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第二十六話 十年振ぶりのナイトウォーカー

 夏休みに入ると、週末の夜には遠くの方で「ドンドン」という音が聞こえるようになる。空に響くその音の正体は、各地で行われる夏祭の打ち上げ花火の音であった。ソニックオロチシティでは、7月中旬から8月末まで週末ごとに打ち上げ花火の音が聞こえる。しかし、我らが主人公である五所瓦ごしょがわらこれぞうときたら、週末の夜はイヤホンでラジオやクラシックを聞きながら例の在宅ワークに励むか読書をするかして過ごしている。よって彼の耳には夏の風物詩たる夜空に咲く花達の産声は届かない。そして彼は元来、陽が沈んでから外出することを好まない。そもそも花火を見ることすらなかったのである。風情のない青春であっても楽しく過ごすのが我らがこれぞうであった。

「ああ……我が青春の友ルードヴィッヒよ……君って男はなんて魂を震わす旋律を聞かせてくれるんだろうか……」

 今晩これぞうのお耳を楽しませたのはルードヴィッヒの音楽であった。そして彼が手にしていたのは、例によって例のごとく、とっくの昔にこの世を去った作家によって紡がれし物語が収められた一冊の本であった。これぞうは基本的に現在生きている人間の本は読まない。

 音楽と名作本の世界感に酔いしれた彼は背伸びをして視線を右に向けた。するとそこには御伽の国を抜け出したかのような美しき女の姿が。

「あっ、姉さん」

 女の正体は地域一イケてる女である五所瓦ごしょがわらあかりであった。

「どうしたんだい姉さん。いつの間にそこに?扉を開けた音も聞こえなかったよ。ソニックオロチのくノ一の名は伊達じゃないと見た」

 これは彼が即興で考えた通り名であって、あかりはそんな風に呼ばれたことはない。

「ふふ、まぁね。気配を消すなんてお茶の子さいさいよ」

 そしてノリの良い姉は全てを受け入れた。

「あんたねぇ、ガンガンかけすぎよ。イヤホンから音がもれまくってるから何も聞こえないんでしょ?」

「ああそうか」言いながらこれぞうははイヤホンをはずした。

「若さも盛り、つまりは青春のど真ん中の男が夏休みにずっと家にいてクラシックを聞きながらこんなカビが生える程昔の本を読んで……」

「失礼だな姉さん。この物語が世に発表されたのこそもう百年以上前になるけど、この文庫本が出たのは先月のことだよ。そしてルードヴィッヒに関してだが、彼の音楽は時を越える。二十二世紀に入っても新曲の感覚で聴けるよ」

「ああ、改めてあんたは変な子に育ったと想うわ」

「ふふっ、その変って領域が愛しいってヤツもいるのさ」

 この姉弟の会話はこんな感じでいつだってトリッキーで特に意味がない。


「時に姉さん、何用で僕の部屋を訪ねたんだい?」

「あんた、夏祭りとか行こうって思わないの?」

「え、どうしてだい?行こうって思う方が不思議なんだけど。これまでだって僕は夏祭りなんて行きやしないじゃないか」

「バカねあんたは、今年は状況が違うでしょうが」

「はて?」

「みさき先生よ」

「え、先生が何だって?」

「あんたはまるで何も知らないのね。ここらで夏祭りをしたら、生徒が悪さしないかをパトロールするために高校教師が会場を訪れるのよ」

「へぇそうなのかい」

「みさき先生は今年が教師一年目よ。新人なら勉強として祭りの会場に送られる可能性が高いわ。そしてこういう仕事は独身者の方が任命されやすいの、これは私調べよ」

「ほぅ、リサーチ力に定評のある姉さんの言うことだ。これは信憑性が高いな」

 あかりは調べ物が得意。これ常識。

「ということは、お祭りの会場に行けばみさき先生に会えるかもしれない。そして一緒に綿あめを食べれるかもしれない。そう言いたいわけだね、姉さん」

「ええ、会えるかもね。綿あめのことはこれっぽっちも考えてなかったけど……でもどうかしらこれぞう、行ってみる気になった?」

「ふふっ、たまには祭りもいいものじゃないか。クラシックと読書は季節も時間も問わず楽しめるが、祭りは今日だけだものね。みさき先生に会いにいこう!」

「ふふっ、面白くなったわね。まぁ先生がパトロールに出てるかどうかの確証はないのだけれど……」

「えっ、何だって姉さん?」

 あかりは最後の方はボソッと喋ったのでこれぞうには聞き取れなかった。


 こうしてこれぞうは、あかりの提案により唐突に夜の街へ旅立つこととなった。彼が夏祭りに足を運ぶのは、彼の人生における義務教育開始以降初めてのことであった。

 会場までの道すがら、彼はマヨネーズだけを塗りたくったトーストを齧っていた。夏祭りで売っている食い物は、会場でのスペシャル価格となり、量と質に合っていない高価な値に設定されているというのがあかりからの受け売りであった。それを知ったこれぞうは向こうでは何も食わず、先に腹を作っていこうと考えたのである。全く賢い姉妹である。と言っても夏祭の雰囲気を味わうという点では、かなり的を外したアクションではあったが。

「マヨネーズってのは何にかけても合うな。合わないものを見つける方が難しいよ」

 これぞうはマヨネーズトーストに舌鼓を打ちながら賑やかな祭り会場へとゆっくり歩を進めた。

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