第二十七話 穿いていないようで穿いていたという真実に対する安心したようながっかりしたような何とも言えないこの気持ちを君は何と呼ぶのだろ
夏祭りの会場がすぐそこまで近づいた。懐かしい喧騒がこれぞうの耳を打つ。夏の夜の活気に溢れた一時を思わすこの独特のフレーズには郷愁をそそる何かがあった。祖父が存命の頃には、姉のあかりと共に祖父のゴツゴツした大きな手に引かれて夏祭りに行ったものだと思い出した。小学校に上がったくらいから、彼は趣味にどっぷりはまるようになり、あまり外で遊ばないようになった。日中も暗くなっても主に本を読んでいたのだ。そんな訳で、自然と祭りからも足を遠ざけるようになった。久しぶりの祭りの会場の雰囲気は、これぞうをどこか穏やかな気分にさせた。
「祭り、それは大衆の魂の拠り所、普段忙しいあの人も、そうではない暇で仕方ないあの人も皆が一つになって楽しむ場所、その存在理念や高尚なものなりってね」
これぞうは例によって例のごとく即興で仕上げた心のポエムを直ちに声に出してみた。その声も道行く人々の喧騒の中にすぐに消えて行く。
「皆、屈託のない顔をして楽しんでらぁ」
周りに目をやりながらこれぞうはそう言った。彼には縁が無かった夜の街、そして今日は中でも特別なお祭り夜であった。これぞうにはこの景色が新鮮で不思議なものに思えた。
「さてさて、お目当ての人を探しにいこうではないか。おっとその前に姉さんから頼まれリンゴ飴をゲットしにいかないとな」
これぞうはあかりに頼まれた品を求めて移動を始めた。あかりがこれぞうを焚きつけてここへ送った理由の一つがコレであった。
「おじさん、リンゴ飴を一つ頼もう!」
「はいよ!」
これぞうは忘れぬ内に姉から頼まれた品をゲットした。
「あっ、五所瓦君?」
「へっ、そういう君は松野さんじゃないか。こんな場末の屋台で出会うとは妙な縁だね」
リンゴ飴屋台の前で、これぞうは偶然にもクラスメイトの松野と出会った。
「五所瓦君一人?」
そう言うと松野はこれぞうの周りに目をやる。
「ああ一人さ、どこを探しても二人目は出てきやしないよ」
これぞうは「一人?」と聞かれてこう返すのが気に入っていた。
「あっ、時に松野さん、君はリンゴ飴はいける口かい?」
「ええ、好きだけど」
「よし、それなら、おじさん、リンゴ飴もうひとつ追加で頼もう!」
「へへっ、あんちゃん彼女に奢りかい?おまけしとくよ。こっちは百円引きでいいよ」
屋台のおじちゃんは粋な商売をやってのけた。
「おじさん、良き商人魂をお持ちのようだ。長く店をやるためには商才と、あとはここがいるってね」
言いながらこれぞうはグーにした手で自分の左胸をトントンと叩いた。そしてこう続ける。
「これはお祖父さんからの受け売りだよ」
「へへっ、若いのによく知ってるな。そりゃズバリ正解だよ。よく出来た祖父さんがいるんだな」
「五所瓦君、そんなの悪いわ」と松野は言う。
「何が悪いことがあるか。僕にも君にも罪はないさ、そうと分かれば受け取るがよかろう」
「え……じゃあ、ありがとう」
これぞうがなにやら分からないことを言ってよこしたが、受け取って悪いことはないと言われると松野は受け取るしかなかった。
「君には普段から色々助けてられているからね。宿題を見せてもらったり、寝ていて聞き逃した連絡事項を教えてもらったり、僕がすっぽかした掃除当番をやってもらったり、あとはマジでちょっとだけ宿題を見せてもらったりね。だからそのお礼さ」
「ありがとう」
宿題の話が二回出たが、松野は気にせず良い顔で笑ってみせた。
「君は全くいい顔で笑うね。そんなにリンゴ飴が好きかい?」
「えっ!ええ……」
こういう切り返しをしてくる人間は松野の周りにはいないので、松野はこれを言われると何とも恥ずかしい気分になった。
「よし、僕は次だ。君も祭りを楽しむと良いよ」
そう言うとこれぞうは、その場を後にしようとする。
「あっ、ちょっと」
「ん?何だい?」
「五所瓦君、お礼に、これ食べる?」
そう言って彼女が取り出したのはたこ焼きであった。これぞうは目を大きくしてそれを見る。
「はぁはぁ……」
この時松野は、確かに吐息混じりにこれぞうが「はぁはぁ」言ってるのを耳にした。
「君、これ、だって、あれ、いいのかい?僕は粉物に、次にタコに目が無いんだ……タコっておいしいよね」
たこ焼きを目にすると、これぞうの口内の汁量は確実に増した。
二人は屋台が集中する箇所を少し離れた所にあるベンチに座った。そしてこれぞうはたこ焼きにがっつく。
「いやいや、姉さんがね、祭りで売ってる食べ物は高いばっかりで大したことないみたいなことを言うんだけど、こいつはイケるよ!ホラ、君も一ついきなよ!食べ盛りの女子だろ」
これぞうは好意で言ったのだが、最後の一言は現代ではセクハラ扱いになるらしい。
「じゃあひとつ」
パックには楊枝が二本入っていた。松野はこれぞうが手にするパックに手を伸ばし、余った方の爪楊枝でたこ焼きを刺し、口へと運んだ。
「本当だ、おいしい」
「だろ~?」
これぞうはいつか喫茶店でパフェを食った時と同様に、美味しい物を食べた時の彼女の笑顔は素敵なものだと想った。松野の頬が先程よりやや赤く見えたが、そこらに明々とした提灯がたくさんぶら下がってるので、そのせいでそう見えるのだろうとこれぞうは想った。
「今日は陸上部の皆で祭りに来てたの。私はジャンケンで負けて、ゴミ捨て当番中だったの。たこ焼きはキャプテンから無料の引き換え券をもらってたの。キャプテンは町内会長の息子なのよ」
「へぇ、そうなの。どうりで筋骨隆々なわけだよ。あ~美味し~」
適当にも程がある返しをしてこれぞうはたこ焼きに舌鼓を打つ。
「松野さん。そういえば、今日はまた艶やかな衣装を身にまとっているね」
松野は夏祭りの雰囲気に合わせた浴衣に身を包んでいた。ピンク色の可愛いものであった。
「良く似合うね」
これぞうは笑顔でそう言う。
「……ありがとう」
松野は男子に褒められることにあまり慣れていない。
「ところで、松野さん……その~」
これぞうはやや声を低く切り出した。
「その下ってさぁ、つけるてるのかい……つまりは……下着を」
「えっ!」
松野はこれには驚いた。
「あのね、浴衣にはつけないとかって言う人もあるけど、あれは少数で皆まずつけてるわよ。私もね」
「な~んだ!じゃあ安心だよ。いやね、これも姉さんが言ってたんだよ」
松野とこれぞうは笑い合った。
「五所瓦君、その袋は何が入っているの?」
これぞうは最初から大きな袋を持っていた。
「ああこれはね、リンゴ飴の店に行く前に輪投げ屋のおじさんに声をかけられて、ちょちょいと投げたら大当たり!すごくデカイ水鉄砲を頂いたよ。デカくて運ぶのに困るよ」
なんとこれぞうは、リンゴ飴を買う前に一発当てていた。彼は昔から何かに狙いをつけて物を投げるのが得意だった。
二人が談笑しているところへ人影が近づく。その人物は緑のトレパンを穿き、上は青いTシャツを来ていた。そして肩には「パトロール」の腕章が付いていた。
「あら、五所瓦君と松野さんじゃない」
「ああ!そういうあなたは、みさき先生!!」
これぞうは歓喜の大声を上げた。それは祭りの喧騒の中でもしっかりうるさいボリュームであった。