しく後ろをついていく。部屋に入るとダニエルは私にソファを促し、向かい合うように自分も座ってこちらを見る。
「兄貴の意識が戻って、ベルトリアに助けられたと言っていた。とりあえずは礼を言う。ありがとう」
「…いいえ、お兄様が無事で何よりだわ。でも褒められた事ではないのも分かっているの。本当にごめんなさい」
私がそう言うとダニエルはグッと歯を食いしばった。
「正直最初は、お前が兄貴に何かしたのかと思った。でも兄貴の話を聞いて闇の誘惑?とか言ってたけど、それを祓ったのがお前だって聞いて」
ダニエルはそう言うと、勢いよく立ち上がり私の前に跪いた。驚きのあまり私が固まると、目の前で彼は苦笑を浮かべる。
「あれがやっちゃいけなかった魔法だってことは、何となく分かる。でも兄貴を助けてもらった手前、俺はそれを否定したくない。感謝するよ。騎士の家門の一人として礼を尽くそう」
彼はそう言って、左胸に右の拳を当て騎士の礼をとる。
「そんな!やめてください!感謝されるようなことでないのですから!」
私の言葉に彼は悔しげに顔を上げる。
「分かっているさ、兄貴が生きるか死ぬかも運次第だって言う事も。魔族に堕ちれば生きてはいれたことも」
私は息を飲み、彼を見つめる。
「それでも俺は、兄貴が優しい兄貴に戻って、人間として生きている事に感謝する」
彼はそう言ってもう一度騎士の礼を取ると、立ち上がって私の頭を乱雑に撫でた。
「今日はもう寝ろ、酷い顔してるぞ」
そう言って彼は談話室から出ていった。気を遣ってくれたのだろう。私は今日の事で自分を責めていたけど、こうして感謝されたことで少しだけ救われた気がした。再び零れてきた涙を拭うことはせずに、しばらくそのまま泣き続けていた。