第二十九話 ソニックオロチシティのウォーターガンスナイパーと柔道ガール
「どうしでしたか水野先生?」
「あっ田村先生、こちらには異常はありません」
みさきは、夏祭り関係者の詰め所に帰って来ていた。
「おやおや、先生何か良いことでもありましたか?」
「えっ、どうして?」
これぞうの担任教師である田村薫は初老も過ぎた男性である。そんな彼の人生経験で培った、人の感情の変化を察知する能力によって、みさきにはパトロール前と後とでなにやら感情に変化があるように思えた。田村は、みさきが詰め所を出る前には持っていなかった水筒を持って帰ったこと気づいた。田村はみさきの顔のみならず、全体として見て、何かウキウキしているように思えた。そしてそこに先程は手にしていなかった水筒とくれば、勘の良い彼はそれだけでだいたいの事が読めた。
「いえいえ、何となしにそう想っただけです」
田村はそれ以上のことは何も聞かなかった。
「やれやれ、今年の夏祭りは無事に終わりそうですね。去年はお祭り開始早々に、ラムネ早飲み競争でほぼ同時に飲み終えた二人の選手が、互いに自分こそが勝者だと言い張り、挙げ句の果てにはステージで取っ組み合いの喧嘩を始めたんですよ。それがどっちもウチの生徒でしてね。二人はこの春に仲良く卒業してしまいましたが、あの時には肝が冷えましたよ。まぁそんな訳で今年からラムネ早飲み競争がなくなったんですよ」
「へっへぇ……そんなことがあったんですね。去年はいなくてよかったです」
「ええ、問題児でしたが、見ていて楽しい二人でもありましたけどね」
そう言う田村の顔は微笑んでした。
「そろそろパトロールもいいでしょう。水野先生も何か食べて帰るといい」
そう言うと田村は焼きそばとたこ焼きの無料引換券をみさきに渡した。パトロールをする教師にもせめてもの報酬としてこういった物が配られていた。
「ワシはちょっと胃を悪くしているので、そういったものは遠慮したい。水野先生が私の分も貰ってくるといい」
「あ、ありがとうございます」
みさきはすごく腹が減っていたし、田村の分は持って帰れば明日の朝飯に出来ると考えていた。
みさきが無料引換券を持って屋台に移動し始めた時、人混みの中から女性の大きな叫び声が聞こえた。
「泥棒!誰か捕まえてよ~!」
田村は大きな声を聞いて椅子から立ち上がった。すると、人混みを抜けて詰め所の前を痩せ型の男が全速力で過ぎて行くのが見えた。田代は今通り過ぎたのが泥棒だと当たりをつけた。田代は、先程町内会長が挨拶に来た時に詰め所の長机に置いていった水ヨーヨーを握った。そしてそれを既に10メートルに迫ろうかという距離まで離れた泥棒の背中目掛けて投げた。田村の手を離れたヨーヨーは、いつぞやこれぞうの額に色をつけたチョーク投げの時同様に真っ直ぐな軌道を描いた。そして見事泥棒の背中に当たって弾けた。泥棒男の着ていたネズミ色のシャツが水に濡れ、その部分は黒く染まった。
「田村先生!どうしましたか」詰め所から数メートル離れていたみさきは女性の大声を聞いて戻って来た。
「水野先生!早く走って!背中が濡れているネズミ色のシャツを着た男が泥棒男です!」田村は泥棒が走っていった方向を指差してみさきに指示を出した。現役ならいざ知らず、既に初老を過ぎた歳になった田村には泥棒を走って追いかける力はない。彼の仕事はカラーボール代わりに犯人に印をつける段階で終了であった。
「分かりました!」
みさきは犯人の姿を見ていなかったが、田村の示した方向へと走った。スポーツ万能のみさきは当然足が速い。田村はみさきの方が先程の泥棒よりも二倍は速いと想った。犯人に次いで、みさきの背中ももう見えなくなった。
「はぁ、頼みましたよ。水野先生……」
田村はさっきのヨーヨー投げで久しぶりに肩の力をマックスで使った。そのために疲れてしまい、ため息を吐きながら椅子に座った。
大きな声がしたので、野次馬共が詰め所の周りに集まって来ていた。田村の見事な投球を見た野次馬共は口々に「すげ~」や「やばい!」などの声を上げ、最後には田村に向かって拍手を送った。泥棒は捕まっていないが、田村の咄嗟の判断からの行動に野次馬共は感動を覚えたようであった。
そしてその時、これぞうは、松野と一緒に腰掛けてたこ焼きを食い、次にみさきと腰掛けて差し入れを渡した例のベンチの近くにまだいた。ベンチ近くには池があったので、これぞうはそこから水を汲み、輪投げ屋でゲットした大きな水鉄砲に水を入れて試し撃ちをしていた。そんなことをしている内に、祭りに来たちびっ子が面白がって集まってきた。ちびっ子たちはちびっ子達で、屋台に売っていた小さな水鉄砲を持ち、池の水をすくっては池に向かって試し撃ちをしていた。学校では変人扱いされてクラスメイトから敬遠されがちなこれぞうだが、子供には好かれるようで、いつしかチビっ子達と一緒になって水鉄砲の打ち合いをして遊ぶようになっていた。
これぞうはヘラヘラしながら「ハッハ~僕のが一番強いぞ~」と言っては水鉄砲を空に向けて撃っていた。その水はチビっ子達の頭の上に落ちてくる。落ちてくる水に当たっても、また避けてもチビっ子達は笑っていた。
「五所瓦君!」
「やや!この愛しき声は忘れもしない、みさき先生の声だ!」
愛しき声が自分を呼ぶ、それに反応してこれぞうはその声のする方を見た。しかし、彼の目に真っ先に飛び込んで来たのはみさき先生ではなく、いかにも不健康そうな華奢男が自分に向かって走ってくる姿であった。
「なんだあの冴えない男は?」
これぞうは想ったままのことを口に出した。そしてその後で、その男を追ってみさきが猛スピードで走ってくるのが見えた。
「あっ、みさき先生!陸上競技のことはよくわからないけど、とにかくあれは綺麗なフォームで走っているな~、それは分かるよ」と呑気にみさきのランニングフォームを評論し始めた。
「その人泥棒よ!止めて!」
みさきが叫ぶのを聞いて、理解の早いこれぞうはさっそく次のアクションに移る。
これぞうは輪投げ屋の景品の水鉄砲を泥棒男に向けて構えた。
「水だけど、ファイア!」
心地よい矛盾を含んだ掛け声と共に、水圧高めの水が真っ直ぐな線を描いて飛ぶ。それはそのまま泥棒の股間にヒットした。
「うぅ!!」と呻いて、泥棒はその場で立ち止まった。しかも反射的に内股になってのことである。
「ふふ、泥棒よ、そんなに股間が濡れた状態で街へ出れば、不審がられて人目は裂けられない。そして足が着くだろう。観念するがよい」
そう言いながらこれぞうは、一歩ずつ泥棒に近づいていく。その間にも二発目、三発目を撃ち込み、狙いは外さない。前にも説明したが、彼は何かに狙いを付けて当てるということが得意である。
「うごぉお!」
思いの他威力の強い水に撃たれて、泥棒男は悶絶している。
「追いついたわよ!泥棒!」
みさきに追いつかれた泥棒はくるりと回れ右して、これぞうに背を向け、みさきに向いた。相手が女なら容易に倒して逃げられると想ったのだろう。男は両手を高く上げてみさきに襲いかかった。
「クソ~!!」と言うと男はみさきの肩を掴みにかかった。しかし男の手がみさきの肩に届くことはなかった。みさきが男に体を掴ませず、逆に男の腕を掴んだまではこれぞうにも見えた。その後のことは一瞬だったのでよく見えなかった。
これぞうが一回瞬きをした間にことは済んだらしく、泥棒は仰向けになって地面に転がり、その男の手をみさきが掴んでいた。少し遅れてこれぞうは事態を飲み込んだ。みさきが電光石火の一本背負投で泥棒を地に沈めたのであった。彼女はスポーツなら何でも出来たが、一番自信があったのが柔道であった。




