第五十五話 徐々に晴れる霧
高校の二学期には面倒な行事が二つある、一つは先日終わった体育祭、次にやって来るのは文化祭であった。教育界が学徒に求めるもの、それは文武両道の実践である。運動だけしていれば学校を出られる訳がない。学徒たる者、真に身につけるは知識と知恵とその他もろもろ、つまりは文化だ。文化を学べ若者たち。
という訳で、11月3日の文化の日に合わせて、これぞう達の通う大蛇高校では文化祭が開かれる。もちろんこれぞうはこの手のイベントを面倒臭がる質の男であったが、文化祭が開かれるのは決定事項、文句を言ってもそれへの参加は絶対なのである。
今回は前もって姉のあかりから学校行事はサボるなと釘を刺されていた。実を知らずして行事を否定するべからず、何でもまずやってみよというのが彼女の一つ目の教えであった。そして次なる教えは、それに参加すること、またその中で活躍することで、みさきからの評価が上がるというものであった。これぞうは基本的には姉の言うことは良く聞く。それに加え、これぞうにもお得なことがあると分かると、彼の文化祭に対する態度は変わっていったのである。
これぞうとみさきが電話ボックスで雨宿りした次の日のことである。これぞう達のクラスでは、文化祭で何をするかを話しあっていた。
これぞうはとりあえず参加を決意したが、ここはなるため受け身で行こうと想い、あくまでもクラスの会議には口出しはしないでいた。
体育祭に引き続き、文化祭でも実行委員は久松と松野の二人であった。
クラスで出た案が次々と黒板に書かれていく。それらの中にはお化け屋敷やメイド喫茶など、いつかの時代には斬新とされ、今日日には既に使い古されたものが含まれていた。しかし文化に触れ、それを知るのが目的の行事だ。ならばこの際、古いや新しいなんてのに拘るのはナンセンス、何だって諸君のやりたいことをすればよい。これぞうは偉そうにそんなことを想い、黙ってことの成り行きを見ていた。生徒の、そしてクラスの一員でありながらも彼にはその実感がなく、一歩下がったクラス担任の視点でことを見つめていたのであった。
そしてこれぞうはいつしか退屈を覚え、いらないプリントを机に出すと、姉の影響を受けてのことか、彼までケツアゴ男の落書きを始めたのであった。
「お~い、お~い五所瓦」と遠くで彼を呼ぶ声がする。実際は同じ部屋にいて近くから発せられていたのだが、これぞうの意識は教室を離れて落書きしているプリントの中へと入っていたのだ。プリントの中から黒板前の久松の声を聴くのは、少し距離があって聞き取りにくかった。
「はっ!」
これぞうの意識が教室内に帰ってきた。
「なんだい君、藪から棒に」とこれぞうは久松に答えた。
「いや、お前な~。どにに藪があるよ。クラスの誰に声をかけても何もおかしいことはないだろう」と久松は最もなことを言った。
「ここ見てくれ」と久松が黒板を指すとそこには「演劇」と書かれていた。
「日本文化を継承しつつも、そこから一皮剥けたような刺激的且つ革新的なオリジナルストーリーでやりたいんだ」
「はぁ、そもそも出し物は演劇で決まりなのかい?」とこれぞうは尋ねた。無理もない、彼の体はずっと教室にあったが、その意識はというと、落書きの世界に入り込んでいたのだ。ことの成り行きを分かっている方が道理に反する。しかしそんなことは誰も知らないので、久松は「お前なぁ、聞いてなかったのかよ。演劇で決まったんだよ」とこれぞうに言った。
「はぁそうかい。演劇ねぇ、確かに古くはいったいいつだったか分からない時代から始まり、未だに大衆に深く根付いていることからまさに日本の文化とも言えるね。そのアイデア、いいね。文句はないよ」
「いやいや、文句とかじゃなくて、さっき決定したんだよ」
こんなアホっぽいやりとりが黒板前の久松と、校庭側の窓際列最後尾に座るこれぞうとの間で行われた。30人程いるクラスの中で、今は二人のみで会話のやり取りを行っている。クラスの皆からすると、これぞうがこうして学活の時間に普通に発言しているのも珍しかった。これぞうは極めてリラックスしていて、まるで久松以外、ここには誰もいないといった感じで喋っていた。そして声がデカい。
「で、君、なんだっけ?刺激的に興奮する何かしらをやるんだって?その場合にはTPOを考慮しなよ」
「そんなことはお前に言われなくても分かっているよ」
これぞうと久松の会話が間抜けだったので、話し合いの立会人であるクラス担任田村薫は思わず笑いを吹き出してしまった。担任がそうして笑ったものだから、普段はこれぞうを気味悪がったり、普通に怖いと想っていたクラスの他の者もクスクスと笑い始めた。
「ほら、君、笑われてるぜ」
「お前に向けられてのものだからな」
現在クラス内でこれぞうと普通に接することが出来るのは、担任を除けば久松と松野の二人のみであった。なので、今のところは誰も二人の会話に割って入ってこない。
「でさ、お前本を良く読むだろう。この演劇の内容を考えてくれないか?」と久松はこれぞうに言った。
「それは了承できないね。僕は確かに本を良く読む。しかしね君、例えば僕は音楽だって良く聞くが、演奏は全く出来ない。同じことで、本を読めても書けるって道理はない。加えて、僕は趣味に対してはどこまでも受け身でいたいんだ。これだけ読んでも、まだまだ他人が書いた本に読みたいものがあって時間が足りないんだ。そこで自分でも書くとなれば、僕の欲求とストレスとこの世への未練は膨らむばかりさ」とこれぞうがこれだけ喋ると場がシーンとなった。
「あれ、何これ?」
場が白けたのでこれぞうは不思議に想った。
そこで松野が喋りだす。「先生、今だけ携帯電話の使用許可を頂けませんか?」
松野の言葉を受けて担任の田村は「どうあっても授業中にそれは認められん。が、しかし、この場を明るくしてくれると期待できるから、私の権限で今回だけはOKとしよう」と言った。
松野はこれぞうの席まで歩いて来て携帯電話をこれぞうに渡した。
「え、僕に電話かい?誰だろう」
これぞうは松野の電話を耳に当てた。
「これぞう、久松くんの申し出を受けなさい。絶対よ」
「その声は忘れもしない!あかり姉さん!」
電話の相手はあかりであった。
「でしょうね、今朝聞いた声だものね」とあかりは返した。
五所瓦姉弟はまたバカなやり取りを交わしていた。
それから40秒程これぞうは姉と話し、それから電話を切って松野に返した。
「え~久松君、先程のお話、まだ生きているなら僕の方で引き受けよう」
「本当か五所瓦!」と久松は嬉しそうに言った。
「嘘は言わない。このソニックオロチの空と大地と僕の尊敬する祖父に誓って嘘は言わない」
まるで神父のように落ちついていて、加えて抑揚なくこれぞうがそういい切ると、クラスの雰囲気は一気に明るくなった。クラスの皆がこれぞうに対して持つ警戒がいくつか解けたのであった。




