第八十一話 お祝いのダブルサーモン
「ファイブ、俺はここの現場責任を預かっている」神妙な面持ちでボスが言う。「そういう立場から、時には相手にとって残酷なことであっても、現場を上手く回すためにはっきりと言わないとけない。それも俺の仕事の一つなんだ」
ファイブこと五所瓦これぞうはボスの話を黙って聞いていた。
「いいか、今回のことは、例えファイブがこの会社のお嬢さんが可愛がっているヤツだとしても関係のないことだ。誰であろうが、現場の流れを悪くするなら、俺は責任ある立場としてこれを言わなければならない。遠回りをしたが、話の最後はここに到達することになる。結果を言うと、お前は首だ」
なんとこれぞう、生まれて初めてのアルバイトで首になってしまった。
「ふっ、ボス。あなたは職務に対しては堅実、仲間に対しては情が厚いときている。それを言うのはきっと胸が痛んだろうと想います。例え1日であってもあなたは僕の上の立場であるボス、そして僕はその下についた部下でした。短い間でしたが、ためになる経験でした。ありがとうございます。イケさんも……」そう言うとこれぞうはボス、イケさんと順番に手を握った。
みさきの引っ越しは終わった。今は作業が終わり、これから撤収しようという段に入っていた。そんな時にこれぞうは駐車場のトラックの前で首を言い渡された。みさきはそれを少し離れて見ていた。彼女は「何コレ?」と想っていた。
これぞうがどうして首になったか、それには納得できる理由があった。今回の引っ越し業務はボス、イケさん、ファイブ(これぞう)の三人で行った。しかしこれぞうときたら、普段から鍛えている正社員の皆さんとは違って体力がへろへろ過ぎた。小さなダンボール箱を運ぶにもひいひい言う始末。文学青年のこれぞうは、同級生よりも筋肉や体力がない。「もやし」と称されても問題ないような彼がいきなり引っ越し屋の仕事などそもそも無理があった。気の毒に想ったみさきはこれぞうに手を貸し、会社としては客を働かせたことになったのだ。ボスとしては客に助けられるような現場作業員を正式に仲間として迎えることは出来なかった。
ボスもイケさんもファイブの人となりは気に入っていた。現に三人はすっかり仲良し。でもそれとこれとは別。社会人は仲良しごっこではない。全てはチームで作業ができるかどうかにある。そこでこれぞうはチームの足を引っ張った。ならば、これぞうが良いヤツであっても悪いヤツであっても会社としては首を切るしかない。使えないヤツに給料をやるほど社会は優しくないし、そんな金も余ってない。社会とは厳しいものなのである。これぞうは本日身を持ってそれを知った。これだから若い内に社会を知っておけば後々何かと役立つ。
ボスとイケさんはトラックで事務所へと帰っていった。ファイブはというと、アパート駐車場に置いていかれた。現地で首、現地で解散となったのだ。広い社会ではこんなこともあったりする。
これぞうが振り返ると、可哀想なものでも見るような目をこちらを向けるみさき先生と目があった。
「ははっ、先生。お恥ずかしいところをお見せしました。あ、コレはウチからの引っ越し祝いの饅頭と鮭です」
「はは……ありがとう」
みさきはこんな場面は初めて見るのでリアクションに困った。
「よし、丁度仕事も終わり、同時に首も切られたので、ここからは引っ越し記念パーティーでもしますか、二人で」
「しません」
みさきのラリーは速かった。
ここでこれぞうの方も出方を変える。
「先生、魚を三枚におろせますか?その鮭、相当大きいのですが……」
「え、そんな魚くらい……」
おろせない。そう、みさきは途中まで言って気づくが魚をおろせない。
「どうです。すぐにでも食えるように僕が下処理もしますよ。肝などのいらない部分はこちらで持って帰って処分します」
好きな女の家に上がり込むためにこれぞうは手を尽くす。料理が苦手なみさきの事情を知っての申し出であった。これは上手い。
しかしみさきの方でもおいそれと男を上げる訳にはいかない。でも、これぞうの申し出は嬉しい。そして彼女は鮭がすごく食いたかった。
駐車場で男女の心理戦が繰り広げられる中、新たな人物が登場する。
「お~いみさきちゃ~ん」
遠くからみさきを呼ぶ声がする。彼女が幼い頃からずっと聞き続けてきたあの声である。
「お父さん!」
みさきは驚いて答える。
「お姉ちゃん、私も来たよ~」
父の隣には妹のみすずもいた。
「二人ともどうしたの?」
「いやいや、みさきちゃんの新居を見てみたいと想ってね。みすずちゃんも同じことを想ってついてきたよ。それに引っ越し祝いもね。はい、みさきちゃんの好きな鮭」
みさきの父も鮭を持ってきた。ここで父は、それまで娘に夢中で目に入っていなかったが、男が一人いることに気づいた。そしてそいつが手にしているのもまた鮭だと理解した。
「ぬぬっ!なんとこちらにも鮭が。おや、あなたは引っ越し屋さん……誰?」
まさかのダブル鮭。こんな偶然があるだろうか。引っ越し早々みさきの飯のおかずは豪華なものとなった。しかし同時に面倒も舞い込む。面倒な父、それに負けずに面倒なこれぞう。二人の対面は自分にとってはとんでもない事態を招きはしないか、みさきをそれを思うと顔を引きつらすのであった。その横で妹のみすずはいつも通りニコニコして場を楽しんでいたのであった。




