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第八十七話 研ぎ澄まされた二つの刃

「よし、決めた」

 父は運命の第三球目をどうするか決めた。


「これぞう君、これは心理戦ではない。ただの未来確定図だ。次の一球、くさい所を突くボール玉なんかは投げない。必ずストライクゾーンに収める。どこに何を投げ込むか話すほどの親切はしないが、とりあえず君は次に来る球に対してにバットを振らなきゃ負けるからね」

「へへっ、お父さん。僕は野球のルールなんてのは知らないけど、大概の場合にはプレイ中に相手とベラベラ喋ると反則に取られるではないですか?」

 父は恐ろしい自信を持っている。そしてこれぞうだってその自信が作る空気感に飲まれはしない。互いが自分を見失うことなく万全の状態で決戦に臨んでいた。

 一同は緊張して二人を見守っている。


 遂に父は投球フォームに入った。ワインドアップ投法である。これに対してこれぞうのバットを握る握力が増した。

 父の手から球が離れた。彼は未来確定なんてことを口にしたが、そいつは偽りなく有言実行のこと。父の投げた球は、確かにストライクゾーンの中、それはこれぞうにも分かった。


(僕は素人、しかしどうやらこっちの才能がちょっとばかりあるようだ。球は速いが、目で追える。体もそれに反応する。体力はないが、僕は全くの運動音痴ではない!)

 球が手元に届くまでの間、これぞうはこれだけのことを想った。


 そしてこれぞうはバットを振りにかかる。打てる!彼はそう想った。

 しかし父の投げた第三球には残酷な仕掛けがされていた。今度の球が描く軌道は、先程のバットの下を「潜る」ものではない。それとは別の歪な軌道を描きながら球はバットから逃げていくのであった。

「なっ、何!」思わずこれぞうは言ってしまった。

 とにかく変化球。これぞうも途中からは目で軌道を追うことが出来ない。それは彼の後ろに控える捕手の久松もそうであった。

 これぞうがバットを振り抜いた時、彼の前方に飛ぶは僅かな土煙のみ。球は久松のミットにも収まらず、後ろに抜ける。そしてこれぞうと久松の後ろに位置する生徒の自転車置場へと転がって行った。

「今のはシンカー……」とみさきは呟いた。

 球を受けたこれぞうと久松も先程の球種が何か分からない。他の生徒達もそうである。この場で変化球を見抜いたのは投げた本人とみさきのみであった。


「く……」

 これぞうは遂に父の球に触れることすら出来ずバッターボックスに膝を折る。口に出た悔しさは「く」の一文字のみ。

「負けた。3回空振りしたら負け。それくらいのルールは知っている」

 これぞうは敗北を認めた。

「おやおや、しかし抜けたね。一塁は留守だし、これは振り逃げかな……」と父は言う。そしてこれぞうは思う。何だそれはと。


 その時、体育館から男子の授業を担当していた男性教師が出てきて「コラ!何してる!」と叫んだ。これぞうのサボタージュがバレ、そしてマウンドに変なヤツがいるのもバレた。おまけにこれぞうを探しに行った久松も一緒になって授業放棄をしていたこともバレた。男性教師はこれら三点を「コラ!」の一言の下に叱責した。


「おっと、まずい!みさきちゃん、お父さんはこれで。何を聞かれても知らぬ存ぜぬで通せば良い。私のことは誰も知らないさ」と言うと、父は猛スピードで逃げ出し、すぐにも校門の外へと消えた。このおっさんもみさき同様足が速い。

 体育教師が駆けつけるが、マウンドから遠く離れた体育館からのスタートであの父に追いつけるはずもなく、とりあえずこれぞうと久松を捕まえた。

「お前たち、授業を抜け出して不審者と野球をやるとは何事だ!問答無用で反省文だ!」

「何ぃ!せめて問答はしましょうよ!」とこれぞうはウィットに富んだ返しを行うが、彼が何を言ってもサボりはサボり。しかも女子の体育の邪魔をしている。

「久松!お前まで何だ!サボタージュ取りがサボタージュするとは、こんな間抜けはないぞ!」

 体育教師は「ミイラ取りがミイラになる」の諺をおしゃれにイジって久松を叱った。

「はい、返す言葉もありません」と久松は浅くもなければ深くもない反省に入っていた。何せ彼としてもこの対決は面白そうと想って参戦したのだから、最悪の場合の罰も想定していた。こうなる覚悟はある程度出来ていたのだ。

 

 斯くしてみさきの父とこれぞうの決闘は終わった。その後これぞうと久松の二人は男性教師の指導の下、みさき先生と女子生徒一同に「ごめんなさい」をさせられ、放課後に居残りで反省文を書かされることとなった。


 この騒ぎの一部始終を見ていた人物がもう一人いた。これぞうの担任の田村薫である。

「やれやれ、五所瓦のやつ捕まったな。しかしヤツも変わらず良く投げる。今日にも初めてバットを握ったような素人にシンカーを放るとは……」

 田村は校舎の太い柱に身を隠して校庭の騒ぎを見ていた。

「おや、田村先生。こんな所でどうしたのです?」とたまたま通りかかった校長が言った。

「ええ、職員室を締め切っていると息が詰まりましてね。なので外の空気を吸おうと出てきたのですが、それでも風が冷たいのでこうして柱の影に隠れて体を守っていたわけです」

「はっは、田村先生はお年を召されたのか、まだまだ元気なのかいまいち分かりませんな~」校長は笑いながらそう言うと場を去っていった。


 これぞうはみさきの父が投げていた硬球を拾った。

「うん?たむら……」

 それにはマジックで小さく「たむら」と書かれていた。

「ああ、田村先生のか。年末の大掃除でもしていて、その関係でここまで飛んできたのかな?まぁいいや、先生に渡しておこう」

 その時丁度5時間目終了のチャイムが鳴った。

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