第九十八話 プリンと共に揺れる理性
謹慎中にこれぞうは想っていた。これは五所瓦これぞう、つまりは自分の恋の物語。なのに、近頃では恋にときめく展開がないではないかと。
「想えばこないだは文化祭の劇のことで忙しかっただろ。次にはみさき先生のお父さんと野球勝負で忙しかっただろ。そして今は人生唯一の汚点の払拭のために時間をかけていて忙しいだろ。ね、最近みさき先生とはゆっくり話も出来てないよ。だろ?姉さん」
「う~ん、野球の勝負が何とか~てのはアレ、余計だったんじゃない?」
「何を言うのさ。あれを焚きつけたの、姉さんだったよね?」
「そうだったっけ~?」
あかりはこれぞうの部屋に来て漫画を読んでいた。
「姉さん何読んでるのさ?」
「ああ、これ?友達に借りたの。かなり昔の少女漫画だけど『果物籠』っていってね、最近になって完全版が出たとかで、その子も懐かしくなって買っちゃったのね。それで私はそれを借りてタダで読んでるの」
「あ~あるあるそういうの!長らく絶版だったものがお手軽な文庫本なんかで復刊したら、一回読んだことがあるけどまた買っちゃうんだよね」
姉弟は本あるあるで盛り上がっていた。
「みさき先生どうしてるのかな~」
「どうもしてないでしょ。出来る女子の先生は今日も卒なく先生してるわよ」
「姉さんたら、なんだか乱暴に話を終わらせるじゃないか。ところで姉さん、それ面白いかい?」
「うん、結構いけるわね。あんたも文学なんてものばかりじゃなくたまにはこういうの読めば?女子の気持ち、分かるんじゃない?」
「う~ん、そうかい?物語は何でも好きだからね。教養として読んでみるのも良いかな」
「あんたは言うこと堅いわね。これは娯楽を追求した少女漫画よ。肩の力抜いて、恋にときめく展開を楽しめばいいのよ」
「うん、そうかい。じゃあ一つ読んでみるかな」
姉は丁度読み終えた漫画を弟に渡した。
「そろそろ田村先生が家庭訪問にくる時分だな。僕は客間の準備をするかな」
五所瓦家には元々客間として用意された部屋はない。彼が言う客間というのは、元祖父の部屋のことである。その4畳半部屋の真ん中には木の机が一つ置かれ、あとは仏壇があるのみだった。むしろ仏間といった感じだった。
これぞうは担任教師がやってくる少し前に客間に入り、暖房をつけて部屋を暖めていた。これぞうは暑がりで元気なので暖房は必要なかった。むしろ温い風邪が頬に当たると気持ち悪いと想っていた。彼は冬でも服を重ねて着れば平気なので、暖房器具なんてのは一般家庭には必要のない発明だと想っていた。彼の部屋からは暖房器具による電気代は発生しないので、大変エコな上に家庭の懐を痛めることもない。良い息子である。
これぞうは姉が又貸しした漫画を読みながら田村の到着を待っていた。
そしてピンポンが鳴った。ここでこれぞうに予感が走る。
「ぬぬっ!くんくん……違う、この香りは……」
何かが匂う、それを悟ったこれぞうは漫画を畳の上に置いて立ち上がると、足早に玄関へ向かった。
「やはりそうだ!みさき先生じゃないですか!」
「え?やはりってどういうこと?」
これぞうが迎えるのは担任教師の田村薫のはず。それが玄関に出てみるといたのはみさき一人のみ。
彼は鼻が利く。初老の男性田村とうら若き乙女のみさきの匂いは明らかに異なる。離れた距離からでもこれぞうにはそれが分かっていた。
「田村先生は……?」
「ええ、先生は今日は別件で忙しいから代役で私が来たの」
「しめたぞ!田村先生には悪いがもっと忙しくなると良い。そしてこのままみさき先生が家庭訪問の任を取ってしまえばよいではないですか」
「嫌です」
二人はこんな感じでいつものやり取りを行う。
「ささっ、そんなことよりも先生、早く上がってください。寒いでしょ。なんなら風呂も飯も済ませていけばいい」
「遠慮します」と言いながらもみさきは家に上がり、客間へと通される。
「へへっ、先生久しぶりですね。と言っても今朝方夢でお会いしましたがね」
これぞうならまだセーフだが、言うヤツが言えば気持ち悪い一言がこれぞうの口から出た。
「まったく調子がいいのね。あ、これ手土産にプリン。想えばウチの父のせいでこうなったから……」
「わわ!こいつはご機嫌だな!これは最近駅前に出来た華やかな店の勢いに決して飲まれることなく、駅の裏の薄暗い通りで細々と且つ、確実に美味いものを提供するあの店のプリンじゃないですか!」
言いながらこれぞうは紙箱を乱暴に破壊してプリンを取り出し早くも一口喰う。みさきの話の途中でもプリンに夢中である。
「ううん、やはりこいつだな!薄暗い店なのに、真にスポットを浴びるべきはこっちの店なんだ。駅前の店みたく派手にしなくたって、地味でも美味いものを出す店にはちゃんと人が集まるんですよね~。世の中の目は公正なものですよ!」
コメントしながらこれぞうはプリンにがっつき、早くも一つ食い終わった。
「ああ~うまい!」
そう言って満足な笑みを漏らしたこれぞうの頭を「パンッ」と打ったのは姉が操る新聞紙を丸めた棒であった。
「なにさ姉さん。有能なおつむに一撃入れるとは乱暴な話じゃないか」
「あんたねぇ、ガッツキすぎでしょ。先にお母さんに見せないとだめでしょそれ。なのに箱を破って中を食べちゃって、野生児みたいじゃない。それに面談がまだでしょ」
「これはこれは失敬。すみません先生。僕はこいつに目がないもので。姉さん言う通りだ。姉さん、ごめんよ。箱をボコボコにしてしまったけど、これをお母さんに渡してくれよ」
「まったく、ダメダメな弟だわ。先生、しっかり指導してやってください」
そう言うとあかりはプリンの入った箱の底を持って退室した。
みさきはこれぞうがプリンをがっつくのから、姉のツッコミが入るまでを見て呆気に取られていた。この姉弟はやはり色々とすごい。
そしてみさきはクスリと笑う。
「ははっ、面白いわね」
「ははっ、あの姉さんは面白いと近所でも評判ですよ」
「二人ともよ」
みさきの笑顔を見たこれぞうはプリンに舌鼓を打った以上に満足な気持ちになった。
「やはりコレだな、僕の求める日常は……」
これぞうは愛する女を見つめるのみであった。




