水の神殿の事情②
大神官を呼びに行ったアリアは、一人の老婆を伴い、戻って来た。
老婆が身に纏うのは、細かな刺繍が施された群青色のローブ。頑固そうな眼差しや、堅く引き結ばれた口元は、責任ある立場に就いているのだと思わせる。
「皆様、お待たせいたしました。大神官を連れて来ましたわ」
「御機嫌よう。私はイドラ・フォルトル。この水の神殿を治める立場にあります」
アリアの前に進み出た大神官は、ニコリともせずに自己紹介する。歓迎されていないのは明らかだが、マリ達四人はそれぞれ名乗った。
イドラに「お座りください」」と促され、流麗なフォルムの椅子に腰掛ける。
応接室に入って来た少女が飲み物を配ってくれ、マリは気まずさをやり過ごすために一口だけそのお茶を口に含む。
「うぐっ!?」
茶色の液体なので、ただのお茶かと思いきや、恐ろしい程に生臭い。
どくだみ茶に似た味わいが薄っすら感じるのはいいが、魚介類の味が混ざっている。ハッキリ言って、死ぬほど不味い。
「このお茶、プロメシス伯領で良く飲まれているの?」
「いえ、王都の業者から取り寄せているお茶に、魚粉を混ぜさせているのです。この歳になると食が細くなるので、あらゆる物に一工夫加えて栄養を摂取しております」
「あー、なるほど……」
マリは、母の実家に行った時、母方の祖母にコラーゲン入りの青汁を飲ませてもらった体験を思い出す。女性はどこの世界でも、一定の年齢を過ぎると、見た目や味より、効能を重視するようになるようだ。
そうでなければ、単なる嫌がらせだ。
魚粉入りのお茶はそれ以上飲む気になれず、ティーカップをテーブルに置き、グレンの方に押しやった。
不味い粗茶を出された事による不穏な空気を破ったのは、アリアだった。
「イドラ様、上でも申し上げましたが、この方達はケートスの討伐に来てくださいましたの。イドラ様から状況を説明してくださいませんか?」
「ふん! 私はプリマ・マテリアに『水の神殿だけで解決したい』と伝えたはずですよ。それなのに、プリマ・マテリア本部からは、あの無礼極まりない術者共が派遣されてくるし、今度は勇者!! 余計な事ばかりして!」
イドラがトゲトゲしい声色で不満を口にすると、隣に座るグレンは、手に持っていたティーカップをテーブルに戻す。
「……僕はただ神獣を倒すだけだ。水の神殿には何も望まない」
彼女の言葉から、神殿への過剰な介入を厭う考えが透けてみえたのだろう。彼はハッキリと目的を告げた。
「だから、それが余計だと言っているのです!」
イドラの頑なさに、マリは違和感を感じた。
「イドラさんは、神獣が傷つけられるのが嫌なの?」
「何を当たり前な事を! あの神獣は水の神の持ち物。神聖な存在なのですよ。それなのに、野蛮なプリマ・マテリアの術者達は毎日の様に攻撃して!!」
彼女の考え方に驚く。これが神と共に生き、日々祈りを捧げる者の、あるべき姿勢なのだろうか?
神の意思を尊重し、横暴ともいえる行為を甘受する。
マリはキリスト教だけど、気が向いた時にしか教会に足を運ばないから、理解し難い感覚だ。
「私達は水の神に身も心も捧げているのです!」
「老婆の身体を捧げられても、神は喜ばないでしょう」
セバスちゃんが、空気を読まず、言ってはいけない言葉を口にした。イドラのナイフの様に鋭い視線が彼を射抜く。
「お黙り!! この需要薄の豚め!」
「ピギィ!?」
イドラに一喝され、ブルリと身を慄すセバスちゃん。
非が彼にありすぎるので、フォローする気も起きない。
その様子を楽しげに観察していた公爵が、事態の収拾を図ってくれた。
「とにかく、神に何か意図があるから、こうしてケートスを地上に使わせていると、イドラは考えているわけだ?」
「えぇ、まぁ。そうとも言えます」
(ホントかよ!?)
マリは内心ツッコミを入れる。
イドラはただ単に水の神に心酔しているとしか思えない。公爵が都合の良い様に解釈してくれたと、ホッとしているんじゃないだろうか?
口を挟まずにいられない。
「イドラさんは、ずっと水の神に会えていないんだよね?」
「えぇ。聖域は神獣の力により、水の中に封じられてしまったのです。場所はここからさらに1㎞程沖合にありますが、ケートスやリザードマンの妨害がありますので、今では近付く事すら難しい」
「神の意図を知るすべは無いんだよね? それなのに、神獣の脅威を甘く考えすぎてない?」
「……」
マリは、力が込められたイドラの瞳を正面から受け止める。
火花が見えるなら、飛んだかもしれない。
「ギスギスしても、埒があかないかな。聖域に行ってみようじゃないか」
「公爵、イドラ様が聖域は今は閉ざされていると言いましたでしょう? 死にに行く様なものなのですわ」
挑発的な公爵の言葉を、アリアは困った様にやんわりとはね退ける。
「そうなのかな? ここに居るマリ・ストロベリーフィールド嬢は、プリマ・マテリアの未来の最高神官と目される少女。つまり、属性を問わず、神々と渡り合える存在だ。たとえ危険だとしても、チャレンジする価値はあると思うんだけどな」
公爵の更なる申し出に、マリは目を剥く。
今回はグレンの付き添いのつもりで来たのに、何故か矢面に立たされる流れになっている。
驚いたのはマリだけではなかった。
アリアとイドラに驚愕の表情でこちらを凝視された。




