第五十三話 雨降ってアレ固まる
10月のある日のことである。別に台風というわけではないが、かなり強めの雨がソニックマムシシティを襲った。
その日これぞうは朝から図書館に出かけていた。家を出る段階では、雨は降るかもしれないし降らないかもしれないというどこまでも曖昧な見通しかこれぞうには出来なかった。ちなみに天気予報では昼から90%であったのだが、何せこれぞうはテレビや新聞をあまり見ない。なので自分の判断で傘を持たずに出かけたのだ。そして図書館の帰り、これぞうがフラフラと道を歩いていたら雨は急に降り出したのであった。
「南無三、長居し過ぎた!これでは本が、市民の財産であるありがたい図書館の本が濡れてしまう。濡れて得するのは良い女だけと来ている。本を守らねば!」とかほざきながらこれぞうは服の裾をめくり、その中に本を隠すと全速力で道を駆けた。
雨は段々と強くなり、前も見えないくらいに一気に降り注ぐ。そんな折、前方に電話ボックスが見えた。
「やや!携帯電話の普及で少しずつ減っているという公衆電話ボックスだ!ありがたき文明の遺産の助けを得ようじゃないか」
これぞうは本を守るために前かがみで電話ボックス目掛けて駆け出した。
「ふぅ、いやいや壁と天井があるってありがたいな~。本は何とか無事みたいだな~」
本の無事を確認してこれぞうが顔を上げると目の前にはなんとみさきがいた。
「うわあぁあ!先生!」
「うるさい!静かにしなさい」
この狭い場所でこれぞうがうるさいのでさすがのみさきも強目に注意した。
「いやはや、先客がいたとは……」と言いながらこれぞうはみさきを見た。目の前にいるみさきはいつもとはまた違った感じに見えた。それは、みさきもこれぞうと同じくグッショリ濡れていたためであった。みさきの髪は全体的に濡れていた。濡れたために頬に貼り付いた髪の毛、いつもと違って前髪を横に流している姿、そして首筋を流れる水滴、それらを見ただけでこれぞうはゴクリと唾を飲んだ。水を被った、たったそれだけのことでいつも以上にみさきが色っぽく見えたからだ。あとこれはいつものことだが、みさきからする良い匂いでもこれぞうはドキドキしていた。
「濡れて特する良い女ねぇ。いたよ……」
「へ?何か言った?」
「いやいや、何かは言いましたが、何でもない。改めてお届けするような内容ではありません」
「そう?変なの」
可愛い、間違いなく目の前の女性は可愛い。これぞうは更にドキドキしていた。
「あ、すいません。雨が激しくて視界が悪く、中に人がいるのにも気づきませんでしたよ。僕はこれで失礼しますよ」
「あ、待って」
みさきはこれぞうのTシャツの右横腹やや上部分を親指と人差し指で掴んで引き止めた。これにはこれぞう、ドキリとせずにはいられない。
(どこ掴んでるんだ!可愛すぎる!)とこれぞうは想った。
「そんなに濡れて、傘持ってないんでしょ?」
「はぁ、僕としたことがあるまじき油断、傘を持たずに図書館帰りのところを雨にやられたんですな」
「本は大丈夫?」
「大丈夫ですとも、僕が読んだ後もこの本は何十年とあそこに残り、何百人という人に読まれるのです。大事にせねば。服の中に隠しておいたので何とか無事です」
「五所瓦君は本当に本が好きなのね」
「もちろんであります」
これぞうは二人きりで狭い空間にいることに緊張して口調がややおかしくなっていた。
「あ、もしかして先生も雨宿りでここへ?」
「実はね……」
「みさき先生ともあろう方が傘を忘れるとは~。猿が木から落ちるようなものですなぁ」
「でも、ハンカチならあるから」
そう言うとみさきはポケットからハンカチを取り出し、これぞうの頬を拭いてくれる。
「はぅ!先生何を」
「びしょ濡れのままで生徒を追い出すわけにはいきませんから」
「ああ、あくまでも先生の方がここの所有権に関しては優位な立場にあるのですね」
「だって私の方が先に来ていたからね」
みさきはやさしいタッチでこれぞうの顔を拭いてくれる。自然とこんな行動に出たが、こうしてこれぞうの顔が近いと今更ながらみさきも恥ずかしくなってきた。
「……先生、ちょっと、近すぎて……マジでドキドキするんですけど、僕、もう耐えらんない」
遠くから見ていること。そうした楽しみに慣れていたこれぞうが、意中の相手をこれだけ近い距離で見るとなると感動と興奮も一入。しかしこういった感動と興奮は慣れていないヤツには受けとめるのがきつい。これぞうは素直に降参したのである。
これぞうが正直にこんな恥ずかしいことを言うものだから、みさきの方も益々恥ずかしくなった。みさきは頬を赤らめて「ほら、後は自分で拭きなさい」と言った。
「あ、ありがとうございます」
これぞうはみさきからハンカチを受け取り、首の後ろや肩まで拭く。
「ああ、これは洗って返しますから」
「いいわよ別に」
「ええ!じゃあコレくれるんですか!」
「いやそうじゃない。今返してくれればいいってこと」
「な~んだ」
言いながらこれぞうは体を拭く。
「……もう落ちついたんで、また拭いてくれますか?」
「バカなこと言わないの」
これぞうはせっかくみさきに顔を拭いてもらっていたのに自分からそれにストップをかけたのを後悔していた。
「いや~雨降って地固まるだな~……ちょっと違うかぁ」とこれぞうは独り言を言う。
「五所瓦君、背中透けるくらい濡れてるわね。大丈夫?風邪引かない?」
この時みさきは、シャツの上から透けるこれぞうの背中が意外にも大きく逞しいものだと想った。これぞうは割と細身な方だが、それでも高校生にもなればそれなりに成長するようで、みさきと出会った半年前よりは大きく見えたのであった。
「引かない引かない。僕ほど風邪菌にとって働き甲斐のないボディはありませんから。奴らだってもっと仕事しやすい人のところに行きますよ。あれ?と言うみさき先生の方が顔が赤いような……」
「いいえ、大丈夫よ」
この時これぞうは、シャツが濡れて肌が透けるといえば、みさきはどうなのかと想い、みさきの体、部位を絞ると胸を見た。しかし残念、みさきはシャツの上にウインドブレイカーを着ていた。シャツの上からブラが透けて見えるというラッキーは訪れなかった。
二人が電話ボックスの中で話す内に雨は徐々に弱まり、そして遂には止んだのであった。
「やや、これはついてる。一旦止みましたね」
これぞうは電話ボックスの扉を開けて空を眺めた。
「また降らない内に退散ね」
二人は電話ボックスを出た。
「いやいや、先生、思わぬ所でまでお世話になりました」
「いえいえ」
「では先生また明日……あっ、せっっかくなのでそこの喫茶店でも寄ります?」
「寄りません。早く帰って体を暖めなさいね」
「はい、先生もお気をつけて」
これぞうは急な雨のおかげで、一万人に聞いてもまず経験がないような類のラッキーに巡り会えた。
「雨なんて嫌いだが、今回ばかりはラッキーだったな。お天道様の気まぐれに感謝だ。それにしても先生、超良い匂いしてたな~」
これぞうはヘラヘラしながらルンルン気分で帰路に就いたのであった。




