第五十四話 温視線
雨に打たれる中、幸福を土産にしてこれぞうは帰宅した。その後これぞうはしっかり体を暖め、みさきの前でも宣言した通り、風邪なんて引くことはなかった。彼は生まれつき病原菌に嫌われているようで、これまで病気といった病気を経験したことがない。基本的にインドアな彼は、危険行為にも縁がないため、怪我だってしない。なので、産院を出てからというもの、これといって病院の世話になったこともない。しかし本人としては時としてその体質に不満があることもあった。それは健康すぎるゆえに学校で皆勤賞をとること。彼は義務教育時代から学校に退屈を感じていて、休めるなら病気も良いものだとおもっていたのだ。学友がインフルエンザで一週間学校を引っ込むようなことがあると、一週間休めるなんて羨ましいと心底想ったものである。一週間もあれば本が何冊読めるか、これぞうはそんな楽しい想像をしていたのであった。面倒な運動会や遠足だって健康だからサボることも出来ず、恵まれた体質でありながら本人はこれを「負け犬体質」と称していた。皮肉なものである。
風呂から上がったこれぞうは、風呂に入る前から始まっていたニヤニヤを未だに継続させていた。
弟のニヤニヤにはなにかある。敏感な乙女のあかりはすぐにそれを読み取った。
「これぞう、私の部屋に来なさい」
あかりは居間でサスペンスの再放送を見ながら煎餅をバリバリやっていたのだが、それを中断して、といっても煎餅をバリバリやることは移動しながらも継続させたが、とにかくこれぞうを連れて自分の部屋へと向かった。
あかりは部屋のベッドに腰掛け、これぞうにも隣に座れと手のみを使って指示した。もちろんその間にも口は忙しく煎餅を噛み砕く作業を行っていた。
「もぐもぐ……で、そのニヤケ顔の訳は?」とあかりは問う。
「ふふ、姉さんには何もかもお見通しだなぁ」
「あんたねぇ、もぐもぐ……そのニヤニヤが顔に出過ぎるの良くないわよ。気味悪く思われるわよ」
「えへへへ、これはうっかり。それより姉さん、僕にもそいつをおくれよ」
こうして姉弟はとりあえず煎餅を味わう。
「うまいなぁ。こんなにおいしいものをいつまでも噛み砕くことができるように歯を丈夫に保たないとね」
「そうね、歯はとっても大事。でも私には弟のニヤニヤの原因も大事よ。話してくれるわね」
「実はね!姉さん!」
これぞうは今日あったことが嬉しいものだから急に会話ボリュームが大きくなった。
「ちょっと、少し静かに話しなさい」
「おっと、またまた失敗。ごめんね姉さん。それでね、今日何があったかと言うと、こいつがかくかくしかじかな訳なんだよ」
これぞうはかくかくしかじかな話を丸っとお届けした。
「これぞう~」と言うと、次はあかりもニヤニヤしていた。
「あんたすごい。それはラッキーね。お姉ちゃんだって、みさき先生と狭い空間に閉じこめられることを想像すると思わず頬が熱くなっちゃうわ」
「姉さんったら、いやらしいなぁ~」
「で、どうなの。もう、あれ、ほら、おっぱいとか、揉んだの?」
あかりは淑女にあるまじき品のないことを言い放った。
「姉さんったら~そんなこと出来るわけないだろう。生徒の僕が先生に手を上げたら全部終わりだよ。しかし姉さんがそんな質問をするのも分からなくはない。正直言うとね、僕はあんな状態で痴漢的行為に走らなかった自分の理性を胴上げしてやりたい気分さ」
「そうね、今回のことは、ことによるとこれぞうを堕落させる危険な罠だったとも考えられるわね」
「ああ、みさき先生っていう存在は、思春期の少年からすると、上から下までをどこに目をやっても刺激的だからね。ことによると危険人物とも言えるんだな。まぁそこが好きなんだけどね」
これぞうはみさきの姿を思い描いて何やら興奮しているようだ。
「しかし……先生超可愛いし、超良い匂いしてたな~」
あかりは、趣味以外でこんなに夢中になって楽しそうな顔を見せる弟を見るのが嬉しかった。
「みさき先生には感謝ね。これぞうが学校と人生をこんなにエンジョイ出来てるのは彼女のおかげね」
「あ、姉さんもう煎餅終わりかい?おかわりを所望する」
「台所にあるから、お母さんにバレないように取ってくるといいわ」
これぞうは煎餅を求めて退室した。
あかりにとって、これぞうはいつまでもバカな弟であったが、それゆえ可愛いのであった。




