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第五十六話 崩れ行く安息地

 大雨の次の日、これぞうのクラスでの立ち位置がほんの少しだけ変わった。これは物語内における大きな変化といえよう。そしてその日に身の回りの変化があったのは何もこれぞうだけではなかった。同日、物語のもう一人の重要人物であり我らがヒロインである水野みさきの人生にも大きな変化が訪れるのであった。


「おつかれさまでした!」

 陸上部員それぞれがそれぞれに対して今日の練習を労う挨拶を交わしていた。

 時刻は16時半、部活動は終わり、生徒たちは帰る準備を行う。その日はみさきの仕事もそれで終わり。部活終わりの生徒達とほとんど同じ時間に家路に就くこととなった。

「先生さようなら~」

 みさきに向かって多くの生徒達がそう言う。

 みさきは男女問わずの生徒達から人気があった。生徒達にとって、みさきは教師の中で歳が一番近い存在であった。優しく美しいお姉さんといった感じで親近感が湧くことから話しかけやすい教師でもあった。

 みさきは今日も仕事疲れを感じ、同時に充実感も得ていた。社会人を始めて約半年、彼女の方でも仕事が忙しいだけではなく、働くことへの楽しみや喜びを感じるだけの余裕が出来たのである。学校には実に多くの生徒達が通ってくる。模範的な者から少々型破りな者、更にその枠からもまだはみ出たこれぞうのような変人までいるときている。そういう訳から、学校という場所で働くことはみさきにとって刺激的であり、退屈なことではなかった。

 いつものように疲れた体を起こし、みさきは歩いて例のボロアパートまで帰る。帰ったらすっかり腹ペコなのをなんとかしようか、それとも先に風呂か、いやいや昨日の晩録画した警察24時を見ようか、みさきは帰宅後の行動をどうするかを考えながら歩を進めていた。しかし、そんな考えの全てが無駄になる未来が彼女には用意されていた。


「はぁぁ……」

 半日ぶりに立ち戻った我が家を見上げてみさきはそんな力ない言葉を漏らした。元気な乙女のみさきがそんなことになったのも無理はない。

 彼女がアパートに帰ると、なんとアパートの屋根が傾いていて、二階の半分が屋根に潰されていた。そしてその潰された部分にはみさきの部屋も含まれていた。アパートの外には住人と、そうではないただの野次馬共が集まっていた。

「ぁぁ……」

 帰宅してからというもの、みさきの口から出てきたのは五十音ある内でまだ「は」と「あ」だけ。次の音が出ていこない。

「水野しゃん水野しゃん」

 歯がアレなことになっていて「さん」を「しゃん」と発音してくるこの婆さんはこのボロアパート「メゾン・オロチ」の大家である。

「水野しゃん、じゃん念じゃが、この家、もう住めんねぇ……」

 見れば分かる。頭脳冴えるみさきになら尚のことよく分かる。それでも大家の婆さんは残酷にして困った真実を改めてみさきに突きつけるのであった。「メゾン・オロチ」の「メゾン」とはフランス語で建物という意味らしい。しかし今となっては建物のていを保てていない。看板に偽りありな大きなゴミと成り下がったのであった。

「とりあえじゅ、持ち出せるものは持ち出して、どこかに避難しゅるんじゃな」

 大家にそう言われてみさきはやっと話し始める。「どうして……こんなことに?」

「昨日の雨な、あれを必至に耐えたんじゃ。そして昨日頑張りすぎて、今日には膝を折ったわけじゃ」

 幸いにも今回の事件の被害者はゼロ。住んでいる者は皆仕事などの用で外出中であった。我らがヒロインに限ってありえないことだが、それでも、もしもみさきがニートでヒッキーだったとしたら、恐らく死んでいるか、生きていても死に近づいた危険な状態に陥っていたはずである。考えるだけで寒気がするではないか。

「うう、わしがまだ生娘の頃からこれは建っていたんじゃ……うう、今日までよく立派に仕事を成し遂げた……」大家は半壊したボロアパートを見上げて目に涙を浮かべ、両手を摺り合せていた。それを見て、野次馬達もアパートに向かって両手を合わせ、何やら湿っぽい雰囲気が完成した。しかしこれだけ水分が減って四捨五入するとミイラと言えよう婆さんが、まだ生娘の頃からある建物とはどう考えても古い。婆さんが生娘を捨てたのがいつかは分からないが、90か100にも見える婆さんだったので、50で生娘を捨てたとしても40年か50年前計算となる。恐ろしい。

「あ、もうしゅめなくなったけど、それでも日にちで割って、今月分はいただくから」

 大家は仕事に大変堅実であり、儲けを負けることはしなかった。これが彼女の処世術。 

 みさきは脱力し、とりあえず今は腹ごしらえがしたいと想っていた。そして次には今日からの住処はどうしようと悩むことになるのであった。

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