第七話 胃袋を掴んだ時、戦況が変わる
「ふんふん、これ……美味しいわ!」
これぞう会心の愛の告白が行われた日の昼休み、みさきはこれぞうのお手製クッキーを食べていた。彼の愛がたっぷり詰まったクッキーはみさきのお口に合うものであった。
「なるほど……しかしこれは困ったわねぇ」
「あれ、水野先生、さっそく生徒からプレゼントをもらって、しかも可愛らしいクッキーと来ている」
職員室ではみさきの隣の机に座っている田村薫が言った。
「へぇ、最近の女子生徒は友好の証としてこんなものを贈るんですね。上手に焼けてるじゃないか」
「いえ、田村先生、これは先生のところの男の子からもらったもので……」
「……すると、もしやアイツですか」
「ええ、恐らくアイツで合ってます」
(五所瓦が水野先生に熱心なのは分かっていたが、もう手を打ってくるとは、クラスではぼうぅーとしてるが以外にアクティブな奴だな)と田村は想った。
「ごほん、それからですね。ねぇ先生。アイツは他に何か言ってましたか」
「ええっ!ええ……恋の電流がどうのとか、恋愛絶縁体がどうとかこうとか、とにかく予想だにしない突飛なことを次から次へと口にするので、今となってはちょっと何を言ってたのか謎な気もして……」
(五所瓦のヤツめ、予想はしていたが、愛を謎に包んだ奇抜な告白をしたようだな)
「田村先生、この学校に来て早々なんですけど、私、生徒がこんなにも分からないものとは思わなくて……あの子はどうゆう子なんですか?」
「そうですなぁ、こちらとしてもまだ今年のクラス担任をスタートして日が浅いのではっきりしたことは言えませんが、とりあえずは変わった奴ですな」
ここでこれぞう登場。
「先生!お昼にしましょう!」
これぞうはみさきの机の前まで駆けて来た。
「先生!聞きましたよ、ひとり暮らしなんですってね。だったら丁度よい。忙しいひとり暮らしで摂るのを忘れがちな栄養が詰まったメニューがホラここに!それに食費も浮きますよ……えっ何?弁当を用意している?ならばそちらは15時のおやつか今晩の食事に当てればいじゃないですか。大丈夫、まだまだ涼しい4月ですよ。後に回しても腐りはしませんよ。今はこちらをどうぞ」
(こいつ休みなく喋るなぁ)とみさきも田村も同時に想っていた。
これぞうは家から持ってきた弁当箱をみさきの前で開けた。中には彼お手製の料理が詰まっていた。
「あなた、コレは何、どうしたの?」
「嫌だな先生、確かに先生は二つ向こうの街という僕とは異郷の地の出のお方みたいですけど、いくら何でも筑前煮は知ってるでしょ?」
(そういう意味じゃないし、どうして生まれが割れている?)とみさきは想った。
これぞうの用意したのは筑前煮であった。寂しいひとり暮らしの身には、家族で取り囲んで突いて楽しいこのメニューは心に染みるものがある。
目の前の生徒の異常な距離の詰め方に確かに引いてはいたが、それでもみさきにはこの筑前煮は眩しく見えた。そんな訳でみさきはとりあえず箸を手にとって味見することにした。
「どうですか、色々入ってるでしょ、人参でしょ、蒟蒻でしょ、インゲン豆に蓮根、大根と玉ねぎ、そして鶏肉ときている。まぁ、あるものなら何でも放り込んだんですよ。おばあちゃんはこれのことを『がめ煮』なんて呼ぶんですよ。なんか名前の響きからするとゲテモノ料理みたいに聞こえますよね」
こんな具合でこれぞうが流れる水のごとくチャラチャラ話す間に、筑前煮はみさきの喉を下って胃に流れていく、それから彼女の口から出た言葉が次の通りのものである。
「美味しい!」
これぞうは姉のあかりから借りた乙女ゲーから女子を落とす様々なテクを学んだ。その中で彼が一番正攻法として行けると考え、尚且自分で実践できると想ったのが、胃袋を掴んで落とすというテクがであった。みさきを攻略するとして、自分が出来る最善の手は愛情のこもった何かしらの食い物を食わすこと、彼はこれを信じて土日に料理の腕を磨いた。元々手先が器用だった上に舌も肥えていたため、彼の料理の腕はすぐに上達した。この成長は母と祖母の力を借りてのことである。ちなみに姉のあかりは料理はてんで駄目であった。
(ふふっ、ケツアゴ男を書くばかりで家事のことはこれっぽちもせず、そのくせ料理の味にはうるさいあのあかり姉さんがOKを出したんだ。美味しくて当たり前さ)
これぞうは何も手にしないその右腕に胃袋を掴んだ感触を得た。
「どうぞどうぞ先生。こちらに梅干しおにぎりもありますので。あっ、先生は酸っぱいの駄目ですか?でしたらすぐに梅だけを取り除いて僕が……えっ梅は好き?それは良かった」
(この子出来るわ。確かに美味しい。梅もよく漬かっていて、午前中に失ってしまった塩分が体内に戻ってくるのを感じるわ)
(ふふっ、当たり前じゃないですか先生。僕はこの土日、どうやってイケメン達を攻略しようかということと、先生が喜んでくれる料理を作ることしか考えていなかったんですからね)
このようにして二人は、図らずも心の声でやりあっていた。
「ごちそうさまでした」
(ああっ、普通に食べてしまった。普通に胃が幸せになってしまった)
みさきは大変満足していた。
そこでチャイムが鳴った。
「ああ、先生と僕の間を引き裂く無情な鐘の音が聞こえる。石川五右衛門がバテレンの鐘をどんな想いで聞いたのか、今ならちょっと分かる気がしますよ」
(何を言ってるんだコイツは)とみさきと田村は想った。
「では、先生また!きっと、また!」と言って5時間目の授業に間に合うよう、これぞうは教室に帰っていく。
「ホホゥ、最近は男の子も好きな先生にお弁当を渡すのですね。私も若い頃は女子生徒にたくさんもらって太らされましたなぁ」と言って狸に似た校長はこれぞうが出ていった後の職員室入り口を見ていた。