第七十九話 その時父は……
みさきが龍王院家に越してすっかり落ちついた11月の終わり頃のことである。その日の昼、みさきの携帯電話が喧しく鳴った。
「はい、もしもし」
「みさきちゃん!今どこよ?家が無くなったって聞いたよ!」
電話の相手は彼女の父であった。
みさきは、そう言えば家族にも言ってなかったと思い出し、これから父に説明するのもちょっと面倒と想っていた。
「お父さん、二十歳も過ぎた娘にちゃん付けは止してって前から言ってるでしょ」
「おおっとそうだった。いかんいかん」
彼女の父親は娘が大好きで、意図的に子離れしない気でいる困ったおじさんであった。
「それよりも家だよ家!ホラ、みさきの学校のお友達の土上さんがさ、何でも軍だか隊だかを抜けて街に帰ったからとかで家にも挨拶に来たんだよ。お父さんの大好きなカステラ持参でね。で、その時にみさきの住んでた例のボロアパートが倒壊したと聞いてね。じゃあ娘は今どこで何をしてるんだと気が気でなかったんだ」
「……お父さん、その割にはなんというか、和んでいるというか……今何か食べてるでしょ、電話越しにクチャクチャ聞こえてるよ」
「ああ、すまない。今食べてるこれがお土産に貰ったカステラだよ。いや~うまいね~」
みさきの父は甘党で、中でもカステラが大好き。彼は切り分けられていない一本物を好み、それを丸っと食べるのが好きなのだ。彼にとってはカステラなどは海苔巻きと同じ扱いであった。
「ああ!お父さん、また一人で一本丸齧りしてる!私のも残しといてよ」
電話の向こうでみさきの妹みすずがそう言うのが聞こえた。
「ああ、ごめんねみすずちゃん、これがすごい美味しいからさ」
「お父さん、ちゃん付けは止めてよね」
「ふっふ、今みさきちゃんにも言われたけど、それは二十歳を過ぎてのこと。みすずちゃんはまだ15の乙女だから、ちゃん抜き制度の範囲内には入らないね」
「いや、15でもちゃんは嫌だから」
みさきは電話の向こうで騒がしくしている父と妹の話を聞いていた。
「ふぅ、カステラ取られちゃった。みさき、こんな家族団欒を耳にするだけでも帰りたくなったろ、もう帰ってくれば?」
「どうしてそうなるのよ」
父は寂しいからに尽きる理由のため、娘を外に出すのには反対であった。
「今はね、新しい所を探すまで龍王院さんの家に厄介になっているの」
「何?龍王だって。なんだいそりゃ、麻雀かロールプレイングゲームのボスの話でもしているのかい?」
この父はトンチンカンなおじさんである。
「いやいや龍王院さん。普通の家の人よ。(いや、普通でもないか……)」
「ああ、お友達ね。……女性なんだよな」
「家族で住んでいる屋敷でお世話になっているから」
「そうか、ならまぁ安心かな。まさか男の家にでも上がり込んでいるのじゃないかと想ったら気が気でなかったよ。と言ってもカステラを齧るくらいの心の余裕はあったがね」
みさきは男の家と聞いてこれぞうのことが頭をよぎった。そう言えば1日だけは彼の家の世話になった。しかしそんなことは父には伏せておけば良いかと想った。
「みさき、年末には帰るんだろ?」
「はいはい、帰るよ。お餅とか用意しといてね」
「みさき!帰ったら将棋とかテレビゲームとかキャッチャーボールとかしような。お父さんはみさきが遊んでくれないと暇で仕方ないよ。みすずは部活で家を留守にしてばっかりなんだ」
子供かよと思いながらも、寂しがる父を想ってみさきは優しい言葉を選んで口にした。
「じゃあねお父さん、寒いから風邪を引かないでね」
「ありがとう!優しいみさきちゃんにそう言われたらお父さん、あらゆる菌を通さないバリア張っちゃうもんね」
娘大好きな父との通話が終わった。
「はぁ、お父さんって相変わらずね……そういえば、何か五所瓦君とちょっと似てるかも」
みさきはそんなことを想うとはっとした。学校の外でもちょっとしたことでこれぞうのことが思い浮かんだ。それは彼女にとってこれぞうがそれほど心理的に近しい人物になっているという証拠に他ならない。それを自覚したみさきは何だか恥ずかしいような、困ったような複雑な気持ちになった。これぞうとの関係は半年続いている。みさきは未だにこの関係と気持ちがどういうものなのか、はっきりとは分からない。また、意図的にそこのところの整理をせずに放置していた。乙女心はもちろん、男と女の関係というのもまた複雑なものと言えよう。
そこへ桂子が闖入してくる。
「みさき、良いオマール海老が手に入ったわよ。これぞうとか、あとはこれぞうとかも呼んで庭で焼きましょうよ」
「オ、オマール……」
オマールとは何ぞ?みさきの頭の中はまずそれで埋まり、次には美味いものが食えるという期待がこみ上げて来た。みさきはたくさん食べる元気女子なのだ。
「さぁさぁみさきも一緒に行くわよ。これぞうは海老が好きだから、海老をちらつかせればすぐに飛んでくるわ。こうしていると今にもこれぞうの声が聞こえてくるようじゃない……」
桂子がそんなことを言ってる間にも庭から声がする。
「お~い桂子ちゃ~ん。海老は何処に~?」
みさきが部屋の窓から庭を見下ろすと、これぞうはこちらに向かって元気に手を振っていた。みさきはそれを微笑んで見つめると、桂子と一緒に庭へと降りていった。




