第八十六話 開幕!5時間目の決闘
「先生!いつもの変な人と、初めて見る変な人がいます!」
とある女子生徒がみさきにそんなことを言った。
確かに校門をくぐってこちらにやって来る人影が二つある。みさきは頭脳明晰、そして視力も良い。彼女にはすぐに分かった。向かって右の変なヤツはこれぞう。そして左には外気に肌を晒している面積が極めて少ない謎の人物がいる。これだけ顔を隠しても分析力に長ける本作のヒロインは、体格、状況、そしてこれぞうが横についているという点などからそれが父だとすぐに見抜いた。
「皆、とりあえず試合を続けて。大丈夫だから」そう言うとみさきは変な二人の下へ駆け寄る。
生徒達はみさきに絶対的信頼を置いている。みさき先生ならきっとこの場を何とかするだろう、相手が例え暴力に訴えてきても、みさき先生なら相手を圧倒できるとまで想っていた。何せ彼女、強いんだから。
「ちょっと二人共どうしたの?生徒たちが怯えているでしょ」
不審者然とした身なりのみさき父を見て皆がびっくりするのは当然。そしていつも通りのこれぞうは、これまたいつも通り女子の大半に敬遠されていた。だって彼、変人だもの。
「止めるなみさきちゃん。なに時間はとらせんよ」そう言うと父は娘をかわして行く。
「そうですよ先生。時間は取らせませんよ」
いやいや取ってる。こうして授業中に現場に割り込んで来て、授業が一旦ストップになっているのだから、この場に姿を現したその瞬間から二人は授業時間を奪っている。みさきはそう想っていたが、彼女でも二人の勢いを止めるのは難しかった。
父はマウンドについた。
「やぁ君、すまないね。バットを貸してね。あのおじさんと対決しないとこの時間は終わらないよ」とこれぞうがバッターボックスにいた女子に言うと、彼女は怯えてバットを手放した。そしてベンチへと駆け寄った。
「さぁ、これぞう君。構えたまえ」
父はボールを手にしてすぐにでも事を始める気だ。しかし捕手がいない。捕手も怯えて場を去った。
そこへ登場したのはこれぞうの良き級友久松その人であった。
「おい五所瓦、お前が体育館から消えたのに気づいて探しに出てくれば……何か面白いことになってるな」
久松も変人達による変な現場にそろそろ慣れ、今では目下の状況を楽しむまでになっていた。
「やぁ君、丁度いい所に!お父さんの球は君が受けくれよ。確か昔は野球部だと言ってたね」
これぞうは偶然やってきた友人を気軽に使う。
「いやいや言ってないよ。俺は野球部じゃないし、サッカー部だったよ」
これぞうは基本テキトー野郎であった。
「まぁでもいいよ。ちょっと取るくらいなら出来るからさ」と久松はきさくな一面を見せた。
こうして久松は捕手となった。
「ははっ、何だねこれぞう君、その構えは」
これぞうは野球の全くの初心者。バットの構え方からして素人とバレた。
「さぁ何の構えなんだろう。おい、君、バットの構えにも何とか流とか、何とかの構えとかって名前があるのかい?」とこれぞうは久松に聞く。
「いや、ないだろう」と久松は返した。
授業を妨害して割り込んできた二人はとにかく行動に迷いがない。すぐにもそれぞれが戦いの配置に着いていしまった。こうなったらみさきは止めることも出来ず、ことの成り行きを見守るのみだった。女子生徒達は、変な奴らが勝手に戦っているだけでこちらに被害はないと分かると、二人の戦いをちょっと面白そうと想い、高みの見物を決め込むことにした。
「うん?ソフトボールだったね。どうするかいこれぞうくん。ソフトボールのルールに則ってアンダースローにするかい、それとも野球的で良いかい?」
「え?なんですって、よく分かんないけど、お父さんの自由で良いですよ。こっちは来たのを捌くだけが仕事です」とこの男、言うことだけは一人前。しかしとても打撃に長けるバッターの構え方には見えない。
父が投げようと想ったその時、どこからともなく硬式野球のボールが転がってきた。
「ん?どうしてこんなものが、誰だ……」
父がそれを拾って辺りを見回すが誰が投げ込んだものかわからない。
「まぁ良い、こっちにしよう。ではいくぞこれぞう君」
父は硬球を手にした。そして振りかぶって第一球を投げた。それは久松がミットを構えた位置、つまりはストライクゾーンど真ん中を突っ切り、「バシン」と良い音を立てて久松のミットに球が収まった。
「へぇ?」とこれぞうは間抜けに一言漏らす。
速い!想った以上に速い!これぞう、全く手が出ずワンストライク。
「え……今の速くない?」
これはコイツじゃ打てない。捕手の久松はそう想った。
「ははっ、久しぶりに投げたが、まだまだ衰えちゃいないね」
父は第二球目を投げにかかった。
「こいつは昔取った杵柄だよ!」その言葉を放つと共にボールは父の手から離れた。
これぞうは間違いなく素人、しかし負けてやる気は微塵もなかった。一球目は確かに油断した。こんなおっさんがあんなに速い球を放るとは思わなかったからだ。しかしこうなったらこれぞうは戦いにおいて手を抜かない。ライオンだっていびきをかいて寝ていれば、ウサギに寝首をかかれるかもしれない。戦いは本当に終わるまで分からない。前情報では未来は見えない。勝った者が強者、全ては結果を見るまでどこまでも謎だ。だからこそ彼は集中し、二球目は全く油断しなかった。油断せずにかかれば勝てるかもしれないからだ。
何とこれぞう、タイミングを合して良い所にバットを持っていった。スイングは風を切る程速いとはいえない。しかしこれは真芯で球を捉えることができるかもしれない。久松もみさきもそう想った。
「もらった!」
これぞうの心の声が、つい口から漏れた。
タイミングは合っていた。しかしバットは空を切り、球は「バシン」と音を立ててまたもや久松のミットの中。
「ええ!何で!」
捉えたと想ったものが逃げた。これぞうは不思議がる。
「先生、今の変化球?」女子生徒の一人がみさきに聞く。
「ええ、あれはフォーク。お父さんの得意技ね」
「くそぅ!」そう言うとこれぞうはバットでホームベースを叩く。悔しいこの一声は、本当に打てたと想えたからこそのもの。
「手元で球が深く沈んだ!確かに球がバットの下に潜る瞬間を見たぞ。コイツは世に聞く魔球か!」
これぞうはフォークボールの軌道を「潜る」と表現した。試合の実況解説でも聞かない文学青年ならではのフレーズを使ってきやがった。
「いや魔球って……普通のフォークボールだよ今のは」と久松は返す。
「驚いたねぇ、一球見ただけなのにタイミングが合ってきている。反射能力と集中力はピカイチ、しかし経験の差が天と地ときている。ここの差は素人の一打席じゃ何ともならんだろう」
これぞうがそうであるようにこの父も本気である。理論はこれぞうと一緒。条件によるとウサギがライオンを倒すことだって無くはない。だからこそ彼はライオンの立場にいながら隙を作らない。高校時代からみさきの父はマウンドに立てば冷静、そして冷酷だった。相手のステータスなど知ったことではない。全力で打者を潰す、投手としての彼はそれしか考えていない。そうして勝利を得ることこそ、彼の無上の喜びであった。
みさきの父は硬球を弄りながら決め球を何にするか策を練っていた。対してこれぞうは集中し、とにかく来たものを全力で打ち返すと決めていた。
いつしかみさきも久松もその他の女子生徒も緊張してこの場を見ていたのであった。




