第四十九話 呼び分けやすい名前を是非ご用意ください
10月も後半に入り、そろそろ衣替えをしても良い時期となった。しかし、まだ薄着でもイケる。そう想ったこれぞうは冬服をしまった箪笥に近づきはしたものの、開けることなくクルリと回ってその場を離れた。
「僕は代謝が良いし、暑がりでもあるから11月に入ってもまだ半袖でいけるんだよね」
日々己を見つめることに時間を使っている彼が言うのだからそういうことである。
今日は学校は休み。差し迫ってすることもない。カーテンの向こうには青々とした秋の空が広がり、その中を白い雲が気持ち良さそうに泳いでいる。こんな気持ち良い天気の日には特に用もなくお出かけしたくなる。これぞうの足は自然と玄関の外へと向かっていた。秋の太陽光線は、夏のそれとはまるで違っている。分からない人は来年の夏と秋とで比べると良い。ボサっと生きていては一年の間に移りゆく太陽のご機嫌ってのもどんなだか分からない。分かった方がお得である。
「いや~気持ち良い天気だ」
以前までのこれぞうなら天気が良いからといって用もなしに街をブラつくことなんて決してありえなかった。学校がなければ趣味の読書で一日を忙しく過ごしていたからだ。そんな時には図書館の返却日に追われ、趣味をやっていてもどこか落ち着かない感じもあった。
しかし高校に入ってからの彼は実に落ちついたものである。時間の流れにまかせてゆっくりと過ごす、彼はそんな無のようであって、その実有意義な過ごし方をするようになった。それもこれもこの春彼を襲った衝撃的な出会いがそうさせたのだろう。人が心にゆとりを持つには、やはりその人生がそれなりに安定し、そして充実していないといけない。今のこれぞうはそれを手にしている。
全てのきっかけとなった存在は水野みさき。これぞうは、具体的に思考して経路を決めることなく無意識に歩を進めた。そして辿り着いたのはみさきの暮らすアパート「メゾン・オロチ」であった。
「こんな天気の良い日にはみさき先生の顔をみたいじゃないか。何せあの人は僕にとっては太陽みたいな存在なのだから」
詩人的比喩を行い、これぞうはボロアパートの階段を登って行く。
「みさき先生~あ~そぼ!」
これぞうは、聞いた相手が思わず出てきたくなるような誘い文句を言った。
扉の奥からは、人が玄関に向かってくる足音がする。
「しめた、先生はご在宅のようだぞ」
そして扉が開く。
「はい、なんでしょう」
「うえ?」
これぞうが間抜けにも「うえ?」なんて言ったのにはしっかり理由がある。扉を開く人物はこれぞうにとってのマドンナ、その声も可愛らしく女性らしいものを期待していた。しかし彼が聞いた声はどう考えても男の声であった。
「おっ、男!」
「ええ、僕は見ての通り男だけど」
みさきの家にいた男は自分が男だと証言する。
これに対しては平成のクールガイと言われたこれぞうだって冷静ではいられない。どうしてみさき先生の家に男が、何だこいつは、泥棒?何かの修理業者?これぞうはそんなことを想っていた。
「ど、泥棒なのか?」
「いや、僕は泥棒からしたら営業妨害をやっている者で、セキュリティ関係の仕事をしてるのさ」
「何だ、セキュリティの人かぁ」とこれぞうは一旦安心した。しかし次の疑問がある。目の前の男はどう見ても私服を着ている。仕事で来た業者ではない。
「むむ!貴様、やはり堅気の者ではないな!」
「えっ、そりゃ上場企業に身を置いているとかではないけど……それなりに歴史と評判がある会社だよ……」
相手の男とこれぞう、二人の会話は噛み合っていない。
「……みさき先生をどうした」
「ああ、さーちゃんならちょっと買い物に出てるよ」
「さーちゃんだと!」
「ああ、みさきだから、さーちゃんって呼んでいるんだよ」
「なるほど、愛称か。それは良いな。僕達もよりお近づきになれるようにそういった愛称で呼び合うのがいいかもなぁ……」
これぞうの思考は、まるで蜘蛛の巣を張り巡らせたようにして次から次へと別のものに移って行く。そんな面白おかしい脳内構造をしているものだから、最初の話に決着がつかない間にこうして次の話へとチャンネルが切り替えられて行くのである。
「むむ、みさきならみーちゃんの方が良いのでは?」
これぞうが次に行き着いだ話題がこれである。
「うん、元々はみーちゃんって呼んでたんだよ。でもしばらくして妹のみすずちゃんが生まれただろ。すると、どっちもみーちゃんになるじゃないか。だから二文字目を取ってさーちゃんとすーちゃんで姉妹を呼び分けているんだよ」と相手の男は懇切丁寧に説明する。
「な~る」彼がたまに言うこれはなるほどの省略形である。そんな訳でみさきとみすずの水野姉妹は、名前の一文字目が被っているのを避け、二文字目を用いての愛称がついたということが分かった。
「僕もさーちゃんと呼んでみたいものだな~」
これぞうはさーちゃんが気に入ったようである。




