第六十五話 ダックスフンドって超可愛いよね
家がぶっ壊れた後の初出勤を終えたみさきは、帰りにくくともやはり五所瓦家に帰ってくる。五所瓦家の前には朝にはなかった大きな車が止まっていた。
「なに、この大きな車……」
それはリムジンであった。みさきはこのリムジン車を見れば胴長という点が共通することから可愛らしいダックスフンドを思い出すのであった。そんな可愛い犬の姿を想えば、疲れたみさきの顔にも少しの笑みが浮かぶ。みさきは玄関のドアを開けて、他人の家へと帰宅した。
「ただいま帰りました……」とみさきは挨拶をする。
奥からこれぞうが出てくる。
「嫌だなみさき先生~。もうここは嫁入り先と想って寛いでくれたら良いのですよ。そんな他人行儀な挨拶は抜きにしてほしいなぁ~」
これぞうはみさきを見れば基本ヘラヘラする。彼女を愛すからこそ安心して頬の筋肉が緩むのだ。
「嫁入り先ではありません!」
これぞうの方でも気を遣って言ったことだが、さすがに1日2日で我が家のように寛げというのは無理な話である。
「ふふっ、よく帰ったわねみさき」
よくも何も荷物を置いてるし、ここしか帰る場所はないと思いながらみさきが顔を上げると、居間から桂子が出てくるのが見えた。
「あなたを待っていたのよみさき。さぁ上がりなさい」
「というわけなのです先生。桂子ちゃんの物言いが偉そうな点についてですが、これはもう生まれついての病気だと諦めてもらって、とりあえず言う通りにしてあげてください」
「これぞう、あなたこそ人を病気扱いするなんて物言いがなってないんじゃなくて?」
「ああ、ごめんよ桂子ちゃん。機嫌を損ねないでくれよ」
これぞうは基本的に姉と桂子の機嫌を損ねることをしないようにしている。なにせここの血筋の女共は怒ると怖い。さっきのはちょっとした油断による失言であった。
居間に上がるとこれぞうの母とあかりがワイドショーを見ている。そして壁に貼り付いて龍王院家の使用人である甲本が座っていた。
みさきが部屋に入ってくると甲本がすっと立ち上がる。
「こんにちは先生。いつぞやは御婦人の家に窓から侵入するような無礼を働いてすみません。と言っても、あんな行動に出たのは全てそのお嬢さんのせいですけどね。おっと申し遅れました。僕は龍王院家の使用人をしている甲本と言うものです。以後お見知りおきを」と言って甲本は名刺を渡す。
「はぁ……」とのみ返してみさきはそれを受け取る。
そして桂子がみさきの手をパチンと叩いて名刺を床に落とす。
「ささ、みさき、そんなゴミは受け取らないでいいから座ってちょうだい」
人の名刺をゴミ扱いする桂子であった。
「はぁ……」と答えるとみさきは言われるがままに畳に座る。
「みさき、今日私がここに来たのは、可愛いこれぞうに会いにきたというのもあるけど、それよりも今優先するのはあなたのことよ」
「はぁ……」
「どうしたのみさき、はぁしか言わないじゃない?」
「はぁ……いや、何を言ったものかと思いまして」
「ああ~可哀想なみさき。ただでさえ体が疲れる仕事をし、それに加えて今は心労をも抱えている。無理もないわ、家を失ったのだから」
桂子はみさきの両手を握った。
「みさき、今日から私の家に来なさい。部屋ならざっと20くらい空いてるからどれでも好きに使うと良いわ」
「というわけです先生。お嬢さんがここに来た目的はそれです」と甲本が付け加える。
「え!またそれは突然……」
「そうよみさき。運命はいつだって突然路線切り替えを行うものよ。あなたは予告なしに家を失い、次は予告なしにこれぞうの家に招かれ、そして今日は予告なしに私の家に来るの」
桂子がこんなことを言うので、みさきの方でも言われてみればゲリラ豪雨のような人生になっていたなとか想っていた。
「あんたはいつだって言い方が大げさなのよ」とツッコミをいれてあかりは粟おこしをガリガリ食っている。
「先生もどうぞ」と言ってあかりはみさきにもそれを差し出す。
「あ、ありがとう」
みさきはそれを受け取ると口に運んだ。
「みさき先生との夢のように甘い生活は捨て難い、しかし……桂子ちゃんが一度こうだと言ったことに逆らうと僕としても立場がアレなので……」とこれぞうは桂子にややビビっている。
「ふふ、みさきを家に置いとけば可愛いこれぞうが遊びに来てくれるし、おまけにあかりも来るかもしれないじゃない。ふふ……」
「桂子、あんた考えていることが全部口に出ているわよ」と桂子にあかりがツッコミを入れる。
「みさき、私は何もこれぞうとの仲を邪魔するつもりはないのよ。でもこれは考えてみれば当然のこと。生徒と教師が同じ家で寝起きなんて世間がどんな目で見るか、今日だってこの家を出入りするのを誰かに見られたかも分からないじゃない。そうなるとみさきの立場が心配だわ」
「へへ、お嬢さんにしちゃまともなこと言ってら」とヘラヘラしながら甲本が言う。
「おだまり甲本。それにねみさき、聞く所によると、これぞうは何やら演劇の本を書く仕事があると言うじゃない。本を書く、それを行うには精神の集中がいるわ。あなたと同じ屋根の下にいれば、あのこれぞうが落ち着いていられるわけがないじゃない。これぞうのためにも今は二人は離れるべきだわ。私は二人のことを考えると最善だと思う手を打ったわけなの。家にくれば食費も宿泊費も取りはしないわ。次の住処が見つかるまでいつまでもいてくれていいし……何だったらあなた家に転職すれば良いと思うの」
「ええ、最後の申し出だけはアレですけど、他の点については確かにそうだと思います」
「じゃあさっさと準備して我が家に行こうじゃない。そして今夜は、ふふっ、私とディナーとお風呂を共にしようじゃない」
「あんた、結局それが目的じゃないの?先生、何かされたら柔道技使ってもいいし、警察呼んでもいいからね」とあかりが言った。
「失礼な。私がそんな変態じみたことを……」
「お嬢さん、顔が笑ってますよ」と甲本が桂子にツッコんだ。
みさきは二階に上がり、自分の荷物をまとめはじめた。その間も下ではあかりと桂子とで騒がしくしている。あのリムジンがまさか自分の迎えの車だとは思わなかった。
「先生」
部屋の入り口からこれぞうが声をかける。
「こんなドタバタした形で家を追い出すような形になって申し訳ない」
「いいえ、あなたも、家の方も十分よくしてくれたじゃない。いい家族ね、昨日は少し楽しかったわ」
「そうですか!でしたら是非嫁入り先にご検討ください。ほらまさにこの部屋、ずっと空いてますからね」
「君のその調子は相変わらずね」
「へへっ、僕も……先生が大変な目に会っているのに不謹慎だけど、昨日も今朝一緒に御飯を食べたのも楽しかったです」
「お弁当ありがとう。美味しかったわ」と言ってみさきは弁当箱を返した。中は綺麗に空っぽになっているが、数時間前までは今朝これぞうが作ったオムライスが詰められていた。
「うう、それは……どうも」
これぞうは大変照れている。
「なんだか、寂しいなぁ」
「何言ってるの?明日も学校で会えるでしょ」
「ああ、そうでしたね」
みさきの荷物の整理がついた。
「文化祭の演劇の台本、書くんだね」
「ええ、クラスでの決めごとなのに部外者の姉さんに決められまして……」
「当日が楽しみね」
「ははっ、僕ごときが台本を書いてもチェーホフやブレヒトには遠く及ばないものしか出来ませんがね。あくまでも学生の道楽程度に楽しんで下さい」
「ええ、そうね(誰だろう?)」
「では先生また」
これぞうは握手を求める。
「うん」
みさきはこれぞうの手を握った。
「また明日ね」
そう言うとみさきは階段を降りていく。
階段を降りていくみさきの後ろ姿を見ながらこれぞうは「うわ~手、握っちゃった。あ~スベスベだったな~」と感動していた。
そしてその日の夕方、みさきは龍王院家のリムジンに乗って五所瓦家を去っていった。
あかりと母しずえと共にそれを見送るこれぞうは「ははっ、あの車を見るとダックスフンドを思い出すよね~」と誰かさんとおなじことを言っていた。




