第四十二話 エサがないと走れないようなヤツはまだまだ……それでも走らないよりはきっと良いから私はエサを撒く
「あ、そうそう。実行委員の人は生徒会室に集まってと言ってたわよ」とあかりが言うと、実行委員である久松と松野の二人は校庭を離れて生徒会室へ向かった。そして場に残ったのはこれぞう、みさき、あかりの三人のみである。
「これぞう、立ちなさい」
まだパイプ椅子に座ってまったりやっていたこれぞうに対して姉のあかりはそう言った。弟のこれぞうは素直に立ち上がる。
「私は耳が良いし、まぁ耳を封じてさっきの光景を見ていただけでも、あんたがグチグチ言ってるのはわかったわよ」
「姉さんには何もかもお見通しってわけだね」
「そうよ。これぞう、あんたはまたそんな屁理屈をこねて、勝負の世界に身を投じようとはしないのね」
「だって姉さん、こんな運動会の勝ち負けに一体何の価値があるというのさ。僕がかけっこで何番になうろと、それで何か景品がもらえるわけでもないだろうに」
「ふふ、だからあんたはまだまだなのよ。エサや褒美がなければ戦えない、甘いわ!」
「いやいや、エサも褒美も無しに戦いと見ればとにかく暴れたいってのも問題じゃないかい」
「これぞう、バカねあんたは。あんたが学校でやってることは体力勝負だけじゃないわ。今あんたが人生で一番心血を注いでやってることはズバリ恋でしょ。だったらこんな運動会でも恋の成就の踏み台にするべきでしょうが。いい?恋ってのはスタートとゴールがあるだけで、あとはマラソンみたいに決まったコースがあるんじゃないの、その区間はそれぞれの勝手に走ればいいのよ」
「なるほど、そこで恋のレースに勝つためにこの運動会をショートカットなり、新たなコース開発なりに使うべきだと」
「あんたは物を知らないバカだけど、教えたらさっと頭に入るわね。そこは良いところよ」
「てへへ、姉さんそう褒めてくれるなよ。僕は確かに叱られると萎むけどさ、かと言って簡単に褒めすぎると調子に乗っちゃうタイプなんだから」
姉弟の通常運転で行われる奇妙な会話を黙って聞いていたみさきは、人前で急に始まったこの姉弟会議は一体何なんだと不思議に想っていた。
「そこでよ!あんたがサクッと勝って、ビシリと良い所を見せればみさき先生がデートしれくるってさ」
みさきを指差してあかりがそんなことを言い放った。
「え!何!今の流れでそうなるの!」
急に話の中に引っ張られたみさきはそう言ってただ困るのみ。あかりの言い分は脈絡があるような気もするが、強引にそこに繋げたとすればそれもそうだと言えるものであった。
「あかりさん何を急に言い出すの。五所瓦君、あなたも本気にしては……」
みさきがこれぞうに向いてそこまで言い終えた時、みさきはこれぞうがもう話を聞いていないと気づいた。
これぞうの背中の向こうには、何か黒々しいオーラのような見えた。ような気がした。
「ぶっ潰す、全てを……」
温厚なこれぞうの口から出てくる言葉とは思えないそんなワードが、他でもないこれぞうの口から出てきていた。
今の彼は「みさき先生」「デート」の二文字で脳内チャンネルが戦闘モードに切り替わった状態にあった。これぞうの頭の中にはもうそれしかなかい。
「決戦は明後日の金曜日だ!」とそれだけ言い放つとこれぞうはダッシュで校門の向こう側へ消えていった。そんな今日は水曜日であった。
みさきはあんなにメラメラと燃えるような目をしたこれぞうを初めて見た。
「成功ねみさき先生。学校行事に不真面目な生徒をやる気にしちゃったわ」
「え、ちょっとどういうこと?」
「ふふっ、先生ったら分かってるでしょ。エサが無いと走れないような駄馬には、悲しいけどやっぱりエサをちらつかせて走らせるしかないんです。で、これぞうには先生とデートというエサというか褒美を撒いたわけです」
「あかりさん、その馬を走らせるために効果的な方法の説明は分かったけど、そこで巻かれるエサの都合は考えないのね」
「てへ、うっかりだったわ。ごめんなさい先生、あの子のためと想って、ここは一つ」
みさきは、具体的に言ってここは何を一つなんだと想ったが、それは想うだけで口には出さなかった。
「さぁあの子は何の勝負でもって先生を勝ち取るのか知らないけど、ここまで用意してあげれば後はあの子の人生のプラスに働くはず、私はそう信じています」
清々しい表情でこれぞうが走り去った方を見ながらあかりは言った。
「それは私の人生には、プラスとマイナスどっちに働くのだろうか……」とみさきは言った。




