水の神殿の事情④
洋上の強い風により、体温が奪われ、髪がグシャグシャに乱れる。高い波は容赦無く舟を揺らし、縮こまるマリは何度かゴロリと転がった。転がる事四度目で、後ろに居るセバスちゃんと目が合う。彼の顔は真っ青になっている。船酔いしているのだろう。
(何で遠くに聖域があるんだろ? 土の神殿の聖域には楽に行けたのに……)
神殿内に聖域があってもいいだろうと、辟易とする。
マリは身を起こし、アリアに話しかける。
「聖域に行く時はいつもこうなの?」
「そうよ。だけど、今日は妙に潮の流れが速い様な気がするわ」
普段の状況は知らないが、確かに舟が加速していっている気がする。これがアリアの言う、潮の影響なのだろうか?
アリアは、舟を漕ぐ騎士の肩を叩く。
「ねぇ、貴方。いつもはもっと遅いわよね?」
「え……ええ。洋上に出てからどんどん漕ぐのが楽になるので、内心喜んでいたのですが、言われてみると少しおかしいかもしれません。沖の向こうに引っ張られていくような感覚が……」
「ああ、確かにそんな感じだ……」
騎士達は気味が悪そうに、遠くを見つめる。
彼等は「試しに」と、オールを海から引き上げてみたが、舟は問題無く進むので、さらに顔色を失った。
怪異が起きているんだろうか?
質問したくても、彼等自身不思議がっている有様なので、マリの胸の中のモヤモヤは酷くなる。
気分を変えたくなって、後方に座るグレンの側に行き、膝を抱える。
「ケートスやリザードマンの他にも問題が起きているみたい。もう意味分かんないよ」
頰を膨らませてみせると、心配そうな顔をされた。
「……怖い?」
アメジストの瞳はマリの内面を見透かす。
不覚にも涙が出そうになり、慌てて腕の中に顔を隠した。
「怖くないわけないじゃん」
ボソリと呟いた言葉はちゃんと届いたようだ。大きな手がマリの頭に乗り、不器用な手つきで撫でられる。
(コイツ、いつでも余裕で腹たつな!! もっと怖がればいいのに!)
八つ当たり気味に睨みつけるマリである。
「島が見えてきたわ! 舟の周りに障壁を張るわよ!」
アリアの声にハッとして顔を上げる。
遠くに岩山が見える。あれが聖域がある島なのだろう。
そのあまりに尖った岩の様は、どこか日本の神々を祀るオブジェにも似ている。
(日本だと太い縄を巻くんだよね。確か)
マリがマジマジと岩山に見入っていると、舟の周囲でガラスを引っ掻く様な甲高い音が鳴った。
「この音、何?」
「アリアさんの障壁が展開した音だと思う」
グレンは、障壁を確かめる為なのか、海側に手を伸ばす。
「アリアは次期大神官と目されるくらいの術師らしいよ。彼女の障壁があれば、リザードマンの攻撃程度、余裕で防げるだろう」
セバスちゃんの隣に座る公爵が振り返り、アリアの情報を教えてくれる。
「あの婆さんよりは、アリアの方がずっと大神官に相応しい気がするよ。早く代替わりすればいいのに」
「まぁまぁ、イドラもうまくやっていると思うよ。この状況で上位組織に媚びる事もせず、只管に神を信じる姿は、信者にとっては好意的に見られてるんじゃないかな」
「うーん……」
公爵が言いたいのは、立場の違いで人への評価は違ってくるという事なのだろう。
だけど、イドラはただの偏屈な婆さんだとしか思えないので、あまりシックリこない。
徐々に島に近付いていく。騎士達は再び焦り声を上げた。
「この海流、もしかすると、島の周囲を回り始めたかもしれません!!」
「全力でオールを漕げ! このままじゃ島の周りを回り続けるだけになるぞ!」
「なんなんだ、この海流!? まるで誰かの意思で動いてるみたいじゃないか!」
「アリア様! 魔法で補助をお願いしてもいいですか!? 島に向って真っ直ぐに水の流れを作ってほしいのです!」
「分かったわ!!」
予想以上にヤバイ事態になっているようだ。
水の神殿の人々の焦りが伝わってくる。だけど自分は何も出来ないのだ。それがなんとも居心地が悪い。
自然の力と水の神殿の人々の力がせめぎ合い、舟は更に激しく揺れる。
ジワジワと島の姿が大きくなる。アリア達の力が凌駕しているのだろう。
だけど運命の神はマリ達に更なる試練を与えた。
「島の岩山に人影が見えるね……」
公爵のウンザリしたような声が、最悪の状況を伝える。騎士達も気がついたようだ。
「リザードマンが居るぞ!」
「あんなに沢山!? 一度追い払ったのに!」
マリも目を凝らして島を見ると、おびただしい数のリザードマンがこちらに弓を向けていた。射程範囲内に入ったら、この舟の上に矢の雨が降り注ぐのは明らかだ。
(無理だ!! こんなの!)
一度神殿に戻り、作戦を練り直した方がいい。冷静になれば分かるはずなのに、誰もそれを口にしない。皆引っ込みがつかなくなっているのかもしれない。
しょうがなく、マリが言う事にした。
「神殿に戻ろう! 危険すぎるよ!」




