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エリート・パーティーに配属された悪魔調整士(見習い)

作者: Reckhen

 どうして、こんなことになってしまったのか。

 僕は、目の前の状況を受け入れられずにいた。

「ごめんなさい……。お願い……、許して……」

 泣きながら懇願しているのは、メガネをかけた女子。その身体は触手に絡みとられ、吊し上げられている。彼女の眼前に突きつけられた一本の触手から、ネバネバとした、黄色い円筒状のものがニュルリと顔を出す。「この卵を今からお前の体に産み付けてやる」とでも言わんばかりである。

「……やめろ、このやろう……。このクソ悪魔……」

 地面に這いつくばって呪詛をはき続けるスポーティーでポニーテールの女子。先ほどメガネの女子を救出しようとして脇腹を触手に打ち付けられ、吹っ飛ばされたのだ。痛みにゆがむ表情から、もしかしたら肋骨でも折れたているのかもしれない。

「神よ……、大天使よ……。なぜ応えてくださらないのです……。我々を見捨てられるというのですか……」

 耳を塞ぎ、あさっての方向を向いてしゃがみ込む三人目の女子。薄汚れたローブを身にまとい、うわごとのようにブツブツと何事かつぶやいている。すべての感情が死んでしまったかのように抑揚がない。仲間が大ピンチであるにも関わらず、あらゆる活動を放棄している。

 僕になにができる? 魔法なんか使えず、武器を持ったこともない。そもそも、なんで僕はこんなところにいるのか。なんでこんな目に遭わされなければならないのか。

 僕は記憶を遡ろうとしている。何の役にも立たず、単なる時間の無駄だと分かっていても、そうせずにはいられなかった。


・会議室 午後二時四十五分


「ここか。ここだよね。5013会議室」

 僕は誰もいない廊下で一人つぶやいた。五十階にある会議室の前に来た。

「こんなに会議室って必要なんだろうか」

 生徒会の中枢に近いビル、僕は初めて入った。今まで近づいたこともないような地域だ。緊張で胃がぎゅっとなる。

 携帯で時刻を確認する。さっきから何度も確認している。指定の時間には十五分くらい余裕がある。

「席次が決まっているのか。さすがですねえ」

 会議室番号を示すプレートの下にプリントアウトされた席次表が貼ってある。この事実だけでもレベルの違いを見せつけられている。

「悪魔、が僕の席でしょうか。でしょうね」

 座席を表しているであろうセルの中に『悪魔』とだけ書かれているものを見つけた。僕は『悪魔資源研究部』に所属しているので、それが自分のことを指しているのだと分かっている。分かってはいるのだけれど。

「失礼、しまーす……」

 小さくノックをして、僕は恐る恐るドアを開けた。しんと静かである。中に一人、すでに座っている人がいた。

 ポニーテールの女子。背筋をすっと伸ばし、腕組みをしている。僕が入ってきても目を閉じたままでいる。

「うっ、なんという精神一到。さながら剣豪のごとし」

 僕は慌てて貼ってあった席次表まで戻った。女子が座っているのは「撃剣」と書かれた席である。

「撃剣! 撃剣抜刀隊だ! てことは、やっぱりサムライ?」

 ドアを半分開けたまま、席次表と中の女性を交互に見た。

 女子の傍らには黒いレザーの長細いバックが立てかけてある。長さ的にも日本刀が入っているのだろう。

「……」

 女子の左目がすっと開き、視線が僕の方を向いた。僕はすくみ上がった。

「この威圧感! 撃剣抜刀隊とは、泣く子も黙る治安維持のスーパー精鋭ぞろい! 僕みたいな小市民なんかは睨むだけで鎮圧されてしまいました!」

 撃剣抜刀隊の隊員はサムライと呼ばれている。生徒会から警察権を委譲されていて、極悪人はその場で斬り捨てられるという噂もある。

 女子の口元がわずかに緩んだような気がした。また目を閉じた。僕は動けるようになり、そろりそろりと会議室へと入った。

 会議用の長テーブルが一人につき一台、ゆったりと座れる。テーブルにはアウトプットされた数枚の資料が置かれている。

 資料の中には席次表も入っていた。僕は安心して自分の席であろう『悪魔』の場所に座る。長テーブルとはいえ、サムライさんの隣である。

「……」

 そのサムライさんが目を開け、僕の方を見て、次に自分の席次表も見た。「こいつが悪魔か」と確認しているのかもしれない。

「あっ、どうも、初めまして……」

 僕は媚びるような笑顔で、か細い声を出した。

「撃剣抜刀隊、隊長の伊達だて 政美まさみだ。よろしく」

 腕を組んだまま、ドスのきいた声で言われた。

「あ、よろし、く、おねが……、え、隊長!」

 驚いた拍子に僕の椅子がガタンと音を立てた。

「サムライマスター? ですか?」

 僕はしげしげと伊達さんを見てしまう。

「何か文句があるのか?」

 さらにドスのきいた声と、突き刺すような視線とで、僕は椅子の上で固まってしまった。

「女が隊長だったら文句があるのかって聞いてるんだよ」

 僕は固まったままで首をゆっくりと横に振る。

「そ、その、おサムライさんを見るのも初めてだったので、緊張しちゃって……」

 あまりに情けない僕の様子に、伊達さんは小さく舌打ちをした。

「名乗るつもりがないってことだな」

 また首を前に戻し、伊達さんは目を閉じた。

「はい?」

 訪れる一瞬の沈黙。その後、僕はハッとした。

「す、す、すみません! すみません! ごめんなさい、本当に! ええと、ええと」

 あわあわと机の上の資料をめくったりする。

「悪魔資源研究部、から来ました、不破ふわ 崇人すうとと申します! よろしくお願いします!」

 立ち上がって深く頭を下げた。

「普通にしてよ」

「あ、すみません。普通に、ですか?」

「そんなにビビらないでって言ってるんだよ。パワハラしてるみたいじゃないか」

「そうですね。あ、いや、そうですねっていうか」

「いくら悪魔使いだからっても、いきなり斬りつけるなんてことしないよ」

 それは助かります、と思ってしまった。正確には、僕はいわゆる「悪魔使い」や「悪魔召喚士」ではない。悪魔と人間が共存できないかを研究するというスタンスである。

「悪魔使い、ではないんですけどねー……。ははは……」

 違いをくどくどと説明して気分を害してもいけない。また伊達さんは目を閉じている。僕はそっと椅子に座り直し、資料に目を落とした。SNSで「サムライマスターとお目通りなうwww」とかアップしたら炎上するかな、などと考えていた。

 席次表によれば残る席は三つ。四人が正面に向かって座り、一人は「主催」と書かれた、司会者のような位置である。全部で五人ということである。

「あとは『主催』と『魔道』と『聖堂』……」

 なにせ隣にサムライマスターがいるので、次にどんな人が来てもインパクトが薄くなるだろう。

「ごきげんよう」

 僕が席次表以外の資料を見る前のタイミングでドアが開かれた。何か白いな、という印象の人が入ってきた。

「白いローブ……。司祭さまかな」

 おそらく『聖堂』の席の人だろう。

「サムライと司祭、攻撃と回復、もう充分じゃないでしょうか」

 司祭は僕のような庶民にもわりと身近な存在である。怪我や病気を癒やしてくれる。白いローブがトレードマークな人たち、であるが。

「頭に被っていらっしゃる帽子は、ちょっと見たことがない」

 白い帽子を被った女子、髪がウェービーで、柔らかな表情をしている。

「ローブも、なんていうか、高そう」

 キラキラした金色の刺繍が入っているような。

「あら、伊達さん、こんにちは」

 司祭さまは伊達さんを見つけると、ふわりと腰をかがめて挨拶した。伊達さんも立ち上がり、右手で胸を押さえ「お疲れさまです」と返した。

「この構え! マナーやエチケットに疎い僕だが、伊達さんが敬意を表しているのは分かる! 司祭さまの中でも位の高い人なのでは?」

 柔和なお顔が僕の方を向いた。気のせいか、笑顔が硬くなったような。

「こちらは?」

「不破くん、悪魔使いの」

「ああ」

 自己紹介するタイミングを外され、誤った情報が発信されてしまう。

「あ、いや、悪魔資源けんきゅ……」

 司祭さま関係者に「悪魔使い」という紹介は非常にまずい。と思った刹那。

 ガラン、ガラン。

 司祭さまは両手に持っていた円筒形の鐘を鳴らした。銀色の鐘が僕に向けられて鳴らされている。

「悪魔よ! 去れ!」

 迫力に圧倒され、僕は腰を抜かし、床に尻餅をついた。

「死なないわね。なんてしぶとい。ゴキブリみたい。気持ち悪い。伊達さん、悪いけど斬ってくださいませんか」

 ほらね! 司祭さまにとって悪魔はこんな存在なのは、僕も今までの経験で学んでいた。

「ああ、違った。なんだっけ。悪魔、資源、研究部、か」

 伊達さんがちょっと笑っている。お見通しだったようだ。

「なんですか、けったいなカルト集団みたいで気持ち悪いです。どうせすぐに悪魔に魂を売り渡して、惨めに破滅していくに決まってます」

 僕は尻餅をついたまま、口をパクパクとしている。

「偉大なる大司教代理のご依頼なれど、この場にて斬り捨てるのはご容赦願いたい。まだ罪状も確定していない」

 大司教代理、のところは僕にもよく聞こえるように言ってくれた。

「今はまだ普通の人間ということですか。私の悪魔祓いが効かないなんておかしいと思いました。明日くらいには斬っていただけます?」

 噂に聞いたことがある。大司教の代理にして異端審査会最終意思決定権者。全学園の司祭関係の、要するに実質のトップである。

「信者さんからしたら、ほぼ神、って扱いの」

「知っているか。そりゃそうか。こちらが、あの、加納かのう 沙乃さのさま。失礼のないように。間違っても『冷血聖女』とか『異端への片道切符』とか呼んじゃだめだぞ」

 少し笑っているような伊達さんに対し、僕は尻餅をついたまま首を縦にブンブンと振った。

「ずいぶんじゃないの。そっちこそ『鬼の女隊長』とか『よろず抜刀ためらわず』とか言われないといいですわね」

 二人の間でバチッと火花が散った気がした。

「早く席に戻れ。ここだけ見られたらパワハラしてるみたいじゃないか」

 伊達さんが見下ろして言うが、起き上がるのに手を貸してくれるわけでもない。

「パワハラといえばパワハラといえなくもないような……。あ、なんでもありません」

 加納さまは僕など完全無視で自分の席に座っている。僕も腰が抜けたままテーブルをよじ登り、また席に着けた。

 廊下から大きな足音が聞こえてくる。かなり早い。

「次はどなたでしょうか」

 僕が気を取り直す暇など与えないかのように、ノックもなくドアが開けられる。

「……、はい、分かりました。……はい。お願いします」

 携帯で通話をしながら会議室に入ってきたのは男子であった。背が高いのが目についた。百八十五センチくらいあるのではないか。

「僕は百六十五センチなので、その差は二十センチか」

 うまく言えないが、とにかくエリートなオーラがプンプンしている。緑色の制服に、黒いベレー帽を被っている。

「ベレー帽……。まさか……」

 僕でも知っているレベルの噂、いや、伝説がある。

「ああ、どうも。忙しいところ呼び出して申し訳なかった」

 男子はまず加納さま、次に伊達さんに向け、びしっびしっと礼をした。

「序列的には、治安維持組織の隊長よりも有力宗教団体の幹部の方が上なのだなあ」

 僕の独り言は誰にも聞こえていないらしい。礼をされた二人もそれぞれ会釈を返した。

「立ち上がるほどではないらしい。きっと前から交流があるんでしょうね」

 男子はすたすたと僕の席の前に来た。僕は体を硬くした。

「不破くんだね? 初めまして。場所ってすぐ分かった?」

 にっこりと微笑んでくれた。僕の胸がきゅんとなった。

「場所は分かりました! すぐに! 状況は分かりませんけれども!」

 なにしろ場所と時間しか教えてもらってない。

「詳しいことはこれから。僕は幕辺まくべ しゅう。近衛師団の団長をやっている。よろしく」

 差し出された右手を僕は呆然と見ている。

「こ、近衛師団……。会長の、ってことですよね……」

 この学園にあって生徒会長は絶対の権力者であり、その近くにいられるのはごく一部、なかでも近衛師団は……。

「ハイエスト・ガード。握手なんかしたら爆殺されるぞ」

 横から伊達さんが言う。僕は伸ばそうとした手を思わず引っ込めた。

「はは、ひどいな。なんで握手しただけで」

 幕辺さんは笑いながら司会の席へと戻る。握手は叶わなかった。

「正しくは、ハイエスト・ガード・キャプテン、だっけ?」

「よしてくれ」

 僕でも知っている伝説。黒いベレー帽を見たら生きて帰れない。中でもキャプテンクラスともなると一人が一個大隊に相当するという。

「『生還者なしのワンマン・アーミー』とか、『会長以外皆殺し団』とか。いやはや、本当に存在するんですね」

 幕辺さんがノートパソコンを操作すると、スクリーンにプロジェクターの映像が映し出される。どうやらパソコンを動かしながら説明してくれるらしい。

「キャプテン自ら。申し訳ないですね」

 かといって僕などに代わりが務まるとは全く思えないが。

「もう一人、遅れているけど、さっき電話で、これから家を出るって」

 席次表によれば、空いている席は『魔道』。この調子だと、さぞ強力な魔法使いでも出てきそうだ。

「今から家を出るんですか? なんという大らかさだろう!」

 僕は面食らってきょろきょろするが、他の三名は平然としている。

「あ、もう、待ってないで始めちゃうってことですね」

 やっぱりエリートってドライなところあるよなあ、と資料を改めて見ようかと思ったとき、僕の左の方から赤い光が差し込んできた。

「?」

 驚いて首を左に振った僕の目に飛び込んできたのは、空中に展開された赤い魔方陣である。「すでに足の方が見えている。下からゆっくりと実体化している!」

 高レベルの魔導師は瞬間移動の魔法を使えると聞いたことがあるが、まさか目の前で見られる日がくるとは思ってもみなかった。

「今から家を出る、っていうか、家から直接、みたいなことですかね」

 スカートが見えたあたりで女子であることが分かった。華奢な感じである。

「いよいよご尊顔を拝し……、ああ、やっぱり」

 赤いフレームのメガネを見て、僕は天を仰いだ。

「僕でも知っている超大物! 『恐怖の赤メガネ』! 今や一番有名な魔導師さんではないでしょうか!」

 お名前は『馬場 やあばば やあか』と仰る。町で見かけたら人だかりができるような有名人である。

「前人未踏の魔道七タイトル独占! よく分からないが、とにかくすごいらしい! 魔導師の中でどんなタイトル戦が行われているのか、興味のない僕は詳しくないが、それでも天才魔導師としてその名は知れ渡っている!」

 馬場さんは誰にも挨拶することなく、時分の席に座った。いかにも魔導師らしい杖を長テーブルに立てかけている。

「スマホで検索したい誘惑に駆られている! 何だったかな。確か『ウィザード・チャンピオン』とか、『全学園ソーサーラー選手権』とか」

 思い出したところで何がどうということはないのだが。

「馬場さん、忙しいところありがとう」

「いいえ」

 なんともぶっきらぼうな返答であった。

「テレビで見るまんまだ! 僕は嬉しくなった!」

「さっきから独り言言ってるのが不破くんというんだ。馬場さんは初めてだよね?」

 幕辺さんが紹介しようとしてくれる。馬場さんはちらっと僕の方を見て、またすぐに戻った。

「彼は、悪魔使い、じゃなかった、なんだっけ?」

 知っていながら、自分で自己紹介しろとアシストしてくれているのかもしれない。この方々は油断ならない。

「いや、悪魔使いではなくて、悪魔資源研究部に所属しております……」

「早く始めませんか?」

 馬場さんに遮られた。

「興味ないそうなんで」

 確かに僕はそう言ったけど、馬場さんご本人に興味がない訳ではない。魔導師さん同士のタイトル争いに今までは興味がわくきっかけがなかっただけで。

「私も興味ない。魔法使いのままごとごっこなんか勝手にやっていればいい」

 伊達さんから思わぬ形で飛んできたのは、援護射撃か、とばっちりの流れ弾か。

「なんか言ったかメスゴリラ」

 馬場さんは杖に手をかけた。

「ちょっとディスられたくらいで自己紹介もさせてやらないような狭量なやつと仕事するのが心配だって言ってるんだよ」

 伊達さんもカタナ袋に手をかける。

「いつ言ったのよ」

「ああ?」

 僕の右から伊達さん、左からは馬場さん、お二人の視線がバチバチと僕の顔の前で火花を散らしている。

「おっと、いきなりか。まだ本題に入ってもいないよ」

 幕辺さんが入ってくる。さすが近衛師団長だなと感心した。

「早く謝った方いい。不破くん」

 僕ですか? 確かに失礼な独り言はありましたけれども。

「そ、そうですね。ごめんなさい、興味がないっていうか、その、基本的に、悪魔関係ばかりに興味がいってしまった人生だったもので」

「そうそう。みんな自分のことで精一杯なんだ。魔法使いの中だけの世界でちやほやされてるより、少しは現実世界にその魔力で貢献しろって、こいつはそう言いたいんだよ」

「だからいつ言ったのよ」

 馬場さんの声はさっきより少し大きくなった気がする。

「悪魔にしか興味がないなんて、やはり悪魔に魅入られているのですね。この哀れな存在を救済するには、一度肉体から魂を切り離さないといけません」

 加納さまが僕に向かって鐘を掲げ、右手で聖なる印を結んでいる。

「一度切り離したら戻れないだろ。それとも大司教代理が復活させてくれる?」

復活リザレクションの儀式? 悪魔になんかやりませんよ」

 加納さまは不機嫌になると顔に表れやすいタイプのようだ。

「ごめんね。やっぱり皆さん、悪魔関係者を僕が強引に呼び入れたので不安がってるんだろう。まずはそれを謝罪したい」

 幕辺さんは座ったまま頭を垂れた。

「真摯に謝っているようで、原因は僕にあるということが既成事実にされている」

 自分が責められない、うまい立ち回り、さすがエリートは違う。

「この作戦が終わるまでは、申し訳ないが我慢してもらいたい。不破くんも、可能な限り皆さんを不快にさせないように気をつけてくれ」

 呼び出しておいてそんなこと言われるの? と頭をよぎったが相手が悪すぎる。

「僕の不用意な独り言が皆さんを不快にさせてしまい、大変申し訳ございませんでした。以後、このようなことがないよう注意いたします」

 自分でも呆れるくらいの定型謝罪。

「ドンマイ」

馬場さんは魔導師の杖から手を離した。

「……」

 伊達さんもカタナ袋から手を離している。気のせいか、僕の方を睨んでいるような。

「この作戦が終わったら、なんとしてでも我が教団のセミナーを受けてもらいます。まだ間に合うかもしれません」

 加納さまは胸の前で拳を握りしめ、決意を堅くされていた。

「もういいかな?」

 被害者みたいな体裁で幕辺さんが進行する。

「ちょっと雰囲気悪くなっちゃったけど、今回の作戦は……、これだ」

 プロジェクターからスクリーンに映されたものは。

「『第一回 仲良しキャンプ大作戦(仮)』……」

 思わず声に出して読みたくなってしまった。

「ああ、ごめんごめん。こんなに険悪な空気でスタートするとは予想してなくて、すべっちゃったね」

 お三方が一斉に不満を言い出す機先を制し、幕辺さんは困ったような笑顔で言う。

「もちろんキャンプが目的じゃない。仲良くなくても構わない」

 幕辺さんはクリックして次のページを映す。プレゼンテーションソフトというやつだろう。存在は知っていたが、使ったことはないし、使っているところを初めて見た。

「どうせなら仲良くしたいものですね。はは」

「真の目的は、これなんだ」

 僕の軽口を華麗にスルーして幕辺さんは続ける。

「『悪魔に関する特殊遺跡調査チーム』。これは皆さんご存じないはず。不破くんも知らないよね?」

 もちろん知らない。

「そんな魅力的なチームがあるなんて! 是非お近づきになりたい!」

「すごい食いつきだな」

 伊達さんに呆れられた。

「そこは、そのチームに入りたい、じゃないのか」

「僕なんかが入っても足手まといになるだけですもの」

「……今の、この状況よりは活躍できそうだけど……」

 スクリーンにはチームのメンバーらしき、三名の顔写真と名前が映っている。

「悪いがこのチームは生徒会直属でね、不破くんでも近づける訳にはいかない。いわばトップシークレットってやつさ」

「この瞬間にシークレットではなくなってしまいましたね」

 加納さんが柔らかく笑って言う。

「そう、その通り。もうこのチームは存在しない。いや、死んだとかじゃなく、プロジェクト自体が中止になった」

 次のページは地図が描かれている。

「このあたり、ここから車で二時間ほどなんだが、ある遺跡が見つかった。悪魔に関係する可能性がある」

「そんな近くに? 今まで見つからなかったのか?」

 驚く伊達さんに幕辺さんは肩をすくめた。

「悪魔のやることはよく分からないからな」

隠蔽コンシールの魔法だろう。時間とともに魔力が弱くなってきて、急に見つかったんじゃないか」

 魔導師である馬場さんの指摘に幕辺さんも頷く。

「何らかの方法で隠匿されていたのは間違いない。そして調査に向かったこの三人……」

 次のページ、先ほどと同じく、調査チーム三人のプロフィールが記載されたものだが、顔写真が白黒に変わっている。

「いい趣味してますねえ」

「この三人と連絡が取れなくなった。遺跡の調査中に何らかの事件に巻き込まれたかもしれない」

 スクリーン上で三人の写真の上に赤いバツ印が表示される。

「もしくは、お宝をネコババしてトンズラか」

「表現の仕方は人それぞれだけれど、我々も伊達隊長と同じ心配をしている」

 悪魔関係の遺跡は、現在でも数件しか見つかっていない。

「いわゆる『悪魔戦争』のころの遺産が眠っているかもしれないんですね! 僕は興奮のあまりどうにかなってしまいそうだ!」

 『悪魔戦争』が起きたのは今から千年前とも一万年前とも言われている。それまでの文明を破壊し、今のような魔法やモンスターや悪魔が存在する世界に変わるきっかけとなった出来事らしい。

「なるほどですね、それで、悪魔使いの彼を引き入れたと」

 加納さまのお言葉に、僕は興奮しながら「悪魔使いではないんですけどね」と小声で言った。

「通信が途絶えた原因が分からない限り、ここで議論していても仕方ない。現場に行って捜索するしかない。これは分かってもらえると思う」

「ついでにキャンプもしようってか?」

 腕を組んだ伊達さんがせせら笑う。

「鋭いね。やっと一ページ目が関係してくる」

 幕辺さんはページを進める。一ページ目にあった『第一回 仲良しキャンプ大作戦(仮)』が再び表示された。

「(仮)が! アニメーションで!」

 文字がゆっくりと消えていく。プレゼンテーションソフトの機能の効果で、僕の目は釘付けにされている。

『第一回 仲良しキャンプ大作戦……のはずが移動中に偶然遺跡を見つけてしまった作戦』、と表示されている。皆が無言になる。

「今日は全然ウケないなあ。慣れないことはするもんじゃないね」

「いや、そういうことじゃなくて」

 伊達さんが手を振った。

「なにか言いたいことがあるんじゃない?」

 そしてその手の親指で僕を指名した。

「なんだろう。遠慮なく言ってくれ」

「僕からは特に……、あ、いやいや」

 伊達さんが求めるコメントまでたどり着くことができるのだろうか。だが、こんなに睨まれていては、やるしかない。

「その、普通に捜索に行くことはしないのですか?」

 僕の質問に、幕辺さんは頷き、伊達さんは少し首を傾げた。

「さっきも言った通り、何しろトップシークレットだったものでね、捜索に行ったという記録すら残せないんだ。後で日誌なんかが見つかったら大変なことになる」

「だからといって、この五人でキャンプに行くものでしょうか」

 加納さまがそう言いながらちらっと僕の方を見た。悪魔関係者と一緒に行動するなどあり得ないというのだろう。

「そこなんだよね。この計画、どうしてもこの三人に御願いしたかった。失敗が許されないから。それだけ重要な作戦だと思っている」

 幕辺さんが言葉に力を込めている。

「三人……」

 僕は左右を見渡す。

「同時に、悪魔関係の知識を持った人間が必要だ。今は詳しくは言えないが、この遺跡というやつ、かなりヤバいらしい」

「へえ!」

 ヤバい遺跡。僕の胸が高鳴る。

「まずは悪魔使い、悪魔召喚士の連中をリサーチしてみたんだけど、知っての通り、とても一緒にはいられない。そうだろう?」

「確かに、あいつらの反社会的な性格にはいつも苦労させられる。無駄にエネルギーを消費させられるよ」

 伊達さんがしみじみと言う。治安維持の妨げになっているのだろう。

「なんか臭いと思ったら、だいたい近くに悪魔使いがいるもんね」

 馬場さんも同調する。悪魔と契約すると、副作用で悪臭を放つ場合がある。

「悪魔なんか存在する価値がないどころか、害悪でしかないのに、なんで好き好んで契約したり、研究したりするのか、私には永遠に理解できないでしょう」

 加納さまがどさくさで僕の方もディスってきた気がした。

「悪魔祓いでぼったくってるくせに」

「は?」

 伊達さんの挑発に加納さまが気色ばむ。

「そこで、悪魔の知識があって、なおかつ、悪魔と契約を結んでいない彼なら、うってつけの人材だと思ったのさ。悪魔資源研究部の教授に紹介してもらった」

「なんて紹介?」

「一番まともそうだってさ」

「これで?」

 伊達さんが辛辣に笑う。

「加納さんと悪魔召喚士を一緒にはさせられない。でも悪魔かぶれの小僧っ子だったら……」

「性根をたたき直して更生させるため、やむを得ず、と。私が自ら? こんな下っ端……っていうか、下々、じゃなくて……、なんでしょう?」

「雑魚?」

「それです!」

 偉大なる大司教代理が、わざわざ僕なんかのために時間を割いて教化してくれるはずがない。分かってはいるのですが。

「未熟者、くらいに留めてほしかった」

「まあまあ、僕が無理にお願いした、とかでなんとかなりませんか。同じ人間なんだし」

 幕辺さんは恐らく心にもないことを言っている。

「不破くんは一般人として参加してもらうことになる。みんなでフォローしてあげてほしい。足手まといだと思わずに」

「なんかすみません。よろしく御願いします」

「足手まといだという事実は変わらない。そっちも、自分が足手まといだっていう自覚を持って行動してね」

「気をつけます」

 僕はぐっと唇をかんだ。

「もう一つ、不破くん、当日は『悪魔解析システム』を持ってきてほしい。いつ悪魔が出てくるか分からない」

「何それ。そんなのあるの?」

 馬場さんが興味を示した。知られていないらしい。

「『悪魔解析システム』とは、なんていうか、ゴーグルみたいになってて……」

「悪魔が発散する微量の粒子を探知して、隠れた悪魔を発見したり、その悪魔がどんな特性を持っているか解析したりする。古代文明の技術を応用したシステム、だよな?」

 すらすらと幕辺さんが言うのを僕は聞いていた。

「そんな技術があるのなら、もっと効率よく悪魔を駆逐できるかもしれませんね」

 加納さまが違う角度から食いついてきた。

「索敵担当か。立派な任務じゃないか。良かったな」

「ありがとうございます。当日までにシステムの使い方をおさらいしておきます!」

「いちいち不安にさせられるんだよな」

「申し訳ないが、予備をもう一つ、お願いできないか」

 幕辺さんがぐっと出てくる。

「予備……」

 僕は考えを巡らせる。ゴーグルは一つしかないが……。

「捜索するときに、手分けできるように」

「あ、タブレット型があります! 試作機ですけどやることは一緒です」

「借りても大丈夫かい?」

「ええと……」

 僕は必死に思い出す。今さら駄目ですとも言えないし。

「大丈夫です多分!」

「じゃあ、次、当日の日程だ」

 またスクリーンに皆で注目する。

「って、明日ですか!」

 一番上に書かれた日付が明日だった。

「本当は今からでも行きたいくらいだよ」

 朝八時に集合。車でキャンプ場に移動。昼ご飯をキャンプ場で食べて、温泉に入り、夕方四時にキャンプ場を発ち、六時頃に解散。

「日帰りじゃん」

 馬場さんが唇をとがらせる。

「デイキャンプというらしい。泊まりたかったらご自由に、だね」

「泊まりはまずいでしょうからね、さすがに」

「なんで?」

 僕の無難な合いの手を伊達さんが阻んできた。

「え、だって、そんな、男女で、泊まりなんて」

「私は任務があるからできないが、普通に泊まりがけで旅行に行ったりするものじゃないのか」

伊達さんが首を傾げている。

「私どもも不純異性交際は教義で禁じられていますが、一般の方はそこまで……」

 今まで以上に加納さんが上から笑ってくる。

「逆に私なんかはタイトル戦で旅行しまくりだね。転移テレポートで帰って家で寝てるけど」

 テレポート分の魔力を温存しても試合に勝てていると暗に自慢したいのかもしれない。

「そこまでだ。泊まりたい皆の気持ちはよく分かるけれど、これは残念ながら仮のスケジュール。このキャンプは実現しない」

 幕辺さんがクリックすると、スクリーンの日程の上に大きな赤いバツ印が現れた。なんとなくガッカリした感じが会議室内に漂う。

「この日程は後で何かが起きたとき、ないと思うけど、念のためのものだ。あくまでも偶然、移動中に遺跡付近を通ったとするための」

「分かるけど、それこそテレポートで直接行けばよくない?」

 馬場さんが堂々と言う。

「だから、偶然通りかからないと。ピンポイントで移動しちゃだめなの」

「さっと行って、さっと帰ってこようよ」

「失踪した調査団が見つかるかもしれない。説明がつかないよ」

「ここから直接、隕石を落とすのは?」

「うん。調査団も遺跡も吹き飛んでしまうからだめだね」

「じゃあせめて、お昼のバーベキューを変えて」

 馬場さんがスクリーンを指さす。

「いや、だから、バーベキューもやらないです」

 幕辺さんの声がだんだん冷たくなってくる。

「お昼前に片付いたら?」

「帰ればいいんじゃないか」

「キャンプするために集まったのに?」

「片付き方にもよるかな。調査団の死体が見つかったりしたらキャンプどころじゃなくなる」

 苛ついてきた幕辺さんの一言に一同は口をつぐんだ。

「バーベキューはお嫌いですか?」

 空気を変えようとする僕の言葉がむなしく響いた。

「匂いが嫌」

 馬場さんが断言した。もはや架空の予定だからと言っても通用しないだろう。

「じゃあ、僕らはキャンプ場に何をしに行くんだろう。不破くん、アイデアないか?」

 トンチンカンな答えを出せば僕のせいになる。良いアイデアなら採用されて全体がまとまる。どちらに転んでも幕辺さんが損をしない展開に持ち込まれた。

「キャンプ場……、お昼ご飯……、バーベキュー以外……」

 僕は頭を抱えてひねり出そうとする。

「芋煮会は?」

 急に伊達さんが知らない単語を言ってきたのでびっくりした。

「なに?」

 伊達さん以外が全員きょとんとする。

「でかい鍋で、芋とか肉とか煮て、河原とかで。知らない?」

「どこの風習よ」

 加納さまが笑う。

「ヤギを解体するやつ?」

 馬場さんが興味しんしんで参加してきた。

「それ違う」

 僕は芋もヤギも知らなかったが、それぞれ地域が違う郷土料理な気がする。

「キャンプで鍋はあるんですか。いっそカレーとか?」

 僕のベタな提案に、四名は「真っ先に思いつくけどあえて言うかな」という顔をしている。

「カレーの匂いは大丈夫なのか?」

「嫌いじゃない。ものが焦げる匂いが嫌」

 伊達さんと馬場さんがうなずき合っている。

「オーケー。カレーでいこう。明日までに準備できるか?」

 僕が準備するんですか?

「実際には作らない、はずだから。適当で構わない」

 幕辺さんもおそらくカレーの口になっているだろう。

「うちに芋煮会用のでかい鍋があったはずだから持ってくるよ」

 伊達さんが言ってくれる。

「あとは具材と、調理用具、お皿とスプーン……」

 僕は資料の裏に必死で書き出す。

「すみません。信教上の理由で、鶏肉は入れないでくださいませんか」

 加納さまが言う。僕は「鶏肉NG」と書く。

「辛すぎるのも勘弁」

「甘いカレーは許されない」

 馬場さんと伊達さんが同時に言う。僕は「中辛」と書く。

「飯ごうは野営チームのを借りてくる。炭もあるだろう。飲み物は途中で買っていこう」

 幕辺さんも楽しそうになっている。僕は「実現しないのが慚愧に堪えない」と書いた。

「いいだろう。最後に、このチームの名称を決めておきたい」

 次のページには『鋼の結束! 我ら 生徒会中央危機管理特別強行偵察隊(仮)!』と大きなフォントで書かれている。

「また(仮)か……」

「チーム名……。決めなければいけないものでしょうか」

 まず加納さまが要点を押さえる。

「けっこうなプロジェクトを同時で抱えちゃってさ。進捗管理するのに名前があるとありがたい」

「長くて覚える気にならないな」

「良い案があったら遠慮なく言ってほしい」

 伊達さんの言葉に幕辺さんがムッとする。

「『マジカル・ソーサリー・ウィザードツアー』」

 馬場さんがすぐに言うが。

「魔法使いメインだな」

「実際そうだからね」

 臆面もなく馬場さんが続ける。

「悪くないけど、もう少し結束を感じる名前の方がいいかもしれない」

「では『聖堂守護者と四匹の類人猿』はどうでしょう」

「聞いてましたか?」

 加納さまに幕辺さんが強めに言う。

「『斬奸必滅皆殺し隊』、これどう?」

「何しに行くのかな」

 イライラした幕辺さんは首を振り続ける。

「不破くん、出番だぜ」

 またこのパターンである。今回はかなり退路を断たれている。

「まず、キャンプに行く目的で集まってるという前提から外れてはいけないと思うんです」

「冴えてるな。偵察隊って名前だと最初からキャンプがフェイクだって自ら暴露するようなものだ」

 伊達さんの指摘に幕辺さんがニヤッとした。織り込み済みのようだ。

「先史時代の文献によると『黄金の夜明け団』という組織がありましてね」

「ほう」

 皆さんに好感触なようで僕は気をよくする。

「無難な単語と、自然現象とを組み合わせるのはどうかなと」

「素晴らしいよ。続けてくれ」

「うーんと」

 僕のガイドに基づいて案を出し合ってほしかったが、最後まで自分で考えないといけないようだ。

「カレーがコア・イベントですから……」

 ここはあえて不正解の答えを出しておいて、僕の責任になるのを回避しよう。短い時間で僕も成長したことを示したい。

「『夕焼け腹ぺこ団』、なんちゃって」

 会議室は静まりかえる。

「……取り立てて、強く否定する気にもならないね」

「微妙なとこ狙ってきたな」

「お昼ご飯なのに「夕焼け」なんですね」

「昼に食べても、夕方にはおなかがすく、ってことじゃないかな」

 僕は驚いた。幕辺さんがノートパソコンを閉じ、女子お三方も席を立とうとしているのだ。

「あ、あの……」

 まさか採用されるとは思っていなかった。

「少し時間過ぎちゃって申し訳ない。今日はありがとう。明日はよろしく」

 幕辺さんが会議室を出て行った。入ってきた時のように足音が大きかった。

「……」

 馬場さんがブツブツと呪文を唱えている。転移テレポートだろう。すでに足下がうっすら消えていっている。

「……ニンジンは構わないけど、ジャガイモは少なめだとありがたい」

 呪文を唱えながら同時に会話もできる。大した天才ぶりである。

「了解しました。作らないみたいですけど」

 空中から赤いメガネがなくなるころには、加納さまもドアのところまで移動している。

「ごきげんよう。皆様に祝福と、悪魔関係者に呪いがありますように」

 ガラガラと鐘を鳴らして印をきる。僕には呪いがかけられているらしい。

「お疲れさまでした」

 伊達さんが敬礼で見送る。僕も並んでお辞儀をした。自然とそうさせる雰囲気を加納さまは纏っている。

「……」

 伊達さんと僕の二人が残された。伊達さんが出て行かないので僕も立ったままでいる。

「お前みたいなやつを見てるとイライラする。抜刀隊なら五百発は殴ってる」

 あんな精鋭部隊に入れるわけないし、体育会系じゃないし。

「すみません」

「言い返せよ! すぐに謝らないで!」

 本当にイライラした風で伊達さんがグイと顔を近づけてきた。身長差も手伝って、僕を見下ろす感じだ。

「ごめんなさい、でも、僕なんかが……」

「それもやめろ。『僕なんか、僕なんか』。謙虚なふりして、お前は自分が責任を負うことから逃げてるんだ! それでも男か! 金たま余ってるなら私にくれよ!」

 僕は思わず両手で股間を押さえる。

「今のところ取り外す予定は……」

「冗談だよ。パワハラじゃないからな」

 少しも笑わずに伊達さんも会議室を後にする。

「……」

 僕が一人残された。ゆっくりと席に座り、ため息をつく。

「SNSにアップしたら怒られるんだろうなあ……」

 資料をめくる。守秘義務の項目がある。漏洩したら存在の保証がない、とある。

「いい匂いだった。シャンプーかな」

 僕は鼻をひくひくとさせた。


・某駅前 車寄せ 午前七時半


 集合場所には伊達さんが先に来ていた。

「おはよう」

 腕を組んでいる。昨日のデジャブである。

「おはようございます! 早いんですね!」

 クーラーボックス二つを肩からさげた僕は小走りで駆け寄る。

「何をそんなに買ったんだ」

「五人前ですけどね。買ってるうちに多めになっちゃいました」

「作らないのに。もったいない。経費の精算は早めにしておけよ」

 重低音のエンジン音が聞こえてくる。

「うわ、でかいっすねー」

 僕が想像していたのはワンボックスカーくらいのものだったが、目の前に現れた乗り物はマイクロバスくらいだった。

「いい趣味してるよ」

 黒いボディに黄色いライン。窓も真っ黒で中は全く見えない。

「防弾でしょうか。いくらいくらいするんだろう」

 プシューと音がして幕辺さんが降りてきた。伊達さんは荷物を持って積み込む体勢に入っている。

「おはよう。待ったかい?」

「時間前でしょ。問題ない」

 車体の横に収納スペースがあるらしい。伊達さんは大きな金色の鍋を積み込んだ。

「貸して」

 僕のクーラーボックスや段ボール箱を幕辺さんが受け取り、収納スペースの中にロープで固定していく。

「すごい手際がよい。僕なんかだったら一時間かけてもロープゆるゆるでしょうね」

 幕辺さんからは見えない角度で伊達さんに尻を蹴られた。禁句『僕なんか』が無意識に入っていた。

「運転してみるかい?」

「免許持ってないですよ」

 ハイエスト・ガードの皆さんなら運転技術もプロ並みなんだろうが、こっちは一般人ですから。

「ハードアーマー・ビークル・ダイナミック。一般の方はまずお乗りいただけないぜ」

「いくらくらいするんですか?」

「予算は一台二千万だけど、実際はもう少し安い」

 さらりと言う。

「悪魔解析システムは?」

「はい、まずこちらのゴーグルがですね……」

「使えればいいよ」

「で、こちらが予備です」

 タブレット型の端末を取り出す。

「俺が持っててもいいかい?」

 幕辺さんが手を伸ばしてくる。

「あ、ええと」

 悪魔資源研究部の叡智が集まっている。一瞬ためらってしまった。

「借りパクなんかしないよ。予備なんだから、手分けした方がいいだろ」

 押し切られる形で渡してしまった。解析システムにログインできるだけだから、悪用されても後で遮断すればいいだけなのだが。

「席順は?」

 伊達さんが車内を見ながら問いかけている。

「決めてないな。余裕あるし、好きなところで」

 決まっていたら幕辺さんなら事前に展開するだろうし、伊達さんが知らないはずがない。

「不破くんは助手席でお願いしたい」

「うっ、僕なんかに助手が務まるでしょうか」

 また蹴られそうな気がして尻を押さえた。

「何もしなくていいよ。ナビもあるし。女子とイチャイチャしないように君は助手席だ。これは真面目な作戦なんだ」

 見る人によってはこのパワハラ地獄も愛情表現に見えるのかもしれない。伊達さんの舌打ちが聞こえる。

「ごきげんよう」

 加納さまの声も聞こえた。キャリーケースのキャスターがガタガタする音も聞こえる。

「日帰りなのに、そんな荷物?」

「経典とか、パソコンとか、着替えとか」

 加納さまは例の銀色の鐘だけを抱えて、キャリーケースは収納スペースに詰め込んだ。

「どうですか? 呪いの方は効果ありました?」

 そしてニッコリと僕に微笑んで言った。

「体はなんともないですね。ただ、昨夜、部屋にクモが出ましたけど。五匹くらい」

 嫌がらせのようなレベルである。

「悔い改める気になりましたらいつでも言ってくださいね」

 最終的にすがりつくのは宗教になるかもしれないが、まだ先のことだと思いたい。

「席は自由だそうです。彼は助手席なので他ならどこでも」

 伊達さんに促され、加納さまが優雅にビークルに乗り込む。

「久しぶりに歩いて疲れちゃいました」

「いつもの送迎ができませんからね」

 普段の大司教代理なら送迎車も取り巻きも相当なものだろう。なんとなくお祭りのお神輿を想像した。

「行くぞ。どうした?」

 車外で一人待っている僕を幕辺さんが呼ぶ。

「まだ馬場さんが」

 なんだろう、このデジャブ。

「もう乗ってる」

 慌ててビークルに乗り込んだ僕は、最後尾の座席で寝ている馬場さんの姿を見た。毛布にくるまっている。

「いつの間に」

 すでにエンジンは快調なうなりを上げている。急いで助手席に座りシートベルトを締めた。

「うわ」

 運転席を見れば戦闘機のコクピットのようである。天井にもたくさんの計器やスイッチが並ぶ。

「こんなの飾りだよ。全部AIで動いてるからね」

 幕辺さんはハンドルから少しだけ手を離して見せてくれた。

「なるほど、ハンドルが自動で動いていますね」

 また幕辺さんはハンドルを握る。AIを信頼しきってはいないのだろう。

「すごい加速力ですねえ」

 体に感じるGが飛行機の飛び立つときみたいである。

 車内を振り返る。最後尾は馬場さんが占領して、右座席の前のほうに伊達さん、左座席の後ろの方に加納さま。

「お互いの視界に入らないようにされている」

 座席は左右に一列ずつ、かなりゆったり座れるようだ。

「リクライニングもかなりの角度いけそう。ベッドみたいになるのかな」

 伊達さんは背筋を伸ばして腕を組み、相変わらずの剣豪スタイルで微動だにしない。

「音楽も聴けるのかな。映画かな」

 加納さまは備え付けのヘッドホンを装着してコンソールをいじっている。

「今はまだいいけど、遺跡に近づいてきたら、例のシステムで警戒してくれ。悪魔が近くにいないか」

「了解です」

 僕はリラックスできない。すぐ横で見張られている。

 ゴーグルを装着して電源を入れる。ピコピコと音がして『悪魔解析システム』が起動する。

「まだいいのに」

「あ、つけっぱで行こうか、なんて」

 ずっと装着していても肌に負担がかかりにくい素材でできている。

「今のところ、半径百メートルに悪魔がいる確率はゼロパーセントです」

「そりゃどうも」

「警戒モードにしてあります。悪魔線を感知したらアラームで知らせてくれます」

 両手の手袋に動作センサーが付いていて、空中で手をフリフリするとゴーグル内のカーソルなどを操作できる。

「ちょっと怪しい人みたいですか?」

「うーん、ちょっとな」

 オンラインで悪魔資源研究部のシステム担当と繋がる。『おはよう』と文字を送信するが返事はない。

「さっちゃん、まだ来てないか」

 システム担当者には九時くらいにスタンバイをお願いしていた。

「通信してる? 秘密は漏れてないだろうね?」

 ピリッとした声を幕辺さんが出した。

「はい、キャンプに行くとしか言ってません」

「怪しまれてないか?」

「先週も家族旅行で使ったりしてますし、またか、くらいのはずです」

「家族旅行に悪魔解析システムを持って行くのか?」

「変ですか?」

 普通、持って行くでしょ、くらいのテンションで僕は応えた。

「そちらの間合いが分からないが、何に使うんだい?」

「旅行先で悪魔に会うかもしれないじゃないですか」

「エンカウントするってこと?」

「そうですね、あとは、とっさに使えるように」

「演習か」

ようやく合点がいったらしい。

「実際に悪魔に出くわすことってある?」

「ありますよ。たまにですけど」

「そんなときはどうしてる?

「こちらが何もしなければ、基本的に向こうも何もしてこないんですけどね」

「本当かよ」

「その辺の誤解とか偏見とかを何とかしたい、ってのも、我ら『悪魔資源研究部』の研究テーマとなっておりまして」

「今度、悪魔を見かけたら、加納や伊達に言って、駆逐してもらったらいいんじゃないか」

 偏見は根強いらしく全然聞いてもらえてない。なんか呼び捨てにしてるし。

「いざというときは心強いですね。悪魔は危険な側面もありますから」

 ここで議論しても仕方ないし、幕辺さんの偏見を覆せる勝算もない。

「あの三人の中だったら誰選ぶ?」

 システムへの興味が尽きたのか、幕辺さんがニヤッとしながら話題を変えてきた。

「いやいや、僕なんかが、おこがましい」

「そりゃ実際には相手にされないだろうけど、タイプで選ぶなら?」

 幕辺さんとの距離が縮められるかもしれない。先方から近づいてきてくれてるのだけれど。

「消去法でいきます」

「いいぞ。じゃあ、第三位から」

「加納さま、は、ぶっちぎりで怖いですね。呪いもかけられたし」

「分かるなあ。ゆるふわなフリして、他人を虫けらみたいに見ているもんな」

「あとは宗教色が強すぎて、無宗教の僕なんかは引いてしまいます」

「信じ切ってて悪気がないから厄介よな。単なる狂信者なら無視すればいいけど、実際に回復とかしてもらえるから始末が悪い」

「実利があるから文句も言えませんものね」

「そうなんだよ。組織としても、まあ面倒くさい」

 幕辺さんが画面を操作する。加納さまはベタな恋愛映画を見ているというのが運転席・助手席にいながら分かる。

「何を再生しているか筒抜けなんですね」

 伊達さんは何も見たり聞いたりしていない。ずっと瞑想しているようだ。

「ヘイ、第二位」

 伊達さんか、馬場さんか。

「正直、馬場さんとはコミュニケーションとれてなくて」

馬場さんは最後部で寝ているはず。

「知ってはいるよな?」

「有名人ですからね」

 ただしメディアには出たがらないらしい。もっぱら『天才魔導師』という事実のみが耳に届いている。

「天才が彼女だったら嫌かい?」

「どうなんでしょうね。劣等感とか湧くんでしょうか。今より」

「なにせ忙しそうだ。今日のスケジュールを押さえるのも苦労した」

「いつもタイトルの防衛戦をやってるような」

「そうそう。会場に爆弾が仕掛けられたってことにしてさあ、タイトル戦を延期にしてもらったんだよ」

 笑いながら幕辺さんは言うが。

「大丈夫なんですか」

「大丈夫じゃないよ。それくらいヤバい案件なんだよ」

 余計にかかる費用がどれくらいになるのか、想像も付かない。

「普段はデートする時間もないだろう。ずっと寝てるんじゃないか」

「精神力を消費するんでしょうね。魔法のことは分かりませんけれども」

「デートで攻撃魔法の実験台にしてもらえよ」

「どんなデートですか」

 消去法でいくと一位は伊達さんになってしまう。エンジン音がすごいから聞こえていないと思う。

「じゃあ伊達狙いかあ。ずいぶん怒られてたみたいだけど」

 やはり見られていた。油断ならない。

「狙ってないし、怖いのには変わりありませんけど、仰ってることは理解できるっていうか」

「抜刀隊の荒くれ者どもを気合い一発で統制するからな。女にしておくには惜しい」

 一瞬、伊達さんの方から波動のようなものが発せられた気がする。

「聞こえてないといいですね」

「案外、君みたいなタイプの方がうまくやっていけるかもな」

「僕なんか……、いや、僕レベルでは釣り合わないでしょう。同じタイプでも、大企業の御曹司とか、貴族の出身とかじゃないと」

「どうしてそこまでへりくだれるんだろう。言ってみなきゃ分かんないじゃないか」

「言うって、何をですか?」

「決まってるだろ。愛の告白だろ」

「やめてくださいよ」

 昨日会ったばかりで、なんでこんな展開に。

「俺から言ってやろうか?」

「うっ、いや、ほんと、大丈夫ですから」

「なんだよ『うっ』って」

 運転が退屈だからシャイボーイをからかって楽しんでいるんだろう。


・インターミッション

(ゴーグル内でのシステム担当者とのやりとり)

『おはよう、じゃないよ。休日の朝っぱらから仕事させられる身にもなってよ』

『おはようございます、さっちゃん』

『ございますもいらないよ』

『今日はミスれない。よろしく頼むよ』

『いつもと違うの?』

『詳しくは言えないけどね。トップシークレットだから』

『確かに、血圧やら脈拍やら、かなりのストレス反応だぜ』

『心臓が止まったら教えて』

『どんなキャンプだよ』


・大門サービスエリア 午前九時半


 高速道路の途中、サービスエリアで休憩をとる。

「あ、ごめん」

 ビークルを降りる際、伊達さんに後ろから事故を装って蹴られるなどした。

 十五分間の休憩。まずはトイレ。その後で飲み物でも買おうか。

「目的地まであと三十分ほどだ。各自警戒を怠らずに」

 幕辺さんは大股でトイレの方に去って行く。少し時間をずらした方がいいか。

「……」

 馬場さんが無言で降りてきた。サングラスとマスクをつけている。同じくトイレの方に向かわれる。

「有名人だから変装してるのか。大変ですね」

「そうだな。デートの時間もないだろうし」

「かっ、加納さまは映画に見入っているみたいですね。一人で車内に残しておいて大丈夫でしょうか」

「狂信者のやることは理解できないからな。厄介だから関わらない方がいいんじゃないか」

 伊達さんと僕がビークルの前で立っている。

「行かないんですか?」

「どこに?」

「えっと、買い物とか」

 トイレに、というのははばかられた。

「必要なものは準備してきてあるだろう。今になって何を言っている。現地調達など、大企業の御曹司でもあるまいし」

「伊達さんって耳いいですか?」

「どういう意味だ」

「遠くの人のおしゃべりとか聞き取れるとか」

 伊達さんは応えず、腕を組んだまま僕を睨んでいる。

『大門サービスエリア 鉄板 名物』

 僕はすばやく送信した。

『しぼりたて生乳ソフトクリーム、一択でしょ』

 すぐに返信してくれる。

「このサービスエリアなんですけど、ソフトクリームが有名みたいですよ」

 僕は売店の方を指さす。ソフトクリームと書かれたのぼりが立っている。

「甘いもの控えてる」

『大門サービスエリア 鉄板 名物 甘くない』

『たこ焼き』

「あ、たこ焼きもあるみたいですねえ」

「けんか売ってるのか? 甘いもの控えてるんだから炭水化物も気をつけているに決まっているだろうが。それとも太らせたいのか?」

『女子 不機嫌 回復』

『スイーツでも食わしとけば』

『大門サービスエリア 鉄板 スイーツ』

『しぼりたて生乳ソフトクリーム(既出)』

ループしてる!

「さっきから何してるんだ?」

 伊達さんがゴーグルをのぞき込んできたのでドキッとした。

「あーいやー、ここの名物を検索してまして」

「ネットに繋がってるのか?」

 もちろんネットにも繋がるが、チャットの方が楽なので。

「本部の方に常駐している奴がいるので、いろいろ聞いてます」

「通信しているだと? 情報漏らしたら殺されるぞ」

 このあたりは幕辺さんと同じ感覚らしい。

「そこは、もう、普通のキャンプってことしか言ってません」

 言わないと逆に不自然なので。

「危なっかしいな。ログを見せろ」

 伊達さんは僕のゴーグルを奪おうとしてきた。

「ええ? 命令ですか?」

「当たり前だ」

 サムライマスターの命令に一般市民が逆らえるはずがない。

「私には見せられないのか?」

 伊達さんはトーンを落とし、真剣な顔になる。

「どうぞ」

 すぐに僕はゴーグルを外す。

「見えますかね」

二人でゴーグルの内側を見ようとすると顔と顔を近づけることになる。

「……女子、……スイーツ、ほう」

 顔が赤くなるのを感じる。

「あ、ほら、トップシークレットって言っちゃってる」

「冗談ですけどね」

「ほのめかしたくなるんだよ、自分だけ知ってる情報だと思って調子に乗る。取り調べ中の容疑者とか特に」

「そうですね、気をつけないといけませんね」

「……キスまで十センチ……」

 後ろから声がして僕は飛び上がった。

「……映画が終わって出てみれば、類人猿が発情中……」

 加納さまがハンカチで目元を押さえている。

「泣けるエンディングだったみたいで」

 僕の軽口を無視し、加納さまもトイレの方に歩いて行く。

「だれが発情だって?」

 ゴーグルを僕の方に放り投げ、伊達さんがトゲのある声を出す。

「その男は悪魔の手先です。誘惑に負けないで、サムライマスターさん」

 捨て台詞を残し、加納さまは去って行った。

「坊主のくせに人を不機嫌にするのがうまいよな。ああ不機嫌だ」

 伊達さんも歩きだす。

「不機嫌な女にはスイーツでも食わしておけばいいんだろ?」

「僕の見解じゃないんですが」

「不味かったら叩き斬るからな」

「僕のオススメでもないし」


・インターミッション


『トップシークレットって、お前まさか、ドライブデートしてないだろうな』

『俺、トップシークレットなんて言ったっけ』

『ログが残ってるぞ』

『いい天気だなあ。キャンプ日和だ』

『キャンプデートか? くそう! 爆発してしまえ!』

『ありきたりな、ごく普通の、日帰りキャンプはここからが本番だ。しっかり頼むよ』

『こうなったらやけくそだ。愛の告白の定型文も自動作成してやるよ!』


・山道 午後十時


 高速道路を降り、ビークルは細い山道へを進んでいる。

「悪魔の反応は?」

「ないですね」

 千年前の悪魔戦争でできたとされる断層を上っていく。ほとんどが森に覆われていて素人には判別できないが。

「こんなところで襲われたら嫌ですね。逃げ場がない」

 左は生い茂った森、右は断崖絶壁である。

「おいおい、そんなこと言ってると……」

 幕辺さんの心配と、ゴーグルのピーというアラームがほぼ同時であった。

『レッツ・エンジョイ・キャンピング! Aランク接近!』

 ゴーグルに矢印と距離が表示される。

「Aランク! 来ます! 左から!」

「それって強いってこと?」

 急にランクで言っても伝わらなかった。

「一番上がSランクで、次がAです」

「よく分からないな」

「Sランクが、いわゆる『魔王』ってやつですかね。Aは『頑張れ、もうすぐ魔王』って感じです」

「何だそりゃ」

 なかなか伝わらない。

「日頃からランキング表をチェックしてないとピンとこないかも」

「舌かむぞ!」

 直径一メートルくらいの岩石が振ってきて道路にめり込む。

「ええ?」

 このまま車は岩石に突っ込んで、、僕は死ぬだろう、と思った。

「うわー!」

 視界が左右にブレる。僕の体もシートベルトを中心に振り回される。

「ええい!」

 苛立たしげな幕辺さんの声でシートベルトは真後ろへと食い込む。

「なに? なに?」

 今度は横に振られる。ガリガリと振動しながらビークルが止まった。

「止まった? 助かったのか?」

 恐る恐る目を開ける。ゴーグルには右方向の矢印とともに『五メートル』の表示がある。

「えっと、右に……」

 右を向いた僕の目に映ったのは一体の悪魔のシルエットと、寸断された道路であった。

「ギリギリで止まれたのか……」

 横にスライドしながら無理矢理に減速したのだろう。左を見ればボロボロの道路と無数の巨岩である。

「岩を避けながら走行してきたのか」

 幕辺さんのドライビングテクニックを褒めている時間はない。

「Aランク! どちらさまでしょうか!」

 悪魔解析システムでのスキャンは始まっているはず。

「ちぇいや!」

 悪魔のシルエットに赤い影が斬りかかる。悪魔はすんでの所で飛び上がって避ける。

「伊達さん!」

 いつの間にビークルを降りたのか、伊達さんが近接戦闘を始めていた。

「まだどんな悪魔かも分からないのに」

 先に岩を落としてきたのは向こうなので正当防衛を主張できるかもしれない。

「馬場さん、援護できるか?」

 運転席で幕辺さんが問いかける。

「おサムライさんに当たるかもでーす」

 後ろの方からやる気のない返答がくる。

「むしろ邪魔だとでも言いたげな」

 伊達さんは真っ赤なヨロイを身につけ、カタナで攻撃している。悪魔は距離をとりながら反撃の隙をうかがっているようだ。

『Aランク! バッジさんだ! 至急、画像データを送りやがれ!』

「嘘だろ! 悪魔バッジ? 『しなる赤いスティック』の?」

 その筋では有名な悪魔である。詳しく説明している時間もない。

「幕辺さん! 相手が悪いです! 早く謝った方がいい!」

 僕の提案を幕辺さんは鼻で笑う。

「そいつはできない相談だ。この作戦、相手がどんな悪魔だろうと、変更はあり得ない」

 じゃあ僕らが悪魔を分析する必要もないのでは?

「状況によるでしょう」

 幕辺さんは無言でビークルを前方へと剥き直す。

「くっ!」

 バッジさんが伊達さんの一撃を受け止めた。ようやく当たったというべきか。

『画像見たいなー』

 ゴーグル内のコメントに促されて写真を撮ろうとするが、一緒に伊達さんも映り込んでしまうのでなかなか撮れない。伊達さんよりも大柄で、かつ肩幅が広い。それでいて女性型である。

「うわー、かっこいいなー」

 僕だって写真を撮りたくて仕方ないのだ。

「ピチッとしたエナメルスーツにハイヒール! 惚れ惚れするプロポーション!」

 赤い棒で伊達さんのカタナを受け止めている。

『人間にしては悪くないが、まだまだ精進が足りないね、お嬢ちゃん』

 悪魔語翻訳機能で僕は理解できるが、伊達さんには分からないだろう。

「くそが!」

 伊達さんがもう一本のカタナでバッジさんの足下を狙い、バッジさんはバク転で避けた。

「離れろ!」

 幕辺さんの声がビークルの車外スピーカーで響く。

「あっと、これって……」

 フロントガラスに現れた照準のマーク。もちろんバッジさんを狙ってはいるが。

「え、え、伊達さんにも……」

 信じられない。何を発射するのか知らないが、伊達さんごと吹っ飛ばそうとしていないか。

「ちょ……」

 僕には何もできなかった。その事実は変えられない。

『そう来る?』

 バッジさんはそう言った。ちらっとこちらを見た気がする。

「ぐっ!」

伊達さんの胴体に前蹴りを入れ、その反動でバッジさんは後方へ飛び上がった。

「だ……」

 伊達さんの体も蹴りによって数メートルは飛ばされた。

「わー!」

 次の瞬間には目の前が閃光に包まれる。ビークルによる攻撃だろう。

「馬場さん! 頼む!」

 幕辺さんの指示。今度は馬場さんも動く。

「あいよー」

 相変わらずのやる気のない声とともに、空中に無数の球体が現れる。

「炎が! これはあの有名な!」

 僕でも知っている攻撃魔法の代表格、『火球ファイヤーボール』だろう。

「問題はその数! そして大きさ!」

 一目、二十個以上があるだろう。大きさも直径二メートルくらい。

「ファイヤーボールが使えるようになれば一人前の戦闘魔術師、という基準を聞いたことがあります」

 飛んで逃げようとするバッジさんに向けてファイヤーボールが次々に飛び立ってゆく。

「ああ、バッジさん……」

 逃げ道を塞がれてゆき、何発かがバッジさんに当たる。

「なんて火力」

 当たったファイヤーボールは爆発する。ドカンドカンと爆発しながら、バッジさんは絶壁の底へと消えていった。

「すげえ。人間がAランクを倒せるのかよ」

 などと感心していてどうする。僕はシートベルトを外して伊達さんを助けようとする。

「あら」

 ビークルの横を伊達さんが歩いていた。その後を加納さまが続く。

「いつの間に」

 とっくに回復魔法をかけられているのだろう。乗車してきた伊達さんの様子に取り立てて異変は見られない。心なしか元気がない。

「だっ、大丈夫ですか?」

 僕の問いに伊達さんは応えなかった。黙って自分の席に座られる。

「大丈夫そうで良かったですぅ……」

 後半は細くなった声をかけて僕も席に着いた。

「通れないな。馬場さん? 車ごと少し飛ばせるかい?」

 目の前の道路は崩れてしまっている。

「あいよー」

 フワリとビークルが浮かび上がる感覚。

「物体を念動力で運ぶ魔法なんだろうけど、こんなに簡単に?」

 改めて天才魔導師の底知れなさに驚かされる。

 数秒後、最後は自由落下のような形でビークルは道路に放り出された。

「雑に!」

 ガシャーンと音が響き、僕の体もシートにたたきつけられる。

「みんな、怪我はないか?」

 幕辺さんの言葉に誰も何も言わない。

「悪魔の反応は?」

 幕辺さんの言葉が冷たくて、すぐには僕に向けて放たれたと理解できなかった。

「あっ、ないです。五百メートル以内には」

「さっきの悪魔は死んだ?」

「それは分かりません。すみません」

 反応があるかどうかしか分かりません。

「気にしていてもしょうがないな。先を急ごう」

 ビークルはまた快調に走り出す。タフな車である。

 ずっと引っかかっている。伊達さんごと吹っ飛ばそうとしたのか。後で回復すればいい、というような戦法なのか。

「僕が実戦を知らなすぎるのか……」

 少なくとも、何もできなかったということは間違いない。皆さんをとやかくいう資格はないだろう。


・インターミッション


『画像送ってよー。生きているならばー』

『あ、ごめん、寝てたわ』

『うそつけー。めっちゃ脈拍乱れまくってるぞー』

『ちっ、見られてるんだったな』

『バッジさんの画像プリーズ』

『撮ってないす』

『なぜなぜ? お前なら撮ってるだろ絶対』

『もう今までの俺とは違うのさ』

『勝手に生まれ変わるなー!』


・森林 午前十時半


 伊達さんは森の小道をずんずん歩いて行く。僕はその後ろ姿を追いかけている。

「晴れてよかったですねえ」

 返事はない。

「森林浴も気持ちがいい」

 ビークルが入れない場所からは徒歩による捜索である。

「幕辺さんと加納さま。どんな会話しているでしょうなあ」

 三手に分かれて捜索している。僕と伊達さんチーム。幕辺さんと加納さまチーム。馬場さん単独。

「馬場さんは孤独なのがいいんでしょうね。性格的にも」

失踪した調査団の捜索である。我々はゴーグルの悪魔解析システムで悪魔が近くにいないか警戒している。馬場さんは探査魔法で、幕辺さんチームは悪魔解析システムの予備タブレットで、それぞれ探索しているはずだ。

「やかましい」

 伊達さんは足を止め、振り返って言った。

「反応ないのか?」

 さっきから何度も聞かれている。そのたびに、反応あったら知らせると言っているのだが。

「ない……、ですねえ」

 スキャンのスイッチを入れ直す。意味がないことは僕がよく知っている。

「さっきから寒気がするんだが悪魔のせいじゃないのか」

「実は僕もです。本当はぜんぜん気持ちよくないです」

「私と歩くのがか?」

「何を仰いますか」

 伊達さんはペットボトルのお茶を一口飲むと辺りを見渡す。

「少し休むか」

 それぞれ木の幹にもたれたりする。

「さっきのヨロイってかっこよかったです。どうやって変身するんですか?」

 今は伊達さんは制服姿に戻っている。

「カタナとセットになってる」

 よく分かりません。

「そのナントカシステムと一緒で、先史時代の技術らしい。原理はまだ解明されていない」

 袋に入ったままのカタナの柄に手をかけると、伊達さんの体が赤黒いヨロイに覆われていく。

「へえ、すごい!」

 柄から手を離すとヨロイも消えていった。

「すごいのはカタナだけどな」

 伊達さんは寂しそうに言った。

「さっきの戦闘……」

 ずっと引っかかっていることを話そうか悩んでいる。

「危なかったな」

 あっさりと言う。

「危なかったですよね、とても」

 味方に殺されそうになったことをどう思いますか? とは聞きづらい。

「あの悪魔って強い方なんだろう?」

「いや、強いなんてもんじゃないですよ。Aランクっすよ」

「AランクかA5ランクか知らないが、私単独では勝てなかったな。手加減までされた」

「手加減というか、攻撃してこなかったというか」

「岩も落としてきたが直接当てようとしていない」

「確かに。道を塞ごうとしていました」

 落ちた岩にぶつかったら死ぬと思うけど。

「心当たりは?」

「さあ、僕に聞かれても……。まずもって、かなりレアな悪魔です。バッジさんというお名前です」

「バッジサン?」

「バッジ、が名前ですね」

「さんを付けるの? 悪魔に?」

 伊達さんの怪訝そうな顔に、僕も怪訝そうな顔で応える。

「何か問題でも?」

「殺されかけたのに」

 誰に、というのは置いておいて。

「そうなんですよ。今回のことはすごいショックです。何か理由があって足止めしようとしたんじゃないかと思うものの」

「お前にとっての悪魔は『話せば分かる』みたいな存在なのか?」

「まさにそうですね」

 伊達さんは『お手上げ』とでもいうように両手を頭上に伸ばした。

「あ、もちろん、問答無用で好き放題する悪魔もいますよ。そういうのは大抵ランクが低いんです」

「悪魔に対処するのに、まずは相手をよく知るということか」

「そんなところです」

 伊達さんは木から離れた。休憩は終わりらしい。

「他のチームからの連絡もない。行くか」

 伊達さんは僕の方を振り返って、止まった。

「どうしました? 行きましょう」

「……」

 伊達さんが目を大きく見開き、固まっている。

「なんですか?」

「……」

 伊達さんは口をパクパクして、震える指で僕の後方を指す。

「そんな、お化けでも出たみたいな……」

 古典的な手には引っかかりませんよ、と続けるつもりだったが。

「うわーーー!」

「きゃーーー!」

 僕の悲鳴に誘発されるように伊達さんも悲鳴を上げる。

「でたーーー!」

 いわゆる『スケルトン』である。腐った肉がリアルにまとわりついているタイプの。

「きゃーーー!」

 伊達さんが脱兎のごとく走って行く。

「まってーー!」

 僕も走るがスピードが段違いである。

 走っている小道の両サイドからもスケルトンやらゾンビやらが次々と湧いてくる。

「悪魔とアンデットは違うからこのシステムでは探知できないんですよねー」

 問題はだれがアンデットを操っているかである。

「一般的には『妖術師ネクロマンサー』の得意分野ですが、こんなに一度に大量に出せるものだろうか。そんな使い手が生活圏内にいたら、住民運動が起きるはず」

 妖術師は悪魔召喚士以上に嫌われている。死体を動かして喜んでいるのだから無理もない。

「きゃー! きゃー!」

 伊達さんの悲鳴が近づいてくる。僕が近づいているのか。

「取り囲まれている!」

 よたよたと歩くゾンビなどにサムライマスターが後れをとるとは思えなかった。

「精神的な問題では仕方ない」

 女性だから、と言ったらまた怒られるだろう。

 伊達さんはカタナ袋を抱き、地面にへたり込んでいる。半べそをかいている。

「伊達さん、しっかり! 気をしっかり持って!」

 取り囲んでいるスケルトンの一体を蹴り飛ばした。カラカラとあっさり砕けていく。

「カルシウムとタンパク質が動いているだけです!」

 伊達さんの腕を肩に担いで助け起こす。

「ひっ、ひっ」

 過呼吸を起こしている。比較的乾いているスケルトンを蹴って壊し、包囲網を抜け出した。

「追いかけてくる。のろいけれども」

 伊達さんを抱えて歩く僕のスピードも大差ない。

『過呼吸 応急処置』

『落ち着かせる』

『他に』

『紙袋を口に当てるのはかえって危険とも』

『他に』

『胸や背中を押して息を吐かせる』

 やり方が分からないので肩を担ぎながら空いた右手で背中をさすってみる。

「ふー、ふー」

 坂道を上りながらなので呼吸が落ち着くはずもない。

 遠くの方からブーンという音が近づいてくる。

「悪魔ではない。今度は何だ?」

木の陰に伊達さんを座らせ様子を見ようと思った。

「光? 妙に白い……」

 ブーンという音とともに光が近づいてくる。

「って、おっとっと」

 しゃがんだ伊達さんの足下が崩れる。お尻から斜面に落ちそうになる。

「腰が……」

 伊達さんの腰が抜けている。力が入らないらしい。

「危ない」

「すまない」

 斜面を伊達さんが落ちていかないよう反射的に手を出した。お尻を掴んでしまった。

 伊達さんの方はでは僕の首に腕を巻き付ける。

「あ」

 伊達さんのスカートがまくれあがり太ももが露わになる。

「わ」

 上半身は絡み合い、僕の右手は尻をつかみ、スカートがまくれている。

「……」

 ブーンという音が通り過ぎる。加納さまが光を纏って飛んできたのだ。

「あ、違うんです……」

 加納さまは止まらずに通り過ぎる。

 最悪のタイミングで目撃されてしまった。一瞬だったが、軽蔑しきったまなざしをハッキリと感じた。

「まずいところを見られましたか?」

 伊達さんの肩を担いで小道に戻る。

「はあ、今のは、はあ」

「加納さまですね」

 坂道の下からはバキバキという音がしている。加納さまが光を放ちながら鐘を鳴らし、アンデットたちをなぎ倒している。

「対アンデットでは無敵ですね。さすが司祭」

「助かった、はあ」

 少しずつ落ち着いてきた。僕は伊達さんの背中をさする。

「悲鳴が聞こえてきてみれば、類人猿がしっぽりタイム……」

 帰ってきた加納さまは軽蔑しきったまなざしのままである。

「子供の頃から、お化けの類いが苦手で、不意を打たれたこともあり……」

 荒い息で伊達さんが弁明をされる。

「サムライマスター。このことは報告させていただきます。役職にふさわしくない振る舞いがあったと」

「加納さま! 違うんです! いや違うんです!」

 僕も弁明しようと思うが言葉が出てこない。

「汚らわしい。汚い悪魔の下僕! 聖堂の威信にかけてお前だけは地獄にたたき落としますから!」

 そう言って加納さまはガラガラと鐘を鳴らす。

「そんなに怒られますか」

 感情的な高ぶりが収るのを待つしかないか。

『おい嘘だろ! まじか!』

 ゴーグルの中が不意に慌ただしくなる。

『どうした。なにがあった』

『Sランクだ!』

 矢印の方向を見る。まだ何も見えないが。

「処分は甘んじて受けよう。作戦が終わったらな」

「あの、みなさん」

「私と幕辺さんがいれば問題ありませんわ」

「すみません、あの」

「調査団が見つかった後は歩いて帰ってやるよ」

「えすらん……」

「早く二人きりになりたいだけじゃない」

『来るぞ!』

 ピアノが宙を浮いている。グランドピアノというやつである。

「終わった……」

 ピアノの上には小柄な女性が座っている。

『空飛ぶピアノ。画像フォーユー』

 写真を添付して送信した。

「何だ」

 伊達さんも気配を感じたのか振り返る。加納さんは少し前からピアノの方を睨んでいる。

「Sランク悪魔、エイメさま。通称『反重力鍵盤の魔王』です」

「魔王? あれが?」

 ピアノの上の人影は少女のようである。膝をつき、頬杖をついている。

「見た目に騙されてはいけません。最強の呼び声も高い魔王の一人です」

 エイメさまの目はこちらを見ていない。斜面の下の方を見ているようである。

「アンデットどもの親玉はこいつか」

 伊達さんがカタナを構えヨロイを身に纏う。

「死者への冒涜、許せませんね」

 加納さまも鐘を構え、再び光を放ち始める。

『ワオ! エイメさまじゃん!』

 画像ファイルを開いた感想が返信されてきた。

『生存率』

『ゼロパー』

 にべもない。

 エイメさまは一輪の花を手にしていて、その花をそっと空中に放った。

「ガーベラ?」

 攻撃かと思ったのか伊達さんがカタナを横に構えて防御姿勢をとる。

 一輪のガーベラはいつのまにかたくさんの花吹雪となる。

「面妖な!」

 加納さまも身構えるが、花は二人を通り過ぎ、斜面の下の方へと舞い落ちてゆく。

「加納さまがアンデットたちを殲滅したあたり……」

 死者に花なのだから、いわゆる『はなむけ』かもしれない。

「悪魔の行為に根拠など! なくても不思議ありません!」

 加納さまは飛び上がり、上空から光のビームを何筋も発射する。

「……」

 エイメさまは避ける。ビームが当たった地面が次々と爆発していく。

「なんて火力!」

 僕は斜面を転がりながら距離をとろうとした。

「大丈夫か?」

 伊達さんも同じくらいの距離をとって加納さまのビーム攻撃を見ている。うかつに近づくと巻き込まれそうだ。

「むしろ意図的に巻き込んでくるかもしれないし」

 エイメさまは反撃してこない。だが一発も当たらない。

「何が魔王ですか! 逃げてるだけで!」

 加納さんが疲れるのを待っている感じでもない。

「? 何か言ってる?」

 エイメさまの口が動いているような気がした。ゴーグルの倍率を上げて解析してみる。

『ちょっと早いけど、もういいかな』

 やる気が感じられない。魔王だから仕方ないか。

「何だ? 逃げるのか!」

 加納さまがかさにかかる。相変わらずビームは当たらないが、悪魔エイメの姿は少しずつ遠のいてゆく。

「伊達さん」

 追いかける必要はない、と僕はヨロイの肩に手を添える。

「分かってる」

 カタナを収め、ヨロイを解除しながら伊達さんが応える。

「待てこらー!」

 加納さまはエイメさまを追いかけてゆく。少し不用意かもしれない。

「全く反撃してこない。君の言うとおり、何か意図があるのだろうな」

 エイメさまが本気で反撃してきたら加納さまといえども無事ではないだろう。

「とはいえ、僕のような初心者には会話するのも危険なレベルの悪魔です。いなくなってくれて正直ホッとしています」

 伊達さんは肩に置かれたままの僕の右手をさりげなく振り払う。

「調子に乗ってあんまり触らないように。助けてくれたことには感謝するが」

 僕はハッとして伊達さんから一歩後ずさる。

「後は大司教代理がどんな報告をしやがるか。君に被害が及ばないといいのだが……。無理かな」

 僕は加納さまの軽蔑しきった眼差しを思い出す。

「あんなに怒らなくてもいいのに。ゆとりがないんでしょうか」

 嫉妬か、コンプレックスか。

「事実は変えられない。私がガイコツを見て泣いて逃げたのも、君にお尻を好き放題に触られたのも。それを大司教代理に見られたのも。後から変えることはできない」

「バランス崩されたのを受け止めようとして、たまたまお尻だっただけで、お尻を触ろうとしたわけではないし、そんなに何秒も触っていたわけでも」

「弱ったところに乗じて触ってきたと、卑怯者とそしられても言い返せないぞ」

「その時はその時ですよ」

 厳重注意くらいで済めばよいが。

「ほう」

 伊達さんがちらっと僕の方を見た。無言で見つめ合う。だがそれも一瞬であった。

『おいおい! 次はAランク! バッジとは違う波長!』

 Aランクの次がSランク、そしてまた別のAランクの悪魔。エンカウントする時間も地域も集中しすぎている。

「あり得ない。いい加減にしてくれ」

 僕はゴーグル内で矢印が示す方を見る。上空である。

 黒い球体からニョロニョロと銀色の触手が伸びている。数えられないくらいの本数の触手が蠢いている。触手自体は銀色のベースに黒い模様が入っており、メタリックで、かつ非生物的である。

「なんだあれは? あれも悪魔か?」

 悪魔というよりはモンスターである。少なくとも人間型をしていない。

「あのニョロニョロを操ってるのが悪魔でしょうね。ニョロニョロ自体はモンスターというか、生きている金属というか」

 金属的な触手。見たことはないが、おそらく、不用意に近づけば人間など紙くずのようにバラバラにされるだろう。

「何匹いるんだ?」

 大きな触手の塊を中心に、小さな触手ボールが無数に飛び回っている。

『データの個数』

『三十、……四十。……四十から五十の間で』

 機械的に数えても仕方ない。

「何ですか、あれは?」

 加納さまが戻ってきた。悪魔エイメには逃げられたらしい。

「まだよく分かりませんがAランクの悪魔です」

「さっきの飛行ピアノとは違う悪魔なのですね?」

 僕は何回か頷く。解析結果はまだ出ない。

「大きさといい、数といい、さっきの奴より強そうだが」

 伊達さんが言う。確かにエイメさまは見た目が少女である。

「ランクは単なる強さというより、位の高さを表していまして」

「よく分からないな」

「大統領が実際はケンカが弱かったりするようなものです」

「大統領とケンカしたことあるのかよ」

「ないですけど、たぶん弱いでしょ」

 どこの国の大統領かにもよる。どこも一緒か。

「おお、あれを見なよ」

 伊達さんが上空を指さす。ニョロニョロとは反対側を指した。

「なんすか、あれ! かっこよ!」

 僕の心が悪魔以外にときめくことは珍しい。

「ハイエスト・ガード・ネフェリムズ。幕辺キャプテンの奥の手だ」

 全長五メートルくらいの、二足歩行のロボットのようである。緑を基調としたカラーリングが幕辺さんとの親和性を伺わせる。

「『絶対防御バリア』と呼ばれている。正式な名前は分からないけど」

 伊達さんの言うとおり、ニョロニョロのモンスターが触手で攻撃しようとしても、ネフェリムズが放射している半透明の光で阻まれている。

「防御力に秀でているのでしょうか? さすが近衛師団というか」

「あんなのが何体もズラッと並んでるからな。生徒会長の挨拶とかで」

 見たことはないが、生徒会長が生で挨拶する場をぼんやりと想像した。

「生徒会長って挨拶とかしたりするんですか?」

「おお、見たことないのか。まあ、基本的に何言ってるのか聞き取れないけどな」

 改めて、住んでる世界が違うなあ、と実感した。

「あれ、加納さまは?」

 二人で並んでバトルを眺めているうちに加納さんの姿が見えなくなっていた。

「とっくに向かわれた。我々も急ごう」

 伊達さんは歩き出そうとする。過呼吸も回復したようだ。

『Aランク、イクウェさんだ』

 ゴーグル内の矢印で示される方向をズームしてみる。

「一番大きなニョロニョロボールに乗っているのがAランク悪魔のイクウェさんです」

「あれか……、また女か」

 これまでの三体とも女性型の悪魔であった。バッジさんとは対照的に、メリハリのあるボディである。髪にはウェーブがかかっている。

「『引き絞る白銀の弦』という二つ名です。モンスターを召喚してけしかけるスタイルです」

「なんていうか、さっきから気になるんだが……」

 伊達さんは歩きながら言いにくそうにしている。

「なんでしょう」

「悪魔の話をしている時、ものすごいイキイキしているな」

「そうですか? 照れるなあ」

「褒めてない、断じて」

 上空ではネフィリムズがガトリング砲を撃つ音が響いている。

「当たってませんね」

「牽制しているのか、隙を作りたくないのか。当てる気がないようにも見える」

「小さいニョロニョロはもうほとんど落とされてるのに」

 馬場さんの攻撃魔法のおかけで戦況はほぼ勝勢といっていいだろう。

「加納さまが加勢するまでもなさそうですね」

 馬場さんのファイヤーボールがイクウェさんの乗るニョロニョロへ向けて放たれている。何発か当たっている。

「あ、逃げる」

 馬場さんが攻撃に加わって形勢が不利とみたのか、ニョロニョロをなびかせ、イクウェさんはあっという間に小さくなり、やがて見えなくなった。


「作戦中にも関わらず! 他のものが命がけで戦っているにも関わらず! ところ構わずペッティング!」

 合流したら加納さまがカンカンに怒っていた。

「即刻! チームを離れて思う存分お楽しみいただくか! でなければ私が離脱します!」

「どういうことだ?」

 幕辺さんも笑っていない。

「アンデットの集団に遅れをとったが、不純なことはしていない」

 伊達さんは暗いトーンで回答する。

「スカートめくって誘惑して、自らお尻を触られにいったように見えましたけど?」

 加納さまの視線に憎悪がにじみ出ている。

「不破くん、早く何か言ってくれ」

 弁明の機会が与えられた。このチャンスを最大限に生かさないと後がないかもしれない。

「アンデットというか、お化けですね。伊達さんがお化けを見て、腰を抜かされまして」

 伊達さんの眉がピクッとなったが、僕は自棄になって続ける。

「こう、お尻から坂を滑り落ちそうになったので、こんな風に支えようとして、結果的にお尻に手がいきまして」

 伊達さんのお尻の後ろに手を回す。もちろん触らない距離で。

「スカートもずり上がったと。腰が抜けてるんじゃあな」

 幕辺さんが少し笑って言う。

「腕で抱きついてもいましたよ」

「しょうがないだろう、腰がぬけてるんなら」

 繰り返され、伊達さんは下を向いてしまった。

「じゃあ、一切、何の下心もなかったというのですか? 神に誓えますか?」

 加納さまの追求が僕の方に来る。

「いやあ、とっさに手が出たときは何も考えてませんでした。これは本当に」

「その後は?」

「まあ、ちょっとは、『お尻触っちゃった、ラッキー』みたいなのは」

 伊達さんが拳を握ってキッとこちらを睨んだので、後で殴られると思う。

「お前さあ、男だったら正々堂々としろよ。どさくさに紛れてケツ揉んでラッキーとか、最低だぞ」

 揉んではないです。

「魂まで悪魔に毒されて腐りきっているのでしょう」

 加納さまが僕に向かってガラガラと鐘を鳴らす。

「悪いが、次やらかしたら、不破くんだけ先に帰ってもらう。いいな?」

 内心は『俺?』だけど、反論するよりも事態を早く収束させたかった。

「加納大司教代理におかれても、ここは僕の預かりとさせていただき、収めてはいただけませんか」

「ハイエスト・ガード・キャプテンのお顔に免じて、今回だけですよ」

「待ってくれ」

 伊達さんが口を開く。

「この件は私の失態が原因だ。彼だけが罰せられるのは申し訳がたたない」

「セクハラで罰せられるのはいつも男だけなのさ」

 横から馬場さんがおどけて言った。


・山頂付近 午前十一時


「この辺りだな……」

 幕辺さんが携帯端末と悪魔解析システム(予備)のタブレットを交互に見る。手分けして捜索しながら山を登ってきたが、結局は終結して頂上付近まで来てしまった。

「『夕焼け腹ぺこ隊』、そろそろ大詰めだ。団結していこう」

 そういえばそんなプロジェクト名だった。

「お二人、離れすぎ」

 馬場さんが言うお二人とは伊達さんと僕だろう。僕も気を遣ってしまうが、伊達さんがさらに距離をとっている。

「悪魔の反応はありません」

 僕は聞かれてないのに言った。

「あれじゃないか?」

 幕辺さんの指さす方向に、岩の塊のようなものが見える。

「急に森が開けて……?」

 巨石が不自然に立っている。等間隔に並んでいる。

「スートーンヘンジ?」

 細長い岩が縦に並んでいるが、大きさは二メートルほどである。

「儀式の、会場のような……」

 直径三メートルはありそうな黒い釜が目に付く。

「まだ準備中?」

 テーブル上の天然石の上には、死んだ鶏や、トカゲやヘビの干物などが並べてある。

「見るのもおぞましい! 悪魔が生け贄を食らう儀式でしょう!」

 加納さまは言いながらもちゃんと見ている。

「いやいや、なんですかこれ、聞いたことない」

 僕は半笑いになってしまう。

「そうなのか? いかにも悪魔って感じだけど」

「悪魔について全く何の知識も無い人がイメージだけで作ったような……、まあ、僕が知らないだけかもしれませんけど」

「こんな岩は悪魔でもないと動かせないだろう。重機が入った形跡もない」

「そうですね、悪魔かもしれません。それか力持ちのモンスターとか」

 僕は岩を触ったりして調べるふりをする。

「何にせよ、我々は失踪した調査団を捜索に来たのだが……」

 幕辺さんが広場の中心の方を見る。

「無事だといいんですが……」

 僕も同じ方向を見る。

「あのテント、私に行かせてくれ」

 伊達さんが強い決意を感じさせた。もう黒いテントの方へとあるいている。

「援護する。気をつけろ」

 伊達さんはカタナを抜いてヨロイ姿に変身する。幕辺さんがその後ろにつく。

「不自然にストーンサークルの中央にあるテント。三人くらい入れそうではあるが……」

 失踪した調査団は三人。

「気をつけるのはメンタルかもね」

「ご遺体なんか見慣れてるでしょう。サムライマスターなんだから」

 馬場さんと加納さまが話される。

「まだ遺体と決まった訳では……」

 僕が言いかけた時、ゴーグルのアラームがビビビと鳴った。

『三体そろい踏み!』

「悪魔です! 伊達さん離れて!」

 伊達さんがトンボ返りでテントから離れた。

「どこだ?」

幕辺さんは携帯端末を操作してネフィリムズを呼んだのだろう。上空から五メートルくらいの人型兵器が飛んでくる。

「近くで見るとすごい迫力だ」

 足や背中からジェットを吹き出してホバリングしている。

「我々も食べようと?」

 加納さまは鐘を鳴らして光を身に纏う。

「次は本気出してくるのかな」

 馬場さんが杖を宙に浮かせ呪文を唱える。

「来ます! 三時方向!」

 まずピアノに乗って飛んでくるのがSランク悪魔エイメ。少女のようなシルエットで、つまらなそうに頬杖をついている。

「アンデットは呼んでないな。さっきよりさらにやる気が感じられない」

「六時方向!」

 幕辺さんが僕の方向指示に合わせてくれている。ストーンサークルをアナログ時計に見立てている。

「十二時がどっちか分からないんだけど」

 馬場さんがキョロキョロする。

「入ってきた方を六時としています」

 部隊の進行方向のイメージだった。

「事前に認識を合わせていただきませんと」

 加納さまからもクレームが入った。

 岩の上にはすでにAランク悪魔バッジが立っている。肩幅の広い。手には何も持っていない。

「赤いスティックがトレードマークなのですが」

 バッジは腕を組み、首を少し傾げてこちらを見ている。

「三体目は、九時方向?」

 三時、六時、と来れば次は九時だろう。馬場さんと同様、僕もそう思って目を向ける。

 Aランク悪魔イクウェが空中からふっと現れる。ミニスカートにハイヒールである。

「触手もなしですか。降参しに来たのかしら?」

 加納さまが不審に思うのも無理はない。何しろ何もしてこないのだから。

『生きてるか?』

『非好戦的』

『じゃあ画像な』

「どうした悪魔ども。何か言ったらどうだ」

 幕辺さんが話し始めたのでゴーグル内チャットを無視した。

「もうすぐで満月だったのに」

 バッジさんが口火を切る。人間にも分かる言葉である。

「何て?」

 馬場さんが聞き返す。ネフィリムズのホバリング音が大きくてよく聞こえない。

「どけてくれとも言いづらい」

 察したのか、自分も聞こえなかったのか、幕辺さんが手を振るとネフィリムズが上空高くへ離れていった。

「ああ、最初からいくぞ」

 バッジさんが不愉快そうに言う。

「せっかく満月まで待ってから食べようとした生け贄だったのに、お前らが邪魔が入ったせいで台無しだ」

 食べる? 悪魔が人間を? 僕は耳を疑った。

「やっぱり」

 加納さまをはじめとして、僕以外の人間はバッジさんの言葉が腑に落ちているようだ。

「またやり合っても被害が出る。ここは無駄な戦闘は避けよう」

 悪魔イクウェが感情のない声で言った。

「愚かな人間はまだごまんといる。すぐに次の生け贄は見つかるであろう」

 頬杖をついたままエイメさまが言う。

「生け贄、ですか?」

 僕は思わず言ってしまう。エイメさまに睨まれたので口を押さえた。

『悪魔 生け贄』

『すみません。よくわかりません』

「逃げられるとお思いですか? 神の愛の元、ここで殲滅してさしあげます」

 そろそろ帰ろうとしている三体に向かって加納さまがすごむ。

「……覚えてろよ」

 エイメさまが一瞬だけマジなトーンで加納さまに言う。加納さまもちょっとだけ身構える。

「深追い無用だ。こちらも被害を最小限にしたい」

「でも、これだけのメンバーが揃う機会なんて」

 加納さまは一秒でも早く悪魔を絶滅させるのが人類のためになるとでも言いたげである。

「Sランクは強いんだろう? 不破くん」

「ええと、まあ、皆さんだったら倒せるかも……、でも三体同時となると……」

 そもそも僕からしたら『なんで戦うんですか?』というところだが。

「生け贄、というのが、どういうことなのか、持ち帰って部員と検討しないと、なんとも……」

 悪魔が人間を食べるというのが本当だとしたら悪魔資源研究部はアイデンティティを喪失してしまう。

「生け贄は生け贄だろう。不破くんの言うとおり、各自で持ち帰って悪魔の掃討作戦を立案してくれ」

「そういう意味では……、あ、なんでもないです」

 エイメさまがピアノで飛び立った次はイクウェさんのようだ。

「こっちの被害は結構なもんでね。悪魔だったら、モンスターだったら、いくらでも潰していいと思ってるみたいだけど」

 馬場さんは自分に言われていると気がついていないようだ。小さいニョロニョロを倒したことを本当になんとも思っていないのだろう。

「フン。自分の行いはいずれ自分に返ってくる。忘れないでねお嬢ちゃん」

 イクウェさんはやってきたニョロニョロに飛び乗りセクシーに去って行った。

「じゃあ私も捨て台詞を残して去ろうかな」

 バッジさんは迎えに来たホワイトタイガーにまたがる。

「また強うそうな移動手段」

 二メートルぐらいのホワイトタイガーは僕を見てニヤッと笑った。

「迷いってのは太刀筋にでるからねえ。迷いがなければ勝てるってわけでもないけど、迷ってるとまず勝てないな。経験的に」

 おそらく伊達さんへの捨て台詞だろう。伊達さんはカタナを構えたまま応えない。

「じゃあな。お互い精進しようぜ」

 ホワイトタイガーは空中を駆けていく。すぐに見えなくなった。

「くそっ!」

 伊達さんが岩に向かってカタナを振る。岩は両断されて崩れる。

「すごい。迷っているようには見えないけど」

 そのままテントに向けてカタナを振り下ろした。

「おいおい」

 慌てて幕辺さんがテントへ駆け寄る。テントの布一枚だけがハラリと落ちた。

「調査団の三名が!」

「寝てる? 死んでる?」

 他のものも駆け寄った。三人は横たわって動かない。

「……息はある。仮死状態というべきか。加納さん」

 幕辺さんに促され、加納さまが回復の奇跡を起こす。三人は身じろぎをし始めるが、意識は戻らないようだ。

「衰弱が激しいようですわね。点滴で栄養を補給しないとです」

 神の奇跡は点滴より劣るのだろうか。怪我は治せるのに。

「命に別状なしだ。皆に礼を言いたい。ありがとう」

 幕辺さんが頭を下げた。

「遺跡じゃなかったんだね」

 馬場さんが見回して言う。

「ただの悪魔の食事場でしたね」

 加納さまが見下すように言う。

「救急車ですか?」

「いや、ヘリを頼んだ。到着まで見届けたい。君らはビークルに戻るか?」

「そうね、このメンバーで一緒にいるとこを見られても面白くない」

 馬場さんが自分の知名度を自慢している。

「まだ、お昼前ですねえ」

 僕はどぎまぎした。もしかしたらカレーの用意が無駄にならないかもしれない。

「カレーは無しでしょ?」

 加納さまに見透かされた。

「それとも、お二人だけでカレー食べて帰る?」

 馬場さんに冷やかされる。伊達さんのため息が聞こえる。

「よかったら、少し歩いたところに温泉があるらしいから、汗を流していったら?」

 幕辺さんが携帯端末を見ながら言う。

「山道歩いて、銭湯もしたし、確かに温泉は惹かれます」

「僕と不破くんはここでヘリを待ってるから」

 ええー。と思ってしまったが女子と温泉に入れるはずもない。

「帰りがけに、おいしいイタリアンに寄って反省会しよう」

 女子のテンションがぐっと上がるのを感じた。僕はぼんやりとカレーの具材を持って帰る自分の姿を想像した。

「じゃあ、ささっと入ってこようか」

 伊達さんは気が進まないようだが、他の二人に続いて歩いていった。


・インターミッション


『お疲れ』

『画像は?』

『また撮れなかった』

『どうしたんだ? お前らしくもない』

『疲れちゃった』

『今日のトップシークレットとやらは終わったってこと?』

『終わったよ。終わったね』

『……フラれた?』

『(ログアウトしました)』

『ざまあぁぁぁぁぁぁ!』


・温泉 午前十一時半


 現実と非現実の境目が曖昧だった。何が起きているのか。

「卑怯者! 正々堂々としろと言われただろ!」

 タオルで前を隠した伊達さんの怒鳴り声で我に返った。

「え? え? なんで僕……」

 露天風呂を覗いているところを見つかってしまった。それだけなのだが。

「あーあ、これは退学レベルだな」

 馬場さんもタオルで前を隠す。僕の顔からは汗が噴き出してくる。

「救いようがありませんわね。手遅れです」

 加納さまは怒りを通り越して少し笑っているようだ。

「すみません、すみません、なんで僕はここに……」

 なんとなくだが幕辺さんの声が耳に残っている。『絶好の覗きポイントがある』『伊達の尻は柔らかかっただろう?』『伊達はお前に体を見られたがっている』……。

「催眠術的な……」

「早くどっか行け!」

 伊達さんの声で僕は草むらの中を走る。ゴーグルのアラームが鳴る。女子の悲鳴が聞こえる。同時に何が起きているのか把握できない。

「脱衣場! 誰かいる!」

「悪魔反応です! ごめんなさい、こんな時に!」

 目を背けて走りながら叫んでいるが、脱衣場の方で何かあったのか、女子達に聞こえている様子はない。

「鐘が!」

「杖も!」

「カタナが!」

 三者三様の悲鳴が聞こえる。

「悪魔に? 盗まれた? 僕のせいか?」

「早く乗れ!」

 幕辺さんのビークルがすごい勢いで温泉の入り口に横付けされた。

「僕のせいで? 皆さんの大事な……」

 ビークルに乗る資格があるのか、混乱したままで僕は固まっている。

「悪魔はどっちに行った?」

 案内しろということだろうか。

「早く!」

 慌てて服を着たらしい三人が血相を変えてビークルに乗り込む。伊達さんに腕をつかまれ、僕も車内に引きずり込まれた。

「泣いてる場合か!」

 伊達さんに言われて自分が泣いていることに気づく。

「どうしよう……。どうしよう……」

「責任を感じているなら! 悪魔を見つけ出せ!」

 僕は震える手で何度もゴーグルの操作をする。幕辺さんに大まかな方向を言う。

「鐘が、……悪魔に奪われるなんて……。この世が終わる……」

 加納さまも茫然自失である。

「大司教の鐘ほどじゃないだろうが、私の杖もやばいぞ。町が吹っ飛ぶくらいの魔力は込められてる」

 馬場さんも洒落にならない雰囲気である。

「最悪、私のカタナは後回しでいい。まずは鐘をなんとかしないと大変なことになるぞ」

「ぐすん、でも、杖も……」

「魔力については悪魔も魔導師も源泉は同じようなものだろう?」

「まあね。長い目で見れば、元々は悪魔のものだったとも聞くけど……」

「カタナは……」

「まずいんじゃないの?」

「そこまで希少なものではない。私一人が切腹すれば済む」

「うわぁぁぁぁん!」

「泣くなって! 取り返せばいいんだから!」

「どっちみち取り返せなかったら死刑じゃ済まない。何が何でも取り返さないと」

 馬場さんが僕に向かってちゃんと話してくれたのは初めてかもしれない。

「加納さまも、気をしっかり持って!」

「……鐘を、なんで私は……、鍵もかからない脱衣場なんかに……」

 まだ信じられないといった様子で加納さまがつぶやいている。

「一件落着して気が緩んだのかもな。今さら悔やんでも仕方ない」

「あのお三方が、風呂場で窃盗なんて、魔王ですよ? そんなことしなくても……」

 何が起きているのか理解できない。アイテムの奪還に集中しなくてはいけないのに。

「取り返す、って言っても、あの三体相手に武器無しで勝てるはずがない。キャプテンのネフィリムズが頼りだな」

 馬場さんが言う。伊達さんは険しい表情で頷く。

「悪魔の反応が止まりました! 左の奥の方!」

 ビークルが森の木々をなぎ倒しながら進む。

「なんだあれは? ピラミッド?」

 樹木に覆われているが、所々、石でできた階段のようなものが見える。

「四角すい、だな。木の生え方からして、かなり古い」

 伊達さんの言うとおり、四角すいの上に積もった土から巨木が生えていたりする。

「高さは十メートルくらい? 遺跡の登録はありません。なんで今まで見つからなかったのか」

 ビークルはピラミッドの手前で止まった。

「悪魔は?」

「頂上付近で止まっています」

 幕辺さんの問いに僕はゴーグルを見ながら応えた。

「待ち伏せか? 罠かもしれない」

 伊達さんはビークルを降りようとする。

「待て。危険だ」

 幕辺さんに制止され、伊達さんは止まる。ついでに加納さまの腕を掴んで留める。

「離しなさい! 鐘を! 鐘!」

 加納さまが半狂乱でもがいている。伊達さんも必死で引き留める。

「不破くん、なにか良い方法は無いか?」

「はいっ、まず、戦うのは勝率が低いので、やめた方がいいです」

「僕もそう思う」

「ネフィリムズがあるでしょう! 早くやっつけてよ!」

 加納さまの怒号が響く。

「あれはバリアくらいしか能が無いんでね。守っているだけでは勝てない。他の方法はあるか?」

「個人的にですが、どうしても分からない。こんなことする方々ではない」

「だとしたら?」

「まずは話を聞いて……」

「ふざけんな!」

 加納さまが蹴ってくる。

「おちつけって!」

 馬場さんも加勢して押さえつけてくれる。

「悪魔と話し合ってどうする! もう分かってるぞ! 悪魔の手先!」

 もはや加納さまとはコミュニケーションが不可能な状態になっている。

「よし、どうやらそれしかないな。まずは僕と不破くんで接触してみよう」

「危険だな」

 伊達さんが心配げであったが、もう幕辺さんはビークルを降りようとしている。

「悪いが二人は加納さまを押さえててくれ」

「キーー!」

 加納さまは真っ赤な顔で口から泡を吹きださんくらいである。

「早くしないと」

 僕も幕辺さんに続いてビークルを降りた。

「おい」

 伊達さんに呼び止められる。

「悪魔の扱いはお前が一番詳しいんだ。自信を持って当たれ」

「はい!」


『今どこにいる! 何が起きている!』

『何か問題あるかい?』

『終わったっていうから帰ろうとしてたら! またSだのAだの!』

『詳しくは言えないけど、もうちょっと付き合ってよ』

『画像も撮れない状況で! 何で逃げないんだよ!』


 幕辺さんはピラミッドの斜面をどんどん登っていく。僕も遅れてついて行く。

「罠かもしれないのに、やはり恐れずに、自信を持つって大事なのかな」

 息を切らして頂上まで上がった僕が見たものは。

「ずらり並んだお三方のお姿と」

 僕と向かい合う形で、向こうの縁に三つのシルエット。

「エイメさまが鐘。イクウェさんが杖。バッジさんがカタナ」

 思わず「カタナだけでも返してください」と言いそうになる。

「それは置いておいて、何ですか? 中央の」

 ピラミッド頂上の中央部分に石像がある。

「ショートカットの女性の像……」

 最近までコケや草に覆われていたのが剥がされたのか、いやに生々しく、石像にしてはリアルな造形である。

「この石像が、今回の重要アイテム窃盗と関係があるということですか?」

 僕は誰にともなく問いかけるが、誰も反応しない。

「不破くん、石像が付けている腕輪を見てくれ」

 そんなことしている場合か、とも言えず、僕は幕辺さんの言葉に従う。

「……んん?」

 腕輪というには面積が広い。大きな宝玉が付いた腕輪である。

「明らかな異常値……」

 ゴーグル内が今まで見たこともないような色を表示する。

『邪神』

 素っ気なく表示される。僕は総毛立つ。

「悪魔戦争の元凶とされる『邪神』。宇宙からの侵略者、という説もあります」

「腕輪がかい?」

「腕輪に付けられた、宝石に封印されているようです」

 邪神反応が出ている位置から推測される。

「そう、その通り。察しがいいな」

 エイメさまが言う。今回はピアノに乗っていない。

「封印されているのが『邪神』。封印しているのは『悪魔ヴァンドウ』」

「この像の女性が悪魔ヴァンドウなんですね」

 魔王エイメとコミュニケーションが取れて僕は嬉しかった。

『ヴァンドウとは』

『有史以降の記録無し。先史時代の大悪魔の一柱』

「先史時代から、今の今まで、ずっとこの状態で?」

「いかにも。ヴァンドウが封印してくれたから悪魔戦争が終わったのさ」

 悪魔バッジが言う。

「中断した、というべきかも」

 悪魔イクウェが続ける。

「口ぶりから察するに、悪魔ヴァンドウは、お三方のお知り合い?」

 僕が震えながら聞く。

「知り合い、なんてもんじゃない。姉妹みたいなもんさ」

 魔王エイメが大司教の鐘でビシッと石像を示す。

「さすがに、もうそろそろいいんじゃないかって頃合いなの」

 悪魔イクウェも魔導師の杖を突き出す。

「封印のパワーも弱ってきて、こうして人間にも見つかるようになっちゃったし」

 同じように悪魔バッジがカタナを突きつける。

「じゃ、じゃじゃじゃ、邪神の封印が解かれる? そのために重要アイテムを?」

 僕は頭を抱えた。

「不破くん、そこで聞きたかったのは、邪神の解析のやり方さ。悪魔解析システムの使い方を教えてほしかったんだが」

 幕辺さんがシステムの予備タブレットを操作しながら言う。

「……幕辺さん……。まさか……」

「こんなのは馬鹿でも操作できるな。ありがとう。君はもう用済みだ」

 お腹の辺りに衝撃。次の瞬間には僕の体は宙を舞っていた。

「えっ」

 背中からピラミッドの斜面に激突する。斜面を転がって落ちていく。

「不破―!」

 伊達さんの声がする。馬場さんも加納さまも駆けてくる。「来ちゃだめです」と言いたかったが、背中を強打して呼吸ができない。

 女子三名の後ろにはネフィリムズが来ている。ネフィリムズは衝撃派のようなものを発射する。

「きゃー!」

 不意打たれ、女子三名がバタバタと倒れた。

「……」

 地面まで転がり落ちた僕は首だけ動かしてピラミッドの頂上を見上げる。バキバキという音がする。

「目覚めよ! 我らが同志! 悪魔ヴァンドウ!」

 魔王エイメの号令で三つのエネルギーの塊が石像に叩き付けられる。石にひびが入り、割れていく。

「体が動かない。バリアだけとか言っておいて、妙な技を……」

 うつ伏せになった馬場さんが苦しそうに言う。

「鐘が……。悪魔の封印を解くなど……」

 加納さまは這ってでも近づこうとしている。

「幕辺! 謀ったな!」

 伊達さんは拳で地面を殴る。

 頂上では石が割れ終わり、悪魔ヴァンドウがゆっくりを目を開く。

「……」

 エイメが何か言うが僕まで聞こえない。

「……」

 エイメはヴァンドウが付けていた腕輪を外し、幕辺さんに渡した。

「……責任を持って……」

 幕辺さんが返事をしているが、やはりほとんど聞こえない。腕輪を自らの右腕に装着し、こちらへ向かって仁王立ちになった。

「俺は欲しかったものを手に入れた。大事なものと引き換えにな」

 三体の悪魔がネフィリムズに近づく。カタナはネフィリムズの右腕に、杖は左腕に、そして鐘は頭部へと差し込まれる。

「改めてお礼をしよう。受け取ってくれ」

 幕辺さんが指を鳴らす。ネフィリムズが飛び上がり、倒れている僕たちへとガトリング砲を撃ち始める。

「うわー!」

 弾丸が直撃するわけではなかった。地面を丸く囲うように打ち抜いていく。

「え、地下がある?」

 厚手のコンクリートのような地面が崩れ、僕たちは落下した。

「あーーー!」

 穴から差し込む日光がどんどん小さくなる。

「この深さでは助からないな」

 自由落下により死亡。人生の結末だと思うとあっけない。

 薄れる意識の中、ぐっと胴体を掴まれるような感覚があった。

「誰?」

 僕は何とか目を開けようとする。真っ暗な奈落の途中で、ショートカットの横顔が見えた気がした。

「悪魔ヴァンドウ?」

 僕の言葉が口から発せられる前に、僕は意識を失っていた。


・インターミッション


『返事をしろ! 不破!』

『(信号がありません)』

『Sランクがもう一体! 邪神反応!』

『(信号がありません)』

『頼むから! 返事してくれって!』

『(信号がありません)』

『不破―――――!』


・ダンジョン 正午


 ゴーグル内には『オフライン』と表示されている。電波が届かないのだろう。

「やめろって! こんなことして何が楽しいの!? 馬鹿なんじゃないの?」

 金切り声。最初は誰か分からなかった。

「死後の世界でも続くのか。この手の煩わしさ」

 僕は上半身を起こす。特に身体に不具合は感じられない。

「自分がやったことでしょう。埋め合わせは自分の体でしなさいよ」

 ゴーグルの表示を見るまでもなく、イクウェさんである。

「離せ! 離して! いやだって!」

 金切り声の主は馬場さんであった。

「馬場さんはどこに……、あっ」

 僕が見上げた先に馬場さんの体が浮いている。

「ニョロニョロ……」

「かわいい『ホムンク』ちゃんが是非お礼をしたいって」

 正式名称が聞けた。馬場さんの体はホムンクの触手に捕らわれ、つり上げられている。

「錬金術による人工生命体ということか」

 僕はネーミングから推測した。

「無力のものをいたぶって楽しいのか! 悪魔!」

 伊達さんが姿勢を低くして怒鳴る。

「挑発して気を引こうとされている? あまりにも危険な行為!」

 ようやく僕は立ち上がる。まだフラついている。

「神よ……、大天使よ……。なぜ応えてくださらないのです……。我々を見捨てられるというのですか……」

 加納さまは耳を塞いで、あさっての方向を向いてブツブツなにか言っている。

「この卵を」

 イクウェさんは馬場さん以外の存在は目に入らないようだ。

「ちゃんと見て。この卵を」

 触手の先がカパっと割れて、中から黄色い楕円形の物体が現れる。

「気持ち悪い!」

 馬場さんは卵をチラッと見てすぐ目を背けた。

「あなたの体の奥の方に産み付けて」

「ふざけんなって!」

「あなたの魔力をタップリ吸って、ホムンクちゃんの子供が生まれるってわけ」

 馬場さんの体が震えている。

「生まれた子供がまた卵を中で産んで……」

「ほんとに……、冗談抜きで……やめて……」

「最低でも、あなたが殺した子供の数くらいは産んでもらわないとね」

「悪魔! 勝負だ!」

 伊達さんが走ってイクウェさんへと突進していく。カタナもヨロイもない状態で。

「無茶です!」

 僕も駆け寄る。もちろん追いつくはずもない。

「ふん」

 イクウェさんが冷たい目を伊達さんに向けた。

「がはっ!」

 触手が伊達さんの脇腹を打ち、伊達さんの体は『く』の字になって吹っ飛んだ。

「あうっ!」

 地面に激突した伊達さんが苦悶の表情になる。

「伊達! いやぁ! やめてよ!」

「たった一本、たった一回、横に払っただけで……」

 伊達さんは脇腹を押さえてうずくまっている。僕はようやく傍らまで来たが、なにもすることができない。

「回復を……」

 加納さまの方を見たら、何事かわめきながら逆方向へと走っていくところだった。

「そんなに怖がらないで。すごく気持ちいいんだから。生むときも、産まれるときも。脳みそが溶けるような」

「……う、ううう……」

「人間が一生かかってもたどり着けないくらいの快楽の世界、たっぷりと味わってもらうわよ。かわいいお嬢ちゃん」

「ごめんなさい……。お願い……、許して……」

 とうとう馬場さんは泣き出してしまった。

「……やめろ、このやろう……。このクソ悪魔……」

 伊達さんは這いつくばって呪詛をはき続ける。

 僕に何ができる? 触手の一撃で僕なら簡単に死んでしまう。武器も魔法もなく、助けてくれる人もいない。

「通信が繋がれば……」

 システムを操作しようとするが焦って手が付かない。

「不破……、なにしてる……」

 苦しそうに伊達さんが言う。

「早く逃げろ……」

 伊達さんの言葉に僕は目を閉じた。

「システム・オフライン……、これからの解析ができない……、できることは……」

 僕は頭を押さえて思考を進めようとする。

「このリンク先は?」

 見慣れない表示。藁にもすがる思いでクリックする。

「予備タブレットだ、ローカルで同期できてる」

 幕辺さんに渡したタブレットとゴーグルが繋がっている。タブレット経由で外のネットワークに繋げようとしたがエラーになる。

「遮断されている? くそっ!」

 思わずカッとなりそうになる。

「いや、でも、タブレットは邪神を解析しようとしている。システムにつながれないのに?」

 ステータスが『解析中』で、予想の終了時間が三時間後とある。

「なんでそんなに遅い?」

 悪魔資源研究部のスーパーコンピューターなら、初めてのタイプの邪神といえども数分で解析できるはず。

「システム・プロパティ……、これは何だ? AI?」

 簡単な仕掛けだった。タブレットはネフィリムズのAIに繋がれ、解析はネフィリムズに搭載されているコンピューターで行われている。本部のスーパーコンピューターより性能が劣るので時間がかかっている。

「ということはネフィリムズにも繋がる?」

 ネフィリムズのメインシステムにはアクセスできないが、データを格納しているフォルダが何個か見つかる。

「幕辺さんが保存していたデータ……、契約書だ」

 幕辺さんは悪魔エイメら三体と契約を結んでいた。イクウェさんの行動も契約によるものだろう。

「おっと、これは、使えるかも……」

 契約書の一文、封印された邪神は幕辺さんが預かり、即座に新技術で適切に処分する、とある。

「悪魔交渉、成功率は……」

 チャットで依頼できないので自分で条件を打ち込む。

「成功率……六割か……」

 逆に言うと、四割の確率で僕はイクウェさんに殺される。

「おい、聞こえないのか。逃げろって」

 伊達さんが再び言う。僕は伊達さんの肩に手を置いた。

「すみません。ちょっと調整してきます」

「えっ?」

 伊達さんを残し、僕はイクウェさんと馬場さんの間あたりに進みでる。

「なにしてんの?」

 馬場さんが僕に気づく。助けに来たとは思っていないかもしれない。

「いつもお世話になっております!」

 僕は普段より大きめの声で言った。

 ガッと地面を触手が打つ。

「お世話してないけど」

 その触手が僕の眼前でピタリと止まる。これ以上近づいたら頭を破壊する、という警告だろう。

「悪魔調整士、不破 崇人と申します」

 手は震えているが、ひるんだら失敗する。

「はあ? 調整士?」

 イクウェさんが僕に向き直った。

「マジで調整士?」

 イクウェさんがぐっと僕をのぞき込んでくる。

「幕辺 周さまと個別に結ばれておられる特殊条件つき相互補完契約につきまして、確認したいことがございまして」

 イクウェさんが『うっ』という顔になる。

「なに? なに? なんか文句あんの? 普通の契約でしょ?」

 僕の目の前の触手が緩む。僕は距離を詰める。

「不破……」

「ちょっと……」

 伊達さんと馬場さんは心配そうにされている。加納さまは逃げ出してしまっている。

「悪魔ヴァンドウさまの封印解除と邪神の処分、交換条件で三種のアイテムの奪取、ですね」

 三種とは、鐘、杖、カタナである。

「こっちもやけに条件が楽かなとは思ったけど、別に問題はないでしょ?」

「生け贄の儀式とか、お風呂場でこそ泥とか、プライドは傷ついたんじゃないですか?」

「やかましいな! ケンカ売ってるの?」

 再び触手が地面を打つ。石が割れる。

「問題は『邪神の処分』です」

「どういうこと?」

「幕辺さんは何て言ってました?」

「すぐ処分するって言ってたよ! すごい技術が発明されたからって」

「確認されましたか?」

 イクウェさんが黙る。

「今、まさに、幕辺さんは邪神について調べていますよ」

「はあ? 今から調べんの?」

 イクウェさんは目を丸くし、上の方を見た。

「嘘は言いません。悪魔調整士ですから」

「ええ……、どうすんの……、封印、解いちゃてるよ」

 イクウェさんはそわそわと周りを見回す。

「ちょっと見てくるわ。ごめんね、ちょっと待ってて」

 触手につり上げられていた馬場さんが地面に下ろされた。

「……」

 僕は大きく息を吐きそうになり、頬を膨らまして我慢する。

「伊達! 大丈夫?」

 解放された馬場さんはすぐに伊達さんへと駆け寄る。

「ハッタリだったらタダじゃ置かないからね」

 イクウェさんはニョロニョロ、いや、ホムンクに乗り、僕らが落ちてきたらしき穴を上っていった。

「大丈夫だ……。あばらが折れたくらいだろう」

 伊達さんは痛そうに脇腹を押さえている。

「死ぬかと思った……。二回ほどミスがありました」

 僕は我慢していた息を吐いた。膝に手をつく。

「調整士って何だ? 契約? お前は何を知っている?」

 膝をついている伊達さんが僕を見上げる。

「資格取り立てで、初めての調整だったので」

 初めての調整がAランク悪魔なんて笑っちゃいますよね、という顔をしたが伊達さんは全然笑っていない。

「あれ? 加納は?」

 馬場さんが言う。

「そういえば向こうに走っていかれました」

 僕が指さすが、二人は動かない。

「話は後だな、すまないけど見てきてくれないか」

 伊達さんが僕に言う。

「そうね、悪魔がいたら調整しておいて」

 馬場さんも真顔で言う。

「あっ、はい、そうですね」

 僕の覗きのせいでこうなったので反論もできない。加納さまが走って行った方向へ僕も駆けだした。


「伊達さんは来なくて正解だったよね」

 ダンジョンの奥の角を曲がった僕が見たものは、アンデットの人だかりであった。

「……あははは、あはははは……」

 加納さまはゾンビやスケルトンに囲まれる形で座っておられる。幼子のゾンビを抱いて、うつろな笑い顔である。

「魔王エイメ……」

 アンデットの軍勢を指揮しているのはエイメさまである。ピアノを弾いている。

「音楽に合わせてアンデットが踊っている」

 加納さまを中心にアンデットたちはノロノロと踊りながら回っている。

「エイメさまとの調整を行うってことは、演奏の邪魔をするということで」

 エイメさまは一心不乱にピアノを弾いている。

「ピアノの響きは素晴らしい。この世のものではない。ずっと聴いていたい」

 悲しいメロディに、美しい音色。

「この悲しさはどこから来るのか」

 加納さんの笑い声が徐々に高くなっていく。

「はははっ! ごめんね! 皆殺しにして! 私が! 私が……」

 加納さまは笑いながら泣き始める。

「私が! ははっ! 異端審査会で! 有罪に……」

 ゾンビの幼子の顔を見て、加納さまは顔を歪ませる。

「いかん! 急がないと加納さまの精神が保たない!」

 僕はイクウェさん相手に最初の一歩を踏み出している。

「次もうまくいくはず。さっきはうまくいったからな」

 踊るアンデットの間を抜けて、僕はピアノの横まで移動した。

「すごい、指の動きが見えない」

 エイメさまは少女のような見た身なので指も少女のように短い。

「なんだ?」

 エイメさまは鍵盤から目を離さないで言った。

「すみません。演奏中に」

 僕は声をひそめ、エイメさまの方に顔を寄せた。

「手短に」

「契約書の件なんですけど……」

「イクウェに言ってたやつか?」

 僕は悪魔の聴力を甘く見ていたかもしれない。

「そうなんですよ。邪神がですね」

「イクウェが見に行ってるんでしょ? 私にも言わなくていいよ」

「さすが魔王。部下に一任ということですね」

「部下っていうか……」

 姉妹のようなものと仰っていたので、妹ということだろう。

「どうなの? 実際」

 エイメさまはピアノの前で足を組む。演奏は左手だけになった。

「と、言いますと?」

 左手でリズム伴奏のみキープしている状態である。

「邪神ってお前らが呼んでるもの。復活したら、どうすんのって」

 エイメさまは左手だけでピアノを弾きながら僕を見る。

「僕に聞かれましても」

 よく考えずに応えてしまった。痛恨のミスだ。

「痛い!」

 エイメさまの右手の爪が僕の顔を切り裂いた。

「あれ?」

 慌てて顔を押さえるが、僕の顔は傷一つない。

エイメさまは爪についた赤い血のひとしずくだけを小さな舌で舐めとっている。

「血だけ採ってすぐに傷は修復されたのか」

「ふむ」

 僕の血を舌で味わいながらエイメさまが頷く。

「懐かしい味だ。どうやら調整士なのは本当のようだな。で、どうするって?」

 再びの質問。邪神が復活したらどうするのか。

「その、もう一度、封印していただくことは……」

「私らが?」

「無理ですよね、そうですよね」

 エイメさまは憮然とした表情でピアノに向かいなおる。右手も演奏に加わる。

「いいか、ここにいる死者たちは」

 演奏しながらもエイメさまは続ける。

「お前らのいう『異端審査会』で異端と認定され、虐殺されたものたちだ」

 僕に言われましても、という同じミスはしない。

「最近の話ではない、ですよね」

「たった五百年前の話だよ!」

 ピアノのアクセントが強くなる。

「すみません。でも彼女の代で虐殺が起きたことは……」

「いつまで続けるつもりだ?」

 僕は頭を抱える。

「こんなものを延々と見せられてきて、なんで私らがリスク負って封印なんかしなきゃいけないのかな?」

「今の人間は、助けるに値しない、と?」

「私が決めることじゃない。お前はどう思うんだ?」

 ゴーグルに表示されるストレス値が基準を超えている。

「僕が人間の代表じゃないのでなんとも言えないんですが、個人的な意見ですけど」

 また顔を無言で引っ掻かれた。

「前は人間側を代表して悪魔と交渉してるんだろ!」

 自覚が足りなかったと僕は反省した。

「うう、すみません、邪神のことは、僕には荷が重すぎます」

「そうだな。お前に聞いた私が馬鹿だった」

 適当なことは言わないという方向が正解だったようだ。

「どうか、加納さま、彼女だけでもお許しいただけないでしょうか」

「おっと忘れてた」

 エイメさまはピアノをじゃんと叩いて曲を終わらせた。

「アンデットたちが帰ってゆく」

 加納さまが抱いていた幼子のゾンビは、その母親らしきゾンビに手を引かれていく。

「……ごめんなさい……。ごめんなさい……」

 加納さまは泣き崩れた。

「ちょっとお灸を据えるつもりが効き過ぎたか。そいつをピアノの上に」

 エイメさまが僕に命令してくる。

「運んでいただける?」

「早くして」

 エイメさまの空飛ぶピアノは加納さまと僕を乗せ、先ほどの地点へと移動した。


「どうした? もう終わりか?」

「はあ、はあ、まだまだぁ!」

 僕らが戻ると、悪魔バッジと伊達さんが木刀で打ち合っていた。

「……あ! 魔王……」

 座り込んでいた馬場さんがこちらに気づく。

「戻ってきたな」

 バッジさんもこちらを見た。

「たー!」

 隙ありとばかりに伊達さんが斬り込んでいく。鈍い音がして木刀同士がぶつかる。

「甘いねえ!」

 バッジさんの前蹴りで伊達さんの体が吹っ飛び、尻餅をつく。

「いっ……、ぐぐぐ」

「前にもやった蹴りだぞ。学習能力もないな」

 最初の戦闘でもヨロイを着た状態で蹴られていた。

「やめてってば! 怪我してんのよ!」

 もう何回も言ったであろう台詞を馬場さんが叫ぶ。

「おい、なに見てるんだ」

 エイメさまがピアノの上の僕に言う。

「えっと、はい、やってみます」

 この場も調整してこいという意味だろう。実地での経験が積めるのはありがたいが。

「下がってろ!」

 伊達さんに言われて僕は立ちすくむ。

「でも怪我が」

「怪我しているから! ヨロイがないから! 女だから!」

 伊達さんの目に涙がにじんでいる。

「今までの鍛錬はなんだったのか! なにがサムライマスターだ!」

 伊達さんは木刀で体を支え、立ち上がる。

「伊達さん、Aランク悪魔相手に、木刀で勝てるはずが……」

 涙のにじんだ目で睨まれ、僕は言葉を失う。

「この木刀だってあいつから借りてるんだ。いいか! 勝てるはずがないからって!」

 伊達さんは木刀を構える。

「やってみなきゃわからないだろう!」

 伊達さんがバッジさんの正面から打ち込む。何度も何度も。

「はっ! やっ! とうっ!」

「……」

 伊達さんの連撃をバッジさんは事も無げに受け止めている。最後の方では片手であしらわれている。

「……はあ、はあ」

 伊達さんの体力が限界にさしかかり、バッジさんの前蹴りで伊達さんは仰向けに倒れた。

「くそう……、はあ……」

 仰向けで伊達さんが荒い息をしている。

「ルール上、蹴りは反則なので……」

「戦場でルールなんかあるか」

 僕の抗議をバッジさんは一蹴した。

「気は済んだ?」

 エイメさまが伊達さんの脇を撫でながら言う。

「ぜんぜん。まだまだ物足りない」

 バッジさんも倒れている伊達さんの横に来た。

「……何をする気だ……」

 伊達さんは上体を起こす体力も残っていないようだ。

「折れてるな」

 エイメさまが伊達さんのあばら骨を触ると、伊達さんは痛そうに実をよじった。

「調整士さえいなけりゃあ、もっといたぶってやったのに」

 バッジさんが指で伊達さんの頬を撫でる。

「何してんの?」

 上の方から声がする。イクウェさんが戻ってきたのだ。

「もう戻ってきた」

 馬場さんが実を堅くする。

「お前が人間を怪我させたんで調整士に怒られてたとこ」

 エイメさまが冗談めかして言う。

「全員殺して証拠隠滅しようか」

 イクウェさんはホムンクから降りる。ホムンクは小さくなってイクウェさんの服のポケットへと入っていた。

「どうだった?」

「まずいよこれは」

「やっぱりか」

 悪魔三体がひそひそと相談を始める。

「おい! 調整士!」

 エイメさまに呼ばれ、僕は腰を低くして駆け寄る。

「……」

 太鼓持ちみたいな走り方を伊達さんが冷ややかに見ていた。

「おっとその前に。このダンジョンって泉みたいなのあったよな」

 エイメさまはバッジさんに聞く。

「ヴァンドウが行ってる」

「千年分の垢を落としてるのかな」

 バッジさんの応えにイクウェさんが続く。

「忘れていたわけじゃないけど、もう一人Sランク悪魔がおられるんですよね」

「まずは怪我を何とかしないと、気になってしょうがない」

 エイメさまはピアノをバーンと弾いた。


・回復の泉 午後一時


 エイメさまのピアノによる空間転移でダンジョンの奥深くにあるらしい空間に来た。

「泉というか、噴水というか」

 五十メートル以上ありそうなホールの中央に噴水のような設備がある。

「唐突に入ってこないでよ」

 噴水の傍らには、ショートカットの女性が半裸で体を拭いていた。

「す、すみません! すぐに出て行きます!」

「だれこいつ。殺していい?」

「調整士だけど」

「なにそれ」

 千年間に渡り封印されていたので制度自体をヴァンドウさんはご存知ないのだろう。

「昔でいうところの、なんだっけ? 天使庁なんとか」

 エイメさまが鼻にしわを寄せて思い出そうとしている。

「あの辺のやつか。分かったよ。アズキさんとこの流れでしょ」

 ヴァンドウさんは服を着ながら気のない返事をした。

「この紋章は! 聖者メルクの!」

 加納さまが噴水へと進む。

「かつて聖者がここへ来ていた! 聖なる泉を現わしたのですね!」

 テンション高く加納さまは言い、噴水の水を手ですくって飲み出す。

「そう、聖者と呼ばれるやつがここでくたばって、死骸から湧いた水がこれだ」

 エイメさまの解説が加納さまに聞こえていないことを祈った。

「回復の効果がある。体力は戻らないが」

 伊達さんが泉の水を飲み、脇腹を触っている。

「治りました?」

「怪我はなんともなくなった」

「疲れは取れないね」

 馬場さんも飲んでいる。

「単純に喉も渇きましたし、助かりました」

 隅の方で僕も飲んだ。味は普通の水である。

「ああ腹減った。こっちは千年も食べてないんだよ。早く帰ろうよ」

 ヴァンドウさんが言う。

「そうだな。やっと四人そろって、パーティーとでもいきたいところだが」

 エイメさまが腕を組む。

「出られないんよ」

 イクウェさんが残念そうに言う。

「なんで? さっきみたく魔法で移動すればいいじゃん」

「結界というか、なんだあれ? バリアだっけ?」

「おい! 調整士!」

 再びエイメさまに呼ばれ、僕は駆け寄る。

「傀儡から妙な光る壁が発せられていた」

「おそらくネフィリムズの『絶対防御バリア』の派生版でしょうね。馬場さんの杖の魔力を変換しているようです」

 僕がゴーグルを通じて探っているのを馬場さんがすごい目で睨んできた。

「魔法で超えられないの?」

「たぶん死ぬ感じ」

 イクウェさんの見立てでは悪魔ですら通れない結界が張られているという。

「そのなんとかバリアで混沌もやっつければいいのに」

「そこまでは無理な感じ」

 そもそも幕辺さんに邪神をやっつける気があるのかも分からない。

「はー、イライラする。何のために復活したの? 私」

「そんなに怒るなよ」

 ヴァンドウさんの怒りをバッジさんがなだめようとする。

「まさか、また私に封印しろなんて言わないよね?」

 ヴァンドウさんに睨まれバッジさんは目をそらす。

「混沌をなんとかできるから解放しているんだよね! 対処法が見つかったんだよね!」

「混沌って何?」

 馬場さんが僕に聞いてきた。

「僕らが邪神と呼んでいるものです」

 呼び方を統一しないと混乱してしまう。

「千年前には『邪神』なんて言葉は無かったんでね」

 エイメさまに聞こえていた。

「私らも『悪魔』って呼ばれてるくらいだから」

「それよ、それ。なんなのよ。私らが悪魔ならお前らなんなんだっての!」

 ヴァンドウさんがヒートアップしていく。自分が封印されていた千年間について納得がいっていないようだ。

「腹減ってるからイライラするんじゃないか? このダンジョンって食べ物ないの?」

 バッジさんが打開案を出してくれる。

「さっきざっと見たけど、ミミズとか虫とかしか」

 イクウェさんからの報告。

「都合良くドラゴンとかいないよな」

 雰囲気がさらに悪くなった。

「あの、カレーの具材なら、あるかも……」

 僕は恐る恐る言う。

「ビークルに積みっぱなしか。あれってどうなった?」

 伊達さんに聞かれるが、僕は見ていない。

「一緒に落っこちてきてたよ」

 馬場さんが応えた。

「車に食料が積んであったと」

 聞きつけたエイメさまが寄ってくる。

「悠長にカレーなど作っていられるか? 解析完了までどれくらいだ?」

 さすがエイメさま、幕辺さんが邪神の解析に時間がかかっていることもお見通しである。

「あと二時間くらいだと思います」

 ゴーグルからタブレットに同期できなくなっている。気づいて遮断されたかもしれない。

「そんなにかかるのか。石は? 勝手に割れない?」

 エイメさまからヴァンドウさんへ、邪神の封印について。

「いつ割れても不思議じゃないけど、今日明日って話ではない」

「……いけるな」

エイメさまが真面目な顔で言う。頭の中はカレーになっているだろう。

「取ってきて。イクウェ」

「また私?」

「なんでもいいから早くしろ」

 ヴァンドウさんに怒鳴られ、イクウェさんはため息とともにはポケットからホムンクを出した。


・カレー 午後二時


「うまいっ! うますぎるっ!」

 感極まった声をバンドウさんが上げた。

 僕も、紙皿に盛られた白米と茶色いカレーを、プラスチックのスプーンで口に運ぶ。

「米の炊き加減バッチリだな」

 伊達さんが言う。飯ごうで白米を炊いたのは僕と馬場さんのチームだった。

「カレーも完ぺき。あーうまい」

 バッジさんからの感想。カレーは伊達さんと加納さんのチームが担当した。

「ダンジョンの奥で食べるカレーがこんなに美味しいとは」

 エイメさまもパクパクと食べている。

「どう? 加納さま」

「生き返ります」

 馬場さまと加納さまが並んで食べている。

「回復の泉でお米を炊くなんて思わなかったわ」

 イクウェさんが言う。

「具材を多めに買っておいてよかったです」

 人数が五人から八人に増えたが、一人あたりの分量はなんとかなった。

「おかわり無いんで、それぞれ味わって食べてほしい」

 伊達さんの呼びかけに皆は残念そうな返事をした。


 食後、少し落ち着いてから作戦会議が始まった。

「プランA。我々がメインで動く」

 エイメさまは消し炭をチョーク代わりにして説明している。

「戦力から見ても、丸腰の人間達はサポートか、奇襲ということだな」

 デザートのアイスをちびちびと食べながらバッジさんが言う。

「最優先目標は幕辺、こいつを黙らせる。最悪、殺しても仕方ないレベルだ」

 エイメさまが炭で『ま』と書いた。

「バリアをどうやって突破するか。バリアは二重になっていた。ダンジョンごとぐるっと取り囲んで出られなくしてるのと、幕辺本体を守る内側のバリア」

 イクウェさんが報告する。

「こんな感じか」

 エイメさまが『ま』の周りを線で囲い、大きく外周にも線を引く。

「話があるっていって近づいて、内側のバリアを解かせよう」

「うまくいくかな」

 エイメさまの案にバッジさんが不安そうに言う。

「人間達は手をロープで縛って、捕虜みたいにして、油断させる」

「すぐ解けるような結び方でお願いします」

 僕の心配にエイメさまは頷く。

「幕辺をやっつけて石を取り返せば作戦終了か?」

 ヴァンドウさんもアイスを食べながら言う。

「石をどうするか、今考えてもしょうがない」

 しばらく封印が保つことを期待して、エイメさまは結論を先送りにしようという。

「幕辺とやらが何を企んでいるか、だいたい察しがつくだろう?」

「悪用される前に押さえないと大変なことになる」

 伊達さんもアイスを食べながら緊張した顔で言った。

「次はプランBだ。万が一、我々が失敗した場合、人間達だけで何とかしてもらう」

 エイメさまは『B』と書いた。

「それぞれのアイテムの奪取を目的としたいものだが……」

「三つともネフィリムズに取り付けられている。こっそり盗むのは不可能だ」

 馬場さんの思いに伊達さんは首を振った。

「鐘を、一回でも鳴らしてもらえたら……」

 加納さまの発言に皆が振り返る。

「何か奥の手が?」

「『大天使召喚』をやってみようかと」

 僕は知らないが、たいそうな術のようだ。

「外周のバリアを超えて呼べる?」

「精神界のものなので、もしかしたらと」

 加納さまの目に決意の固さが見て取れた。

「そんなことして大丈夫なのか? ……いや、よそう」

 エイメさまも加納さまの決意の前に折れた。

「奥の手のさらに奥の手にしよう。大天使さまとやらが必ず来てくれる保証も無いだろう?」

 『とやら』部分に気を悪くしたのか、加納さまはバンドウさんの発言に応えなかった。

「どうやって鐘を鳴らす?」

 伊達さんの問いに馬場さんがアイスを食べながら手を挙げた。

「杖が無くても簡単な魔法なら使える。『隠匿コンシール』で姿を消せば近づけると思う」

 魔法によってレーダーやセンサーでも捕らえられないという。

「では、鐘を鳴らすのは、不破にやってもらう」

「あっ、はい」

 プレッシャーに僕の背筋が伸びる。

「私が囮になる。馬場が隠匿魔法、不破が鐘を鳴らし、加納が大天使召喚。これがプランBだ」

 伊達さんの決意も相当だ。

「相手は銃で撃ってくるぜ? 生身で囮なんて……」

 バッジさんは言いかけて口を閉じた。何を言っても無駄だと感じたのだろう。

「……決まったな。アイス食べ終わったら移動しよう」

 エイメさまが炭を放り投げた。

「人生最後のアイスかもね」

 馬場さんが悲しそうに言う。

「あのカレーなら最後の食事にふさわしいですわ」

 加納さまも悲しそうに微笑んだ。

「あ、すみません。くだらないことなんですけど、記念に写真撮っていいですか?」

 僕は勇気を出して言った。

「カメラあるの?」

「ゴーグルでタイマーで撮れますので」

「いいよ。並ぼうか」

 噴水の前での集合写真。なぜか真ん中は僕になった。

「ありがとうございます。思い出が詰まったゴーグルです」

「なんだそりゃ」

 伊達さんが笑った。


・インターミッション


『やっと画像が撮れた。遅くなって申し訳ない』

『(信号がありません)』

『いつか、これが読めたら家族によろしく』

『(信号がありません)』

『愛していると伝えてくれ、なんつって』

『(信号がありません)』

『じゃ、行ってきます』

『(信号がありません)』


・ピラミッド付近 午後三時


「幕辺よ。話がある」

 ピラミッド頂上付近に丸く囲われている黄色い光。

「……数時間でだいぶ様変わり……」

 上空には外周のバリア。真っ黒な星雲のように蠢いている。両手をロープで縛られたフリの僕らはピラミッドの下から見上げる格好になる。まがまがしいオーラが漂っている気がする。

「なんでしょうか。悪魔エイメ」

 幕辺さんの偉そうな声だけが響く。

「直接話したい。このバリアとやらを消してくれないか」

 バリアの中は見えない。

「……いいでしょう。退屈していたところです」

「ネフィリムズ? なのか?」

 バリアの前部分が開き、まず目に入るのはネフィリムズの巨体である。

「混沌が!」

 エイメさまが叫ぶ。ネフィリムズの体は黒く、一回り大きくなっている。呪術的な文様が表面に施されている。

「封印が解けているのか?」

 AIとゴーグルが同期を開始する。途中からバリアで阻まれていた。

『なに見てんだよ』

「怖い!」

 僕は慌てて通信を切った。マシンパワー的にも分が悪く、乗っ取られるかもしれない。

「やるしかない! プランA! 行くぞ!」

 四体の悪魔が一斉に飛び立つ。上空からピンポイントで幕辺さんを狙おうというのだろう。

「幕辺……、そんな……」

 伊達さんから絶望の声が漏れた。

「不謹慎ですが、かっこいいですね……」

 幕辺さんの体も黒く覆われている。ボディースーツのような、悪のヒーローのような。

「やはり情報が漏れていたか。悪魔調整士、甘く見すぎていたな」

 幕辺さんの視線がこちらに向いた気がした。フルフェイスなのでよく見えないが。

「うわー!」

 悪魔四体が同時に吹き飛ばされる。ネフィリムズから謎の波動のようなものが放たれた。

「プランB! 開始!」

 伊達さんの号令。

隠匿コンシール!」

 馬場さんの魔法が発動し、僕の体が透明になっていく。

「行くしかない!」

 僕は背中に隠し持っていた木刀を構え、ピラミッドの斜面に向かって走った。

「幕辺! 勝負だ!」

 伊達さんが圧倒的なスピードで僕を追い抜く。

「木刀か? なにかと思ったら。それで俺をぶっ叩いて、どうなるって?」

 幕辺さんがせせら笑う。

「たー!」

 木刀が振り下ろされ、避けようとしない幕辺さんを打ち付けた。

「くっ!」

 木刀はあっけなく折れてしまった。幕辺さんは肩をすくめる。

「もう終わりか? サムライマスター? お前らはいつも弱いものいじめばかりで、いざというときに使えないんだよなあ」

「ぬうぁ!」

 伊達さんが素手で幕辺さんの顔を殴る。

「うぅ」

 伊達さんの拳から血が吹き出る。幕辺さんはびくともしない。

「あれ? お前の狙ってた悪魔調整士は?」

 僕はすぐ横まで来ていたのでビクッとした。

「どこ見てるんだ! 私が相手だろ!」

 伊達さんは体当たりをし、柔道技のように投げようとしている。

「うん、もういいよ」

 うるさそうに幕辺さんは言うと、伊達さんの腕をひねり上げる。

「ぐああ!」

 伊達さんの苦しげな声に僕は振り返ってしまう。

隠匿コンシールか。ちょこざいな」

 幕辺さんは馬場さんの方を一瞥した。

「不破くん! どこに行った? 隠れてないで出てこいよ!」

 僕は足音を忍ばせ、幕辺さんの後ろにいるネフィリムズの下まで来た。

「出てこないと、愛しの伊達ちゃんの腕がもげちゃうよ?」

 伊達さんの腕がさらにねじ上げられ、伊達さんが悲鳴を上げている。

「……」

 僕は泣きながら唇を噛んだ。ネフィリムズを見上げる。

「頭の先に鐘が見える! チャンスは一回!」

 心の中で叫ぶと、僕はネフィリムズの膝をよじ登る。

「出てこないなら仕方ない。隠匿の魔法をかけているやつを先に殺すか」

 伊達さんの腕をひねりながら幕辺さんは歩き出す。

「やー!」

 ネフィリムズの胸辺りまで登り、僕はジャンプする。

「え? もう来てたの?」

 幕辺さんが振り返る。声が聞こえたのだろう。

「当たってくれー!」

 僕は木刀を鐘へと向けて投げつけた。ジャストミートはしなかったが木刀の端が鐘に当たり、かすかに音がした。

「がはっ」

「不破―!」

 落ちていく僕の体の先で幕辺さんが待ち構えていた。幕辺さんのカタナを突き出して。

「え……」

 カタナは僕の胴体を貫いている。

「貴様―!」

 激高した伊達さんが幕辺さんに殴りかかるが、逆に殴り飛ばされた。

「悪いね。うっかりカタナで受け止めちゃった」

 幕辺さんはカタナを振り、僕の体を投げ捨てる。

「何が狙いだった? 木刀で殴るのが流行ってるのか?」

 振り返った幕辺さんは体をビクッとさせた。上空のバリアの向こうにまばゆい光が近づいている。

「なんだ?」

 加納さまによる『大天使召喚』の術が成されようとしている。

「偉大なる大天使よ! 我が祈りを聞かれぞかし!」

 加納さまが呼びかけている。光は近づいてくる。

「やれ!」

 幕辺さんがネフィリムズに命じた。加納さんに向かって飛び立つ。

重量増加インクリースウェイト!」

 馬場さんの魔法により重量が増したネフィリムズが地面に落下した。

「大天使よ! お助けください! この地にあるものをたすけだ……」

 加納さまの祈りは最後まで言わせてもらえなかった。

「ふざけんなってんだよ、雑魚が」

 幕辺さんが加納さまの首を締め上げている。

「なんてスピード……」

 加納さまが苦しげな声を上げる。バリアの手前まで来ていた大天使が、徐々に遠ざかって行った。

「大天使とは厄介な。危なかったな」

「幕辺!」

 馬場さんが呪文を唱える。

「究極魔法! ぐっ、うう」

 幕辺さんの指先から火花が飛び散る。

「おいおい、杖もなしで? 究極魔法なんて」

 逆流する魔力が馬場さんの腕を引き裂いていく。

「め、めてお……」

「いくら天才でも無理だろう。しかも隕石落とし(メテオストライク)?」

「うう、ちくしょう……」

 馬場さんは腕を押さえて座り込んだ。

「ふん。手間かけさせやがって」

 幕辺さんが加納さんを投げ捨てる。

「お前らは邪神の生け贄だ。まだ殺さない。たっぷりといたぶってからな」

 魔法が解け、ネフィリムズも動き出した。

「素晴らしいぞ。無限にパワーが湧いてくる! この力があれば学園をもっとよくできる! もはや会長になんぞ任せておくものか! 俺が! 俺こそが! 新たなる時代の王者となるのだ!」

「オッケー」

 僕は両手の人差し指を天に向ける。腹部の傷は、持ってきた回復の水で塞がっている。

「プランC! レッツゴー!」

 僕の合図でエイメさまがピアノをバーンと鳴らす。

「何だ?」

 バッジさんが赤いスティックでピアノのボディーを叩き、リズムを刻む。

「何している?」

 イクウェさんは銀色の弦をピアノの足に結びつけ、野太いベース音を奏でる。

「おいおい、俺は何を見せられてるんだ?」

 幕辺さんが近づいてくる。

「プランCってなんだ? 聞いてないぞ」

 伊達さんも聞いてきた。腕は同様に回復の水で治っている。

「さっき思いつきました。ピラミッドの彫刻が翻訳できまして」

 そもそもこのピラミッドもエイメさまたちが邪神を封印するために建造したものである。

「おい! 不破! 何で生きてるんだ?」

 最後はヴァンドウさんがピアノの上に飛び乗る。マイクスタンドを振り回している。

「そしてこの茶番をやめさせろ!」

 音楽が高まり、テンションが上がるにつれ、ピラミッドの四方が輝き出す。

「ピラミッドはエネルギーの増幅装置でもあります」

 僕はゴーグルを脱いでヴァンドウさんへ投げ渡した。

「何だ? エネルギーが集まる?」

 幕辺さんは不思議そうに見ている。

「これがプランC! 名付けて『ゴーグルアタック』!」

 伊達さんもキョトンとしている。

「そんなものが俺に当たるとでも……」

 幕辺さんが言い終わる前に、バシュっと音を立ててエネルギー弾は発射された。

「……真上に」

 伊達さんが見上げて言う。

 続いて四体の悪魔が飛び上がる。

「これも真上?」

 縦に並び、外周バリアの一点へ向けて次々とぶつかっていく。

「そんなもので絶対防御バリアが破れるとでも?」

「やってみなくちゃわからないですよ!」

「いや、でも……」

 伊達さんもネガティブな発言をした。

「よしんば破れても一時的だなあ。数センチが関の山だ」

「数センチ、そうですね」

 バタバタと四体の悪魔が力尽きて落ちてくる。

「ほらね。無駄だったろ?」

 幕辺さんがカタナを構えて近づいてきた。

「おい……、調整士……」

 エイメさまが何か言っている。

「……高くつくぞ……」

 バッジさんが続ける。

「……なにがプランCですか……」

 イクウェさんが毒づく。

「……こき使いやがって……」

 最後はヴァンドウさん。

「みなさん、お疲れさまでした」

 僕は四体に向かって深くお辞儀をする。

「え? 終わりなの?」

 伊達さんが驚いていた。

「よく分からないが、もう一回死んでくれるか?」

 幕辺さんがカタナを振り上げた。

「プランCの続きはないの?」

 伊達さんが再確認してくる。

「そうですね。後は死ぬだけです」

 僕の言葉に伊達さんも止まる。

「面白いな、最後まで」

 幕辺さんが振り上げたカタナを下ろす。

「バリアが破れなかったから諦めるってこと?」

「うーん、そんなところですかね」

 馬場さんと加納さまもピラミッドを上ってきた。それぞれ傷は回復しているが。

「ギブアップらしいぜ」

 幕辺さんがつまらなそうに言う。

「幕辺さん、死ぬ前に一つだけ、どうしても言いたいことがあるんです。伊達さんに」

 伊達さんが顔をしかめる。

「なんだよ、やっとかよ! ははは!」

 幕辺さんは楽しそうに笑う。

「……伊達さん。僕はずっと、あなたのことが……」

「待ってくれ、そんなこと言ってる状況か? それとも本当に死ぬ気なのか?」

「伊達くん! 黙って聞いてやれよ。人生かけた大仕事なんだぜ」

 伊達さんは幕辺さんを睨んだ。そのまま僕も睨まれる。

「すみません、じゃあ最初から。伊達さん。僕はずっと、あなたのことが……」

「ヒューヒュー」

「あっ、やっぱり言えないかも」

「おいおい! いつまでひっぱるんだよ!」

 そこまで言って幕辺さんの方からハッとするような感じが伝わる。

「お前」

「伊達さん、僕は、あなたのことが……」

「お前! やめろ!」

「今度は邪魔するんですか?」

「ゴーグルをどこにやった?」

「は? 告白の邪魔なんで外しましたよ」

「バリアの! 数センチ! やりやがったな!」

 取り乱した様子で幕辺さんは上を見る。他の三名はまだピンときていないようだ。

「ネフィリムズ! バリアを消せ! 外にゴーグルが……」

「なんだ?」

 幕辺さんの命令は伊達さんの声とかぶる。バリアの外に、青白い光が波紋を作っている。

「はあああ!」

 今度は馬場さんが声を上げる。

 次の瞬間、上空からは轟音が響き、地面が揺れた。

「隕石落とし(メテオストライク)! こんなたくさん!」

 僕や伊達さんは耳を塞いで地面に伏せるが、馬場さんは平気のようだ。

「これってゴーグルのせい?」

 伊達さんが轟音の中で僕に聞いてくる。

「バリアの外から隕石を落とされてます!」

 僕も大声で応える。

「誰が?」

「魔導師ギルドの皆さんでしょうね!」

 伊達さんもようやくハッとなった。

「バリアが! 絶対防御バリアが!」

 幕辺さんがネフィリムズの方に走っていく。強度を上げさせようとしているらしい。

「みんな……、師匠……、こんなにたくさんのメテオ……」

 馬場さんが空を見上げて泣いている。

「なんですか? なんでここが?」

 加納さまが這って近づいてきた。

「ゴーグルですよ。ゴーグルだけ外に放りだして、助けを呼ぶメールを自動で送信しまくって」

「正解です」

「それにしては助けがくるのが早すぎませんか?」

 バリアが破れる。上空にできた穴から次々と入り込んでくる飛行物体。

「ハイエスト・ガード! 何体来ているんだ?」

 伊達さんが言う。

「確かに早い。さては……」

 上空からゆっくりゴーグルが落ちてくる。イクウェさんが触手でキャッチし、そっと僕に渡してくれた。

『いたー! テレビ! 映ってるぞ!』

 相変わらずのテンションで書き込んでくる。

『さては根回ししていたな?』

『なんのことかな』

『さすがデジタル悪魔、抜け目ないねえ』

 地上からは兵隊のような男達が駆けてくる。

「徒歩かよ。うちらは」

 伊達さんがホッとしたように笑う。撃剣抜刀隊のサムライ集団が伊達さん目がけて猛ダッシュである。

「隊長―!」

「無事だ! 隊長は無事―!」

 むさい男達が泣きながら走ってくるのを僕は見ていた。

「大司教代理」

 ハイエスト・ガードの戦闘機から何人かの司祭が降りてきた。

「……」

「よくぞご無事で」

 サムライ隊とは対照的な温度である。

「鐘の回収は近衛師団に依頼してあります。まずは聖堂にお戻りください」

 ひげ面の司祭が笑わずに加納さまに告げる。

「……鐘の回収を見届けてから行きます」

「了解しました」

 馬場さんの周りは転移テレポートの魔法で現れた魔導師達でいっぱいである。写真を撮ったりインタビューをしたりする。


 幕辺さんは各団体のエースに取り囲まれていた。サムライ、魔導師、司祭など。

「無駄な抵抗をやめ、投降していただけますね?」

 近衛師団の部下らしき数人が泣きながら言っている。

「……会長の意思なのか?」

「本日の正午をもって幕辺さまは近衛師団長、並びに近衛師団員の資格を剥奪となりました」

「正午? ふふ、ははは」

 幕辺さんは笑い、黒い装束を解き、腕輪へ封じ込める。

「最後に、少しだけ、すまない」

 幕辺さんは腕輪を外した。

「不破くん! いるんだろう? 話を聞いてくれないか」

 僕はこわごわと前にでる。何かあってもエースの皆さんが助けてくれるとは思うが。

「これを頼んだ」

 幕辺さんが腕輪を放り投げてきた。どうにか受け止める。

「君の恋の行方、最後まで見れなくて残念だった。草葉の陰から応援しているよ」

「はあ、どうも」

「エイメ以下、あの連中にもよろしく言っておいてくれないか」

「はあ、よろしく言うのが仕事ですから」

「そして……」

 最後は真顔になる。

「もっと自信を持ってくれ。俺を出し抜けるんだからな」


・帰りのバス(交通費立替) 午後四時


『グループチャットの入会依頼』

『なんだろう。もう疲れたんだけど』

『グループ名は『夕焼け腹ぺこ団』。心当たりは?』

『心当たり大あり』


夕焼け腹ぺこ団・履歴

D.T『カレー食べたのにもう腹ぺこ』

B.B『同じくでーす』

K.N『あのカレーの味が忘れられません』

D.T『カレー食べに行こう』

B.B『賛成でーす』

K.N『キャンプ勘弁』

D.T『おいしい店を探してもらおう』

B.B『スケジュール調整よろしく』

K.N『おしゃれで、おいしくて、辛くないところ』

『F.Wがログインしました』

D.T『そういうことで、調整よろしく』

『D.Tがログアウトしました』

『B.Bがログアウトしました』

『K.Nがログアウトしました』

F.W『……これってパワハラっていいませんか?(笑)』


(了)

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