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第三話 この気持ちに歯止めをかける必要はない

 こうと決まれば行動が早いのが僕の長所だ。

 僕は昨日姉さんに相談した後、一旦布団に入ったが、なかなか寝付けなかった。快眠快便が売りの僕があんなに眠れないことなど珍しい。そこで僕は起きて、あの人への溢れんばかりの想いを一枚の手紙にしたためたのだ。人生で初めて書いたが、これが恋文ってやつだ。ラブレターとも言うね。


 そんな訳で恋文を仕上げた僕は、入学2日目は誰よりも早く登校し、この恋文をあの人の下駄箱に入れることにしたのだ。

 姉さん言われてこの想いが「恋」と分かった以上、その想いを相手に伝えない手はない。僕とあの人の間には「ロミオとジュリエット」のような恋をするには障害となるややこしい問題などはないのだから、さっさと想いを伝えてしまって構わないだろう。


 そして今僕は爽やかな4月の朝の空気に包まれる中、教員用の下駄箱の前に立っている。そして困っている。

 下駄箱にはご丁寧に教員の名前が書かれている。目当ての人の名前が書かれた場所に入れたらそれで終わりなのだが、僕としたことが大失敗、あの人の名前を知らない。

 

「なんてこったぁ!」

 

 思わず口をついて出たその言葉は誰もいない校庭に響いた。

 圧倒的リサーチ不足、これがいけなかった。恋なんて果てしない道を進むなら事前に道筋のチェックを行うべきだった。何せ恋だの愛だに関して僕は初心者過ぎる。失敗はそりゃあるだろうさ。しかし、好きな人の名前も知らないでいたのは迂闊すぎた。反省だ。


 でもこちらはもう初手を打ちにかかっているのだ。途中辞めなんてのは僕の性分としてありえない。


 よし、考えよう。名前から目当てのあの人を推測すれば良い。シャーロキアンの僕はその辺のこととなると頭が冴えるからな。腕の見せ所だぜ。


 まず名前を見て男か女かは判別できる。男の下駄箱は飛ばして行けば良い。そう言えば昨日、入学式を行っている体育館の中を外から覗いたけど、教員はおっさんばかりだったな。これはかなり絞れるぞ。

 

 そして残った名前が3つ。

 田村薫。大和田房子。小野田トシ子。

 

 あの人はどう見ても若く美しい。20代なのは間違いない。その線から考えると、あくまで僕個人が信じる一般的ネーミングセンスとして、今の20代の女性に房子とトシ子と付けられるのはちょっと古い気がする。

 そこへ来て残ったこのかおるという名前。この名前には清楚で可憐で、学校教員をやるような人に相応しい理知的な感じが漂っているじゃないか。

 よし、薫だ。


 そうして僕は田村薫の下駄箱にありたっけの愛をしたためた手紙を投函したのである。


 そしてその日の昼休み。


 恋文には、昼休みになったら人気のない校舎裏に来てくれと書いた。きっと来るであろう田村薫を僕は待っていた。

 あの人が綺麗な髪をなびかせて歩いて来るのを想像すると、僕の胸が早鐘を打つのだった。


 そしてそんな僕の前に現れたのはあの人ではなく、まるで熊の毛を抜いたのがコレだ、と例えても良いような脱毛熊男であった。

 

「ややっ、御仁ごじん、どうしてまたこんな所に迷い込まれた?」

「いや、ワシ、ここの教師」


 熊みたいな男はなんとここの教師だと言うのだ。あれ?じゃあ田村薫さんは?


「今朝こんな手紙をもらってな」と言って熊男は僕の恋文を出した。

「あっ!それは僕の!どうして!」

「どうしてって、ワシが田村薫で、これがワシの下駄箱に入っていた」

「何だって!」


 しまった。今になって想った。かおるとは女性の名前のようで、実は男にも使われる名前だ。そういえばどこかの八百屋の息子も同じ名前だった。またまたこれぞう失敗。

 

「いやっ、これは……」僕は驚いてこんな感じで言葉を詰まらせた。


「分かってる。これは間違えて入れたんだろう」

 この先生は察しが良い。


「そっそうなんですよ。それはあの、ほら、緑のジャージのあの人に……」

「ああ、水野先生か。うちの学校に来て早々に惚れられるとはなぁ~」


 水野!そんな名前は下駄箱になかった。

 

「はっは。水野先生はここに赴任したばかりで、まだ下駄箱に名前がないんだよ」

 

 そうだったのか。


「しかしお前な、この手紙なんだけど、若いもんにしては良く書けてると思うぞ。でもなぁ……こことか見てみ」

 僕は田村先生が示した所を見た。


「今の時代に一人称がそれがしとか、二人称が貴殿きでんとかさぁ~。それからここも『貴殿を恋い慕っている所存でございます』とかもさぁ……」

 田村先生は気になる箇所を次々と上げて行く。


「文体が古いんだよ。それにちょっと言葉使いもおかしい。こんな固い恋文だと、女性にはちょっとウケが良くないかもだぞ」

「ははぁ、そうですか。どうも古い本や時代劇を楽しむことが多いもので、その影響がでたようです」

「もっと文体を軽くしような。読む方が落ちついて読めないだろ」

「ははぁ、聞けば御尤もな意見ですね」


 そんな感じで僕は田村先生に手紙の添削とアドバイスを受けた。彼は国語の先生だという。


「それからな。これはワシが個人的に思うことだけど、こういうことは直接口で言ってもらった方が良いんじゃないか」

「ははぁ……直に言葉で、ですかぁ……」

 

 う~ん、それは緊張しそうだな。


「よし考えてみます。先生、まずは勘違いしてこんなものを渡してすみませんでした。それから色々なアドバイスをありがとうございました」

 

 もう昼休みも終わりに迫ったので、僕と田村先生はそこで別れた。


 そして5時間目の学活の時間に僕らは教室でまた再会した。

 

 僕は昨日、あの人のことで頭が一杯で周りに目がいかなった。田村先生は生徒数が多くて一度には顔と名前が覚えられないでいた。そのためお互い知らないでいたが、僕のクラス担任は田村先生だったのだ。


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