武術大会6
いつもの練習場に着くと、そこにはリンドブルムの生徒が何人か既にいてあの人もいた。何だか嬉しそうにハンカチで汗を拭っていて、そのハンカチが私達が用意した奴だと分かった。マークは上手い事渡してくれたらしい。
彼の周りからは前回感じたような、禍々しい雰囲気は出ていない。凄く穏やかな表情で練習に挑んでいるのが分かる。私とアルは目を合わせ、小さく頷いた。
これで解決したわけではないんだ、要観察だ。
私達はリンドブルムの生徒が良く通る道を、わざと通るようにした。何人かに理由を聞かれたけど、その道の脇に咲いてる花が好きだからとか適当に答えた。そしたら次の日には特に好きでもない、色んな花が届き始めた。次から次に届くそれらに私は白目をむくことになる。もう適当なこと言わないもん。
幾日か経って、先輩がまた魔法を上手く駆使して、水魔法を使ってくる相手の攻撃を全部防いでいた。どうやら魔法のコントロールや基本のセンスが、ずば抜けて高いらしい。虐めようとした意地悪な相手は、負け犬のような捨て台詞と共に去っていった。でもどうしてもその後ろ姿が忘れられなかった。何だか、黒い影が差していたような気がしたから。
悪い予感は当たりもせず、外れもせず。私達の日常に迫っている。影を見かけることが多くなった。でもそれをどうすることも出来なかった。ただ私は魔除けでなく、魔払いや浄化の魔法陣を刺繍として作り上げることにした。
「お兄様、これ出来たけど全員には配れないしどうしよう…」
私は出来上がった刺繍のハンカチを持って、お兄様の研究室を訪ねた。私の手には刺繍の施されたバンダナがあった。ハンカチにしても腕に巻いても、汎用性が高いと思ったからだ。
「上手にできたね…。確かに全員に配るのは難しいかもしれない。けど、お兄様に任せて?」
お兄様は私からそれを受け取ると、にこやかに腹黒い笑顔を浮かべる。この笑顔は恐ろしい。
「お兄様、どうするの?」
「トリアは気にしなくていいんだよ」
「でも、それは」
「気にしなくて、いいんだよ」
私は徐々に迫りくるお兄様に怖気づいて、黙って頭を上下に振るだけであった。お兄様、怖すぎる。
そしてその二日後には、夏季休暇に入った。私達は今年は領地へは行かないらしい。お父様がそのほうが良いと判断した。
「領地へ行かないとなると、凄く暇になるね」
私がそう言いながら自分の部屋で、課題をこなしつつアニーに声を掛ける。アニーはクスクス笑いながら、冷たい紅茶を用意してくれる。今日の紅茶は少しフルーティーな香りがする。
「アップルティーです、お嬢様」
アニーはそう言うと、そっとお茶請けにクッキーを出してくれる。どうやら休憩をしろとの事らしい。私はペンを置いて、カップを片手に勉強机から応接のテーブルに移動する。テーブルに置かれたクッキーは、甘さの控えめなものが並んでいる。
「こんなに食べたら太っちゃうわね」
私がそう言って笑うと、アニーもクスクス笑う。
「お嬢様は食べた以上に、動かれるから心配ないかと思いますよ」
「もう、失礼ね」
私はアニーを誘って、同じテーブルについてもらう。アニーは渋々ながら一緒にティータイムを過ごしてくれる。
「本当はお嬢様と同じテーブルにはついてはいけないのですよ?」
「分かっているわよ、でも今だけ」
「今だけ、秘密ですよ?」
「ありがとう、アニー」
その日の夕食には、お兄様とお母様が不在だった。お父様と二人の食卓は初めてで、何だかとても寂しい気持ちになる。いつも家族四人で揃っていたから尚更だ。
「…トリア、元気がないね?」
「そんなことないわ、お母様達が居なくて少し寂しいだけよ」
「今日は大切な用事に出掛けているんだ。ルーファスを護衛につけてるから大丈夫さ」
「少なくとも嫡男は護衛にするべきではないと思うわ」
私とお父様はそれだけ言うと、静かに笑って気分を変えて食事を楽しんだ。まるで二人でこっそりディナーをしている気分になって、少し寂しさが薄れたのは悔しいから秘密にしておこう。
夕食が終わって、しばらくすると二人が帰って来た。すっかりお酒も嗜んだ様子で、少し近寄りがたい。
「トリア、ああ。私の可愛いトリア」
お母様が私を見付けると満面の笑みで、その両手を広げて待ち構える。私は少し恥ずかしながらもその腕に飛び込んだ。お母様がこんな風に感情を全面に出してくるなんて、酷く珍しい。
「どうしたの?お母様」
「どうもしないわ。私の娘が天才で可愛くて、堪らなく愛おしいだけよ」
「天才じゃないわ、私」
「じゃあ、秀才ね」
私はお母様に抱きしめられながら、照れ臭くなってしまう。その様子をお父様とお兄様が苦笑いで見つめる。どうやらお母様は、かなりお酒を飲んでいるらしい。
「お母様、今日はもう休んでね?また明日お話ししましょう?」
「嫌よ、今日はトリアと一緒に過ごしたいの」
お母様は私を更に抱きしめて離さない。だんだん苦しくなってきて視線をお父様に向ける。
「さあ、マルガレット。私達の可愛いお姫様が潰れてしまうよ」
「あらやだ、それはダメ」
お父様がお母様の肩にそっと触れると。お母様が勢いよく私から離れる。そして心配そうに私の顔を見る。
「トリアちゃん、大丈夫?」
「大丈夫よ、お母様」
私がフフッと笑うと、お母様も私と似た顔をして同じように笑った。そしてそのままあっと言う間にお父様に連れ去られてしまった。
おやすみなさい、お母様。